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#10【雑記・語彙力の十分条件とは】

語彙力の定義

 私に言わせれば「語彙力」とは「自分の感情や思考を相手に伝わるように(誰かに伝えるでないにせよ)きちんと自分の言葉で言語化できる能力」を指し示す言葉であり、決して日常生活で使わないような難しい故事成語の類を知っていることではないと思うのだ。重なっている部分があるにせよ、それらはむしろ雑学知識の領域だろう。語彙力の本質は「言語化できる能力」であり、もっと踏み込むなら「何を言葉にして、何を言葉にしないか弁えることができる能力」と言っていい。
 感覚的な話なので理解を得られるかは自信がないが、人間の感情というのは一様ではなく時に相反する感情が混在する混沌とした海の様なものだと考えている。その中から自分が思うように言葉を紡いで出来るだけ取りこぼすことなく自分の考えや思いを掬い上げれるかが肝心要であるというのが私の信条だ。
 九州大学言語文化研究院の公開講座「世界の新語から読み解く令和の四年間」というイベントに参加した際に講師の先生が「若者の間から新語が産まれると云うのは私に言わせてみれば違います。むしろ、そのような若者言葉は一過性であり均された言葉であることがほとんどです。」が仰られていたことが大変に印象に残っている。
 常々思うのだが、外国語学習において見落とされがちで実はかなり大事な要素として「母言語で十分な言語運用能力を有しているか」は大いにあるだろう。逆説的だが母言語の言語能力を高めることが外国語学習の近道と言わないまでもかなり道のりを楽にしてくれるのは間違いない。

「ヤバい」と頻繁にいう人は危ない

 「ヤバい」「パない」と言って自分の感情を言語化できない人ははっきり言って大嫌いだ。そんな貧相で稚拙極まりない均された言葉を使う人に自分の感情をいくら伝えてもその機微は読み取ってくれない。テンションが上がって使う分には構わないが日頃からそんな言動だと信頼を置けないし、親交を深めようとも思わないのが本音だ。逆に言えば、きちんと自分の言葉で語れる人は信頼がおけて親交を深めたいと思える素敵で魅力的な人の部類である。

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