季節は巡る、なんつって

どうやら、春が来たらしい。

日差しがあたたかい。

アパートの垣根になっている山茶花の色は大分落ちた。

京都にある大好きな古着屋さんに行っても、あの店員さんとはもう会えない。

朝、暖房をつけなくてもベッドから起き上がれるし、

夜、行火(あんか)がなくても眠りにつくことができる。

くるりのジュビリーが自分の境遇と今の空気に合いすぎていて聞きまくっていたら、頭から離れなくなってしまって、逆につらくなっている。

特に、「なんで僕は戻らないんだろう」のところね。あ、深掘りはしないでください。

Jubileeって、旧約聖書で50年目の聖なる年のことで、この年に奴隷は解放されて、借金も帳消し、穀物の収穫はせずに自然に生えたものを食べるようにと書かれているらしい。いきなり解放されるのって、どんな気持ちなんだろう。自分の好きなようにできるけれど、得た自由が大きすぎて、心配と不安がつきまとうだろうな。それって春に似ているように感じます。(こんな時期に陽気が無いと辛すぎて死んでしまうから、)春はあたたかく優しいまま、その中身は残酷なままでいてほしい、私を含め、生きる人たちの自戒のために。



などと、悪くも、良くも、この季節が来てしまったと感じている今日この頃です。



P.S.

1,いろんな人と春の複雑さをわかりあいたいから、いつもは避けるけど、今回はあえてタグをつけてみます。


2,「良くも悪くも」としなかった理由はしっかりあって、「マイナスなことで終わると後味が悪くなってしまうから最後は良いことで締めると良い」という、どっかで聞いた術を使ってこの季節に救いを持たせたかったからです。察してと言うには無理があるので、格好はつきませんが説明しました。
春は決してハッピーな季節じゃないけど、読んでくれたみなさんのもとに多くの幸せが在りますように。

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