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あくまで私の意見

私は女性である。
心も体も、女性である。

私の恋愛対象は男性。

私は甘いものが好き。

私はかわいいと言われると嬉しい。

私は女友達同士でワイワイ騒ぐのが楽しいと感じる。

でも。

私は黒色が好き。

私は男っぽいと言われると嬉しい。

私はスカートが苦手なので1着も持っていない。

私は美容院に行くと大抵ファッション雑誌を出されるが、本当は漫画が読みたい。


本当の意味で「多様性を認める社会」とは、この『「私」を認める社会』なのではないだろうか。



"国籍、性別、職業、身分
これだけで人を決めつけないようにしましょう!"

このように、商品ごとに棚に陳列するような分類方法だけ取り扱っているのでは、多様性を認めるどころか、個性を閉じ込めてしまうのではないだろうか。


どうか「私」に目を向けて欲しい。


女性が美容院を訪れた際、個々の多様性に配慮しなくてらならないから、女性向け雑誌も男性向け雑誌も、バトル漫画も恋愛漫画もスポーツ漫画もコメディ漫画も、全てテーブルに置いておかなければならない。
いや、女性向け雑誌などという呼び名もこの世から排除すべきだから、世間では「生物学的性または性自認、もしくはその両方が女性である人に関わりの深い内容で、主にファッションやメイクを取り扱う雑誌」とでも呼ぼうか。


…もちろん、こんな風に全てに配慮していては気が狂う。



ここからは理想論だ。

生まれ持った体質、性格、容姿、得意や不得意、好み、考え方、趣味、価値観……などなど、挙げていてはキリがないが、細かな部分含め、1人1人の多様性が認められる社会、それを多様性だとも思わない社会こそ、私たちが求めるべき姿ではないのか。

もう一度言う。
これは理想論だ。

だが、理想論に留まらせないためにアクションを起こすことが、今を生きる私たちに出来ることなのではないだろうか。


人の数だけ国籍があっていいし、人の数だけ性別があっていいし、人の数だけ価値観があっていいと、「私」は思う。

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