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ひのあたたかさ 

 セロトニン不足の最近に終止符を打つべく、手に陽を浴びせビタミンDを作る。地球で受ける日の光がこんなにもあたたかいなら、太陽のまわりに行ったら熱いよりも熱い、まだ言葉のない感覚なんだろうな、そうやって言葉の及ばないところに行けたら、むず痒い気持ちと共に自由を感じられるんだろうなって考える。というより、自由なものであってほしいという願望。  昨日は、言葉を使うことがしんどくなって記号を新しく作ろうとした。絵は思うように描けないし色塗りだけだと物足りないから、新しい文字を作ろうと

    • 美術に本当なんてないと思う

      美術を大学で学び始めてはや3年。 日々いろんなことを思い知らされる。 今日はそのうちのひとつを書こうと思う。 私はムンクの絵が好きでして。 朝方や夜に入る前の青みがかった画面がすごく綺麗でしょ。良かったら他の作品も見てみてください。 当然、ムンクと調べるとよく知られている《叫び》についての画像がたくさん出てきます。 そこで、動画のサムネイルに「ムンクの叫び、本当は叫んでいない?」と書いてあるものを見つけました。 ムンクの叫びの図像は、声を出して喚くと言う意味の叫びではな

      • 私の生活にも鼓舞する人来てくれへんかな。

        性懲りも無く、また小説を書くことにした。 以前4月か5月あたりにひとまず書き上げて、数ヶ月経ち、2022年が終わろうとしている。 毎度、恋愛やロマンスを絡めないと小説が書けないことが悔しくなる。 それでも、書くという苦行を通して向き合いたいものができたから最後まで頑張ろうと思う。 どんなおわりかたになるかはわからないけど。 冊子という形でも良いから、手に取れる形にしたいな。 みなさんに読んでもらえる日を楽しみに、頑張ります

        • 詰め合わせ

          関係ないことでも詰め合わせてみましょう。    昨日、朝見た悪夢が怖くて眠るのに困った。そうだ、いいことを考えよう!と思って1番最初に思い浮かんだのは、コーヒーにホイップクリームが乗った光景だった。ウインナーコーヒー。甘い食べ物の時は一緒飲めないけど、好きなんだ。    こんなに時計の秒針って聞こえたんだと気づく、1人になったばかりの朝    「わたしもう病院には行きたくないよ。そうだ、担当を分けよう。皮膚科と、耳鼻咽喉科と、歯医者、どれがいい?」  「あなたは皮膚科担当ね、

        ひのあたたかさ 

          愛おしくてたまらないんだ

          前の人の時もそうだった。 好きな人の子供時代の写真を眺める癖が治らない。

          愛おしくてたまらないんだ

          桜は、今時期どこでも見かける花だ。 それは、Instagramのストーリー、写真フォルダにも見かけるし、ふとした街の通りや、待ち合わせ場所なんかでも見かけるだろう。 それは、言ってしまえば全てバラ科サクラ亜科サクラ属の落葉広葉樹である。みんな同じ花だ。 でもどうしてだろう、私はその全てに対して同じように感動しない。 きっと、桜であることに意味はないのだ。 今年私が美しいと思った桜は、 バスで駅まで向かうときに見た、陸上自衛隊の駐屯地に咲いている桜 気になる人との

          もうはたちなのだから大丈夫

          変わり者の自覚のある私は、嫌われるのを恐れて、「あぁ彼は一般」、「彼女は常識人」と、幾度となく境界線を引いてきた。 自分がマイノリティ、サブ側にいると思い切ることで、マジョリティや、ポピュラーなものを遠ざけた。 大衆的なものと思ったら、それ以上理解しようとしなかった。 人に変わってる一面を見つけると、ひどく安心感を覚えた。 周りには見渡しても似たような人ばかり、狭い部屋の空気は美味しかった。 だけれどもう、そんなことばかりをしていてはいけないと気づく。 自分で自分

          もうはたちなのだから大丈夫

          後書きなのか、前書きなのかはわからないけど

          私は今、「光」(仮題)という文章を書いている。これは、文章としか言いようがないもので、完全フィクションでもなければ完全ノンフィクションでもない。 それは、この文章の出自が関係している。いつも、自分の人生で起こったこととそこから受け取ったものしか書けず、フィクションが書けないのが悔しくて「創作の世界」の集中講義を機に「光」を書き始めた。掌編を書くという最終課題で途中までは筆が進んだが、締め切りが近づいてからは少々投げやりに書いて提出してしまった。 この際だからはっきり言おう

          後書きなのか、前書きなのかはわからないけど

          無題

          なぜこうも難しいのだろう。

          季節は巡る、なんつって

          どうやら、春が来たらしい。 日差しがあたたかい。 アパートの垣根になっている山茶花の色は大分落ちた。 京都にある大好きな古着屋さんに行っても、あの店員さんとはもう会えない。 朝、暖房をつけなくてもベッドから起き上がれるし、 夜、行火(あんか)がなくても眠りにつくことができる。 くるりのジュビリーが自分の境遇と今の空気に合いすぎていて聞きまくっていたら、頭から離れなくなってしまって、逆につらくなっている。 特に、「なんで僕は戻らないんだろう」のところね。あ、深掘り

          季節は巡る、なんつって

          骨のこと。

          初めてニシンの骨を見た時の衝撃を今でも思い出す。 スーパーで何の気なしに割引されていたニシンを購入し、塩焼きにして食べた。 わたしはこれほど骨の多い魚に出会ったことが無く、身を全て食べきった後、その構造の美しさに感動した。 骨如きに感動するなんて馬鹿らしいと思われるだろうか。 でも私は、その日から骨のことが大好きになった。 魚の骨だけでなく、今はあらゆる骨にロマンを感じる。 骨は、人工物じゃない、生きていれば自然にできるものであって、生物の芯といっていいものだろう。(脊椎

          骨のこと。

          暮らす

          私は、おばあちゃんの綴る文章が好きだ。 私のおばあちゃんは、「元気ですか」ではなくて「元気に暮らしていますか」と書く。「いっぱい」と打ちたかったのだろうが、メールの文面にあるのは「いつぱい」だったりする。「今日のお昼ご飯はス パゲッテイですよ。」と教えてくれたこともあった。使う漢字や送り仮名が私の使うものと少し違っているのも、気に入っている。 おばあちゃんは熊本に住んでいるから、コロナウイルスのせいで、当分会えていない。元気に暮らしているだろうか。 高校3年生の頃、進路

          暮らす