いつまで経ってもな

かすかな朝の光が差し込む部屋で、私は教える。
大人に、子供に、その違いを越えて。
真理を伝えること、その意味を知ること。
口出しし過ぎず、導くことの難しさを知る。

大人は既に歩いた道を持つ、古い地図を手にしている。
その地図には刻まれた傷跡、選ばれた道。
しかし、地図にない新たな道もまた、存在する。
彼らに教えること、それは地図を捨てる勇気を持たせること。

子供は真新しい紙、まだ描かれていない未来を前にしている。
その紙に何を描くべきか、私も知らない。
彼らが自らの手で描くその瞬間を、見守ることが教え。
彼らの手を引き過ぎず、自分の足で立つその時を待つ。

最短の道を行かせず、迂回路も時には必要だ。
道に迷い、立ち止まること、それもまた旅の一部。
その迷いの中で見つかる景色、それが彼らの力となる。
教えること、それは答えを与えることではない。

周りを見てと、何度も伝えた言葉。
目の前のことだけに囚われず、広い視野を持つこと。
周囲の変化に気付き、自らの立ち位置を知ること。
その中で成長する力、それを信じることが教師の務め。

何でもかんでも教えること、それは教えることではない。
知らないことを認める勇気、それが大人にも必要だ。
無知を恐れず、問い続ける姿勢を示すこと。
子供にはその姿を見せる、それが最大の教え。

教えるとは、支え、導くこと。
しかし、その支えが過剰になれば、彼らの成長を妨げる。
適切な距離を保ち、見守ることの大切さ。
彼らの自立を促す、それが真の教育。

大人も子供も、それぞれの歩む道は異なる。
しかし、その根底に流れるものは同じ。
自ら考え、自ら選ぶ力を育むこと。
その力を信じ、背中を押すことが我々の役目。

教えられる側もまた、教師となる瞬間がある。
その時、彼らは何を教えるのか。
過去の教えが、未来への橋となるように。
その橋を作るために、今ここで私は教える。

最短の道を行かせず、周りを見てと伝え。
何でもかんでも教えず、考える力を養う。
教えること、それは答えを与えることではなく、問いを与えること。
その問いの中で彼らが見つける答え、それこそが真の学び。

教えることの難しさ、その重みを感じつつも。
その道の先に広がる景色、その美しさを信じて。
大人に、子供に、そして自分自身に教え続ける。
それが私の使命、私の詩の一部。

教えること、それは終わりのない旅。
その旅の中で見つかるもの、その全てが宝。
大人に教えることも、子供に教えることも、
その違いを超えて、共に成長する瞬間を迎えるために。

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