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海外で仕事をするために - (1)留学を選んだ理由 -

こんにちは、Yukoです。Trestとしての初挑戦、クラウドファンディングが目標金額100%を無事達成しました!応援してくださった方々、本当にありがとうございます。終了まであと5日、引き続き頑張りますので、応援よろしくお願いします!

さて、今日はスペインやお店の話ではなく、自分の原点に立ち返ってお話したいと思います。私は日系メーカーに就職して以来、10年強のキャリアの中で、海外「で」または海外「と」仕事をする機会に恵まれました。ただ幼少期から語学が堪能だったわけでも、たまたまそういう部署に配属されたわけでもありません。遡ると、高校卒業時に海外行きを志望して以来、分岐点に差し掛かるたびに「海外」を選択してきたことが大きいと思います。

物心つくまで日本で育ってきた女子が、どうやって海外で働く機会を掴んできたか?・・・少し大げさですが、本投稿から数回にかけてご紹介したいと思います。(所々、好きな漫画の一つ『進撃の巨人』の台詞が登場します。)

「壁の中」にいる危機感

そもそものきっかけは、女子校育ちだったことから始まります。その女子校は地元の中高一貫校で、頭が良くしっかりした家庭の学生達が多く集まっていました。しかし私は全てにおいて平均的で、特に目立った学生ではありませんでした

幸い友人はできましたが、途中編入もほぼなく6年間ずーーっと同じ200人の女学生+先生方という少数固定メンバーでの学校生活。恵まれた環境とは言え、窮屈に思うことも多かったです。かなり閉ざされた環境で、平均的な学生として過ごしてきた私は、進路を選ぶタイミングで危機感を覚えました

両親共に理系出身だったので、理系の道を期待されていました。しかし、好きな先生の授業で良い点を取るために数式を丸暗記することはできても、数学や物理そのものに興味がなかったのでそれ以上はできませんでした。
このまま数式の暗記しかできずに、大人になって何ができる?平均的なくせにミーハーなままの自分が悪いのですが、将来が不安になりました。

加えて、限られた社会の中で生きてきたため、環境変化への適応力もありませんでした。新しい問題に遭遇したときに自力で解決する力もない。そんな自分に必要なのは、どこに行っても何が起きても生き延びれるサバイバル能力ではないか?

それならば、人種・民族・宗教・価値観など様々な人と出会って視野や知識を広げたい。日本で当たり前のことが、世界でも当たり前とは限らない。今日当たり前のことが、明日も当たり前とは限らない。隣街でも東京でもなく、海外に行くことを望んだ瞬間でした。

~『進撃の巨人』(第1巻) の幼少期アルミンの台詞から~
『100年壁が壊されなかったといって、今日壊されない保証なんかどこにもない』
きっと外の世界は、この壁の中の何倍も広いんだ!』

(注: 漫画の中での「壁」は巨人から人々を守る物理的な壁ですが、本文中では比喩表現として使用しています)

「壁の外」に出る覚悟

その後、親からは散々文系に進むことを考え直すように言われ、理系家族の中で肩身の狭い思いをしながら、語学を専攻し猛勉強。根っからのバイリンガル同級生達に「あんたの英語はわかんない」と言われ、純日本産の英語に限界を感じつつも、なんとかTOEFLで良い点を取り大学の交換留学枠を勝ち取りました

初めて実家から離れる、初めての海外生活が始まろうとしていました。交換留学のため留学先の学費はゼロ。比較的親の財布に負担をかけない方法ではありましたが、足りない分の生活資金は幸い実家からも出してもらえることになりました。

しかし2005年夏、渡航直前にロンドンの同時爆破テロが発生。テロの場所は留学予定先の学校の目の前でした。死者60名弱、負傷者700人弱。外務省からは渡航勧告が出され、学校からもどうしますか?と聞かれ・・・。

そうは言っても、人々が普段の生活を取り戻しているロンドン。安全面は恐らく大丈夫なはず。ただ家族が心配するかもしれないと、特に母の顔が浮かびます。しかし、母は止めるどころか、覚悟を決めるよう私に促しました

「家から離れて一人で海外に行くということは、日本では想像できない事態も起きるということ。行き先で何が起きても親や家族は何もしてあげられない。あんた自身が留学をしたいと言ったから、私はその覚悟をした。頼れる知り合いもいない海外で、一人で生きて行く覚悟がないのなら、留学なんて無理だから諦めなさい

お母さん、言ってることは最もだけど、テロの直後だよ。。覚悟で乗り切れるものとそうでないものもあるよ、と心の中でツッコミましたが、心配性の母がそういった覚悟をしたことに並々ならぬものを感じました。

おそらく母が言いたかったのは、自分でやりたいと思ったことを成し遂げるには、努力に加えてどんな難局も乗り切る覚悟が必要外の世界に行くなら尚更。あんたの憧れる「どんな環境でも生きていける人」は、そういう覚悟をしてきた人なんじゃないの、と。

~『進撃の巨人』(第4巻) の少年期エレンとアルミンの会話から~
『壁から一歩外に出れば、そこは地獄の世界なのに、どうしてエレンは、外の世界に行きたいと思ったの?』 (注: もちろん海外=地獄ではありません。漫画では・・・略)
『どうしてだって・・・?そんなの・・・決まってるだろ・・・。俺が!!この世に生まれたからだ!!』

なぜ「壁の外」に行きたがるのか?

人を動かすもの、モチベーション、行動原理、エネルギー源は人それぞれですが、私の場合はその一つが、新しい環境や未知の経験、つまりは「”外の世界”への渇望」です。

これは、限られた社会で多感な時期を過ごしたことの反動だったり、「今の自分」への危機感から生じるもので、17歳当時から今も続くある種の生存本能です。(なお、この問いは『進撃の巨人』のストーリーのカギでもあります。)

『進撃の巨人』の主人公たちと状況は違えど、「生きているからには”外の世界”を」という「好奇心」が「渇望」になった瞬間に、それを実現するためならなんでもしようという「行動」のスイッチが入ります。そこから先は無我夢中。自分の中の優先順位も、他の人が見たら冷淡もしくは極端に思うかもしれないほど、明確になります。なぜなら生存本能だから
紛れもなくそのスイッチを入れたのは、留学前の母の言葉でした。(言った本人はあまり覚えてないようですが)

冒頭にも書いた通り、私は特別な才能に秀でたわけでもなく、何かを成し遂げるには、時間と体力を投下し努力をすることしかできません。経験を通して学ぶことには向いていますが、飛躍的な発想や近道探しが苦手なタイプです。このため、何かを目的とした瞬間に実行を始めないと、時間が足りない。人よりも努力しないと、実現できない。特に、海千山千の強者がいる「壁の外」で生きて行くためには。

「壁の外」で生きる

留学経験は、以前も書いたように楽しいこともありましたが、強者から厳しい洗礼を受けることもありました。今でも覚えているのは、政治学の授業で、西洋の政治思想で非常に抽象的な概念を英語で理解することに苦労していた時。 
何時間もかけたけど理解しきれなかったので、授業中に先生に質問したら、「授業は質問する場ではなく意見を議論する場だ。あなたが英語ネイティブでないこと、西洋出身でないことは関係ない。私たちと議論する準備ができてから授業に参加しなさい」と、あっさり切られました。
英語ネイティブでないアジア人学生は、私一人。助け舟などありません。

先生、仰ることは最もだけど、先生は母国語(英語)以外で学業を修めたことがあるの?東洋思想を日本語で勉強したことはある?と、理不尽さを多少感じながら心の中でツッコミましたが、ここで悲観的になってはだめ。
「外の世界」では、彼らのスタンダードに追いつかなければ、対等な存在になれない。語学は術で、本質を捉えろというのなら、やってやる。
厳しくてもこれが自分の選択。マイノリティでいることの逆風に耐えて、「外の世界」の強者と渡り合うための努力ができるか?覚悟があるか?というだけの話

「コンフォートゾーン」とも言いますが、一歩外に出ると、大抵の場合傷だらけになります。もちろん、傷を労わってくれる社会の方がいいし、違いを理解し合える社会の方がいい。しかし、壁の外は厳しいと分かっていても、自分は壁の外でも生きられるようになりたい。壁の外にしかない「何か」が見たい。生存本能によって、また次、その次と踏み出してしまう。

そうやってもがいているうちに、ゼロスタートだった語学スキルや環境適応力をいつの間にか習得していて、強者の攻撃に耐性が付き、今ではカウンターも繰り出せるようになりました。
6年間で200人強としか過ごさず悶々としていた17歳の自分に、壁の外に出てみてよかったよ、5大陸35カ国以上まわったよ、なんとか生きていけるよ、と言えるようになりました。

~『進撃の巨人』(第4巻) の少年期エレンの台詞から~
『・・・オレ達は皆、生まれた時から自由だ。それを拒む者がどれだけ強くても、関係無い。炎の水でも氷の大地でも何でもいい。それを見たものは、この世界で一番の自由を手に入れた者だ

まとめ

こう書くと、まるで海外に行ったり新しい分野に挑戦することは苦行の連続、壁の外は巨人だらけ?!(『進撃の巨人』の話ね)と読まれる方もいるかもしれません。半分はYesで半分はNoです。
初期段階には必ず苦労のフェーズがありますが、乗り越えれば、最初の成果が見えてきます。私の場合は、初志であった海外での基本的なサバイバル力(語学力、コミニュケーション力、一般教養(歴史、文化、思想など)、度胸、情報収集力、状況分析力、環境適応力といったスキル)です。

一つの成果を得ると、さらに次の課題が見えてきます。この人すごい、こうなりたい、自分が弱いのはこの点だ・・・と自分の見たいものが尽きるまで繰り返しなので、正直終わりがありません
20歳くらいでサバイバルできるようになった私の次の課題は「海外で働くこと」「女性のキャリア形成」でした。私は今キャリア形成真っ只中なので、その意味で現在進行形の取り組みではありますが、これまでにアメリカ、中東地域などの方々と仕事をする機会に恵まれてきました。少しずつnoteで書き始めたいと思っています。

・・・所々エレンとアルミンに登場してもらいました。『進撃の巨人』を読んだ時、彼らの台詞に何度も心打たれ、成長した彼らの今後にも目が離せないのですが・・・それはさておき。

長くなりましたが、今回は留学編でした。次回は仕事編を始めたいと思います。

(写真は2019年4月にレバノン、バールベック遺跡を訪れた時のものです)

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