カワテ
ちゃんとした自己紹介記事というものは書いていないのですが、これらを読むと、私のことがなんとなく分かって頂けると思います。
何かを経験して、そこから考えたことや感じたことを書いています。
お客さんがおにぎりの袋を開けることを考えて、シールは邪魔にならないところに貼って渡す。 そんなところにまで気が回る。私って天才だな。 改札を出て外を5分ほど歩くタイプの乗り換えで、地図を見ずになんとなくで目的の駅に辿り着いた。 相変わらず天才だな、私。 誕生日、雨予報だったのに、晴れた。 これはさすがに天才すぎるかも。 バイト2日目でワンオペさせられたけど、不安や怒りより“1人で店を切り盛りしている感”の楽しさが勝つ。 私みたいな天才、徳しかない。 基本的に、
見知らぬ地に降り立つのが好き。 聞いたことのない駅で降りて、イヤホンはせずに歩く。 その土地の音、匂い、動きを五感で感じる。 ファミマ、ガスト、マクドナルド、ユニクロ……当たり前だが、全く知らない土地にも、いつも使っているお店が根付いている。 でも、どこか自分の居場所にはならないようで、落ち着かない。 ここでは自分が異質な存在で、浮いているような、透明人間にでもなったかのような感覚になる。この場所には、自分を除いて「いつも通り」の時間が進んでいるらしい。 部活帰りら
私には「嫌いな人」が滅多にできないらしい。 人が好き。 その人の良いところを見てもちろん好きになるし、悪いところがあっても「嫌い」には直結せず、「人間らしいな」と思って終わらせる。 学生の頃、クラスメイトが先生の悪口を言って盛り上がっていてもピンときていなくて、話についていけないことがあった。 友達や、お店の店員や、テレビに文句を言っているのを聞いても、ピンとこないことが多かった。 私にも、今こうやって悪口言ってるみんなにも、それぞれ悪いところあるしなぁ。いくら先生とい
昔から「なんで?」って聞かれるのが嫌いだった。 いつも「なんとなく」としか答えられない自分が嫌いだった。 自分の気持ちとしっかり向き合えば、自分が選択してきたことに対する理由は「なんとなく」ではなく明確にあるはずだ。 でも、なんとなく、のまま進んできた。 なんでこの大学を選んだの? なんとなく。 でも本当は、高校受験は安全圏を狙ったから、大学受験はとにかく上を目指してみたかった。第一志望は不合格で、受かった中で一番偏差値の高い大学を選んだ。正直、この大学への憧れとかなくて
いつも文章だけでつまらないので、写真をたくさん使ってみようと思う。 写真は、脳の奥の奥に眠っている記憶を引き出す。 その時の感情や景色や匂いや気温…五感で感じるものがぶわっと思い起こされることがある。 少しだけ当時にタイムスリップできる切符。 他の人からしたらどうってことない出来事だと思うけど、私の大切な記憶たちとまた会いたい。 写真をもとに、まだ20歳だった時の自分の心に触れてみようと思う。 4年前、20歳、大学生。 2週間ほどインドを訪れ、現地に家を建てるボランティ
劣等感や後悔や嫉妬。 私にnoteを書かせていた感情。 人と比べて、落ち込んで、頑張って、上手くいかなくて、たまに上手くいって、喜んで、の繰り返しの日々。 そんな感情の浮き沈みの中で溜まった膿がやがてニキビとなり、目立つからそろそろ潰しとくか~と、noteに吐き出す。 いつもウダウダと考えなくていいことを考えているから、毎月の題材は難なく思い浮かんでいた方だ。 だが今月は、どうにもペンが進まない。 (…格好つけたましたがペンじゃなくパソコンで打ち込んでいます。) さて
水族館が好きだ。 ガラス1枚を隔てて、目の前に別世界が広がる。 海の中にいるようなのに、海の中には絶対に足を踏み入れることはできない。 でも、泳ぐ魚たちを見ていると、"自分が社会の一員であること" を再確認できる。 そんな水族館が好きだ。 水族館が好きになったきっかけは、水中写真家・鍵井靖章さんという方だ。 鍵井さんは東日本大震災以降、宮城・岩手の海を定期的に撮り続けている。 その写真には、海に引きずり込まれた家、服、ランドセル、扇風機、車…… 信じられない状況が記録
「諦めなければ必ず夢は叶う」 よく聞くけど、嘘だと思う。 運良く夢が叶った人が、軽く言えることだなぁって思う。 もちろん夢を叶えた人は血の滲むような努力をしたと思うけれど、血の滲むような努力をして叶わなかった人もいる。それでも夢が叶うのはやっぱり運が良い人だろうな。 私は誰かに「諦めなければ必ず夢は叶う」って言えない。 だって叶わなかった夢が、今までにたくさんあるから。 私は最近、叶えたい夢に向けて勉強を始めた。 3年前に叶わなくて、諦めた。 でも3年ぶりに叶えよう
失敗するのが怖くて、できない自分が嫌で、周りの人には未来のことなんて言わないようにしていた。 どこの学校行きたいとか、この会社で働きたいとか、これに挑戦したいとか。 どんなに仲の良い友達にも言うのが嫌だったし、聞かれてもはぐらかしていた。 もし失敗したら格好悪いし、あいつあの大学落ちた、あの会社落ちた、という目で見られるのが許せないから。 小さい頃から勝手に周りと比べて、負けないために頑張ってきた私が築いた鉄壁のプライドが、素直に夢や目標をさらけ出すことを阻んでいた
「なんで、こんな簡単なことができないのか分からない」 たまに言われる。 すいませんね、私は人見知りだし、喋るのうまくないし。 人に電話かけるとか、頼み事をするとか、ちょっと苦手で。 全くできないわけではないけど、下準備を十分にしなきゃ上手くできなくて。 少し時間をかければできるんだけど。 こういうの、全て言い訳に聞こえるんだろうな。 下準備が必要だと思うなら、いつでもいけるように準備しておけ! できないなら、人より努力しろ! …まあ、正論だと思う。 最初か
ピンクは嫌い。 女の子みたいだから。 重い荷物を持たれるのが嫌い。 女だから弱いと決めつけられている気がするから。 「多様性を認めろ」 こんなことを、普段から思っている。 肩書で判断しないで欲しい。人それぞれに好きなものはあるし、やりたいことだってあるし、そこに性別なんて関係ない。 女の子なのに、とか言われるだけで、正直イラッとする。 芸能人の結婚とか、引退とか、そんなニュースが話題になってSNSで騒がれるたび、うるさいなと思う。一人ひとりの選択を否定する権利は他人
「後ろを向いて歩こう」 この記事を通して皆さんに届けたい、私なりのエールです。 転職だけでなく、人生でなにか選択を迫られるときに思い出して、ふっと心を軽くできたらいいなと思います。 今月末で、新卒入社から約1年半勤めた会社を退職する。 私は、ものを捨てることが出来ない。 物を捨てるだけでなく、一度始めたことは途中で辞めたくない。人との関わりは一度できたら切りたくない。経験や思い出は忘れたくない。 なにかを捨てることが、本当に苦手だ。 過去と、過去に基づいて見えてくる未
地元を散歩した。 行先は決めず、知っている道を、足の赴くままに歩いた。 ほんの30分ほどの道のり。 でも私の心には、あの頃から変わらない輝きを持つ「記憶」たちが、星のように降ってきた。 あぁ、まだこの学校にはこの花が咲いているんだ。 この校庭で、運動会の時に一生懸命踊ったな。悔しくて泣いたこともあった。 このグラウンドで、兄が野球の練習するのをよく見ていた。 この公園でよく家族ごっこをしていたな。あのすべり台の上を家に見立てて。 ここで一緒に一輪車の練習をしていた友達は、
私は女性である。 心も体も、女性である。 私の恋愛対象は男性。 私は甘いものが好き。 私はかわいいと言われると嬉しい。 私は女友達同士でワイワイ騒ぐのが楽しいと感じる。 でも。 私は黒色が好き。 私は男っぽいと言われると嬉しい。 私はスカートが苦手なので1着も持っていない。 私は美容院に行くと大抵ファッション雑誌を出されるが、本当は漫画が読みたい。 本当の意味で「多様性を認める社会」とは、この『「私」を認める社会』なのではないだろうか。 "国籍、性別、職
“これをやれば人生が成功する” “こうすれば金を稼げる” “痩せたいならこれだけやれ” 何も考えずに揺られている電車内で、ほとんど音の聞こえないテレビ番組が流れている居酒屋で、ふらっと立ち寄った本屋で。社会のあらゆる場所に、こんな言葉たちが転がっている。 私は嫌いだ。言葉をこんなに雑に扱う文章が。 “若いうちに転職しよう” “結婚して幸せになろう” “女性/男性にはこうして接するべし” まるで女性にとって、男性にとって、人間にとっての幸せを決めつけられているようで、
今回のエッセイには、タイトルが2つあります。 「大人に成長した私の話」と「星の王子さまはなぜ『星の王様』ではないのか?」 内容が見えてこないと思います。 この2つのタイトルの意味を感じながら読んでみてください。 2005年、春。 年長さんになった5歳の子供「まぐろ」こと、私。(まぐろとは、このnoteで使用しているペンネームのようなものだ。) 幼稚園という狭い世界の中ではあるが、年少に比べれば飛躍的成長を遂げているはずの最高学年だ。 チビながら大先輩に出世したまぐろ。