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華麗なテクニック

バスケ観戦の遠征中、豊橋のとあるビジネスホテルに泊まった。
駅歩10分だが料金がかなり抑えられ、枕が選べるサービスに魅力を感じた。

時間がなかったので先に会場に行って試合を観戦し、へとへとの腹ペコでホテルのカウンターに姉と2人で辿り着いた。
対応してくれたのは気のいい感じのおじさんスタッフで、チェックインの用紙を記入している間にどんどん説明を進めてくれる。

「晩御飯はお済みになりましたか?

説明が済むと徐に尋ねられて顔を上げる。
ホテルと提携したサービスを受けれるお店でも教えてくれるのか?と期待を込めて耳を傾けた。

「これからです」
「そうでしたか!当ホテルは夜の9時から無料でカレーが食べれるんですよ!」

思っていた返答とは違ったが、カレーは悪くないな、と深めに頷く。
だが、かなり大騒ぎして観戦したこともあり、私のお腹の皮は限界まで背中に近づいていた。
今はまだ7時を少し過ぎたところ、無料とはいえさすがにあと2時間は辛すぎる。

「是非食べてください!フリードリンクのところに用意しますから!」
「へぇ」
「うちの料理スタッフが丹精込めて作ってます!」
「丹精込めて、そうなんですね」

待てないわ、と伝える義理もないので相槌だけ返し、部屋に荷物を置いて早々にフロントに戻る。
ここはカードキーでなく、外出時はフロントにキーを預けなければならない。

人感センサーでも額に埋め込んでいるのか?と疑う速さで先ほどのスタッフが出てきてくれたので鍵を手渡そうとすると。

「あれ!カレーはいいんですか?!」
「へ?あ、お腹すいちゃって!9時は待てないなぁ〜って」
「無料ですよ?あ、無料ですけどちゃんと美味しいですよ!」

別にそこが不安な訳じゃないけど。てかルームキー全然受け取ってくれん。

「じゃ、軽く食べて戻って〆にカレーも悪くないかな」
「本当ですかぁ?ちゃんとカレーのスペース、お願いしますよ〜」

怪しまれながらも腹の配分を約束すると、やっと鍵を受け取ってくれた。
やれやれと姉と2人で自動扉の前に立つ。
するとスタッフはカウンターからわざわざ走って出てきて、後ろからお見送りをしてくれるのか、両手を前に私たちの後ろにピタッと止まる。
しつこいけど真心を感じる接客だなぁと思い直し、彼の行動に敬意を持って振り返る。

「いってらっしゃいませ!9時ですよ!9時9時!!無くなり次第終了なんで、戻ったらすぐにカレー受け取って部屋戻ってくださいね!」

いや、必死か。
思わずこっちもタメ口になる。

「分かった分かった!」
「もしかしたら9時10分には無いかもしれませんよ!5分ならまだあるかもだけど!私の見てる限りだと、2分には皆さん降りてこられますね!」

めっちゃ時間刻むやん。
てか、宿泊客はカレー奪取の猛者の集まりか。

「はいはい、ほなもう行ってくるから!」
「8時50分にはフロントに戻って・・・」
「並ぶの?」
「いえ、お疲れでしょうからマッサージチェアでお寛ぎください」

カレーちゃうんかい。何この緩急。

うちのカレーをくれぐれもよろしくと言わんばかりに深々と頭を下げられ、なんとかホテルを後にする。
そこまで言うなら食べてやろうか、と言うよりも言われ過ぎて逆に従うのが癪に感じるのは私の器量が足りないせいだろうか。

しばらく周辺を歩き、良さそうなイタリアンバルに入る。
2人ともアルコールは飲まないので、ジンジャーエールを先にオーダーしてメニューを眺めた。
「ピザとパスタ頼んで半々にしよか」
「勝利祝いは出来へんけどなー」

しばらくメニューと睨めっっこ。

「カレーのピザあるけど、なんかやめとこか」
「うん、なんかな」

アンチョビのピザとアボカドとバジルのパスタをオーダー。
早めにホテルに戻ってお風呂を済ませ、ゆっくり他のチームの試合も見逃し配信で見ようという事になり、早々に戻った。
自動ドアが開くと奥からあのスタッフが走って出てくる。

「おかえりなさいませ!517号室ですね!」

カレー食べて欲し過ぎて私達の部屋番号暗記しとるやないか
キラキラした笑顔しやがって・・・一周回って愛犬みたいな情が湧いてくるのを必死に抑える。
するとスタッフは慌てて腕時計を確認した。

「後5分ですよ!!」
「鍵いただけますか?」
「今ね、しっかり煮込んでますからね」
「ははは、鍵」
「うちのカレーは油揚げが入っててね!」
「へぇ、狐も喜びますね」
「やだなぁ、お客様!愛知に狐は生息してませんよ!」

ちょいちょい会話噛み合えへんな。

鍵を受け取りエレベータに向かうと、後ろで大きな声で「あ!」と聞こえ振り返ってしまった。

「あと・・・・2分!!」

渾身の笑顔のVサイン。

ごめんて。
ほんまごめんて。
お腹いっぱいやねん、カレー食べたら毛穴から出そうやねん。自慢のお揚げが毛穴に詰まるわ。

その時、ポーン!と音がして、2基あるエレベーターが両方1階に到着し、宿泊客がゾロゾロとフロントに現れた。
パタパタと階段からもスリッパの足音がする。

「カレー、ここですよね」
「いつも食べてんだよね〜」

あのスタッフの言うことは、真だったのか。

感心したし、そこまでのカレーなら・・・と思ったが、振り向いたスタッフのドヤ顔がちょっと気に障ったので、人混みに紛れて到着したエレベーターに乗り込みました。

すっかり遅くまで2人で話し込み、8時に起きると身繕いをして朝ごはんを食べに一階に降りる。
一階の食堂はフロントの逆サイドなので、昨日のスタッフと顔も合わさないだろう。

ビュッフェスタイルの朝食会場は時間も遅いので客もまばら。一通り何があるか確認していると。

カレーがあった。

昨日のスタッフが頭に浮かぶ。
確かによく見るとちらほらと油揚げが入っている。

・・・・。
隣で空になったスクランブルエッグを交換してくれていたスタッフに聞いてみた。

「このカレー、昨夜の?」
「はい、二日目なのでしっかり煮込まれていて美味しいですよ」
「揚げ入ってるんですね、和風ですかぁ。狐も嬉しいカレーやね」
「はい、あ!狐は愛知県には生息してませんよ!」

ここのホテル、このやりとりのテンプレあるの?

昨日からの申し送り?
517号室のメガネの関西弁は愛知に土地勘なさすぎるからさり気無く訂正しろってあったの?

朝からカレーって現役時代のイチローみたいやな。
いや、かっこいいやん、イチロー。


悔しいが私は朝からしっかり煮込まれたカレーを食べた。
具は煮込まれすぎて溶け去った分、風味が増している中に和風の出汁が効いてあっさりと美味かった。とろみは片栗粉でつけているようだ。
油揚げはどんなに煮込んでも溶けることなく、美味しい出汁をしっかり吸ってくれるんだよ、と食事係のお姉さんが教えてくれた。

「昨日のフロント係の方にも勧めてもらったんですよね」
「あ、支配人!あの人カレー命ですから!」

偉い人やったんかい。

接客下手くそか、とも言い難い。
昨日からの繰り返される「カレー」の一言がサブリミナル効果になって、まんまと私は選んでしまっている。

これからはもう少し素直に生きてみようと思った豊橋の、とあるビジネスホテルの話でした。

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