美術に本当なんてないと思う

美術を大学で学び始めてはや3年。
日々いろんなことを思い知らされる。
今日はそのうちのひとつを書こうと思う。

私はムンクの絵が好きでして。
朝方や夜に入る前の青みがかった画面がすごく綺麗でしょ。良かったら他の作品も見てみてください。

エドヴァルド・ムンク《窓の外を眺める少女》

当然、ムンクと調べるとよく知られている《叫び》についての画像がたくさん出てきます。
そこで、動画のサムネイルに「ムンクの叫び、本当は叫んでいない?」と書いてあるものを見つけました。

ムンクの叫びの図像は、声を出して喚くと言う意味の叫びではなく、叫びを聞かないように耳を塞いでいるという話は、あなたもどこかで聞いたことがあるかもしれません。

きっとその動画の中では、本当(=ムンクが描いた背景として)は声を出して叫んでいるのではなくて耳を塞いでいるんだよという意味で「本当」という言葉が使われていたのだと思います。

どうして画家がその絵を描いたのか、何を描こうとしたのか知りたい人は多いし、私もそのひとりです。
「本当」という言葉は伝わりやすく、文脈的にも間違っているとは思いません。

ですが、ひとつ、思うことがあります。

作家の意図だけが「本当」で「正解」なのでしょうか?

私たちは、作品を見ていろんなふうに捉える権利があります。
《叫び》を見て、叫んでいる図像と思ったなら、それは間違いではないです。それはあなたの解釈なのだから。

絵に写っているのは確かにモデルの姿かもしれないけど、どれだけ写実性の高い絵に描かれている姿も、本当の姿ではなくって、画家が描いた像に過ぎない。

こんな話、美術やっているひとからしたら、何を今更って感じなんですけどね。

私は、未だに美術というものがわからない。
知っていることや気づいたことが増えても、分からないことばかりだ。
だからこそ追いかけ続ける甲斐があるのかもしれない。

どれだけ君を見つめても分からんことがあるなんて超ロマンだな

って泉まくらも歌ってたしさ。

お わ り


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