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挫折あり、前進ありの日々


「長かったコロナ禍がやっと明けましたね」という書き出しで始められたらよいのに、と思いながら3巡目の〈note〉当番です。各種データ分析やワクチン接種が進み、社会が感染対策に対応するようになり、人々も「正しく恐れる」知識を積み上げてきました。そんな社会変容が進み、当初に比べれば未知のものへの恐怖感が薄れた気がします(いい意味で)。これで治療薬が一般的になれば、トンネルの出口が見えるのではないかと期待しています。

To each their own...

最初はまじめな話から。
恐怖が先行していた時期には見えなかった(気づかなかった)考え方の違いを知る機会が増えたように思います。とくにワクチン接種が進むにつれて、このまま繰り返して大丈夫なのか、同調圧力ではないのか、特定企業や国の陰謀では、といった見解をSNSで発信する人が増えてきました。
私自身はSNSで「政治・宗教・人種・ジェンダーをテーマにしない」と決めています。知り合いが異なる見解を発信していても「そうか、私と違うんだ、この人」と受けとめ、求められても同調しませんし、反論する気もありません。世の中、賛成と反対だけで決まるものではなく、もっと複雑で繊細なもの。議論や討論自体への抵抗感はないので、それが許される状況では本気でするのですけれどね。

Guitar is so difficult. Am I flame-out?

次にちょっと緩い話を。
コロナ禍で「おうち時間を活かしてXXを学び始めた」「オンラインでヨガを始めた」「自炊するようになった」「断捨離中」といった話をよく聞きました。もともと在宅時間が長く、料理は毎日だし無駄に片付け魔。どれにものっかることができず、変化に飢えて古いアコースティックギターを取り出して手入れをしました。爪を短く切って、友人お勧めのデジタルチューナーを購入し、嬉々として音を合わせたところでなぜか気分がフェイドアウト。よさそうな動画サイトを見つければ弾けるようになるはず、という読みが甘かったのでしょうか。結局、ピアノを弾いてストレス解消するという以前と同じ生活……。不安が大きいときは意欲がわきにくいものだ、というのが私なりの分析なのですが、世間ではこれを「挫折」と呼ぶのかもしれません。

I tried to study, but...

そこでちょっと方向転換を。
TOEICに挑戦しようかと思ったものの、明確な動機がないせいか準備が進まずに今日に至ります。スキマ時間に勉強しようと考えたのですが、始業前以外無理だと確信しました。終業後は頭が疲れた状態からの家事という流れがありますし、休日もいろいろある。
時間を言い訳にしたくない性分が裏目に出て、「私の仕事は毎日が勉強だから」と言い出す始末。さすがにこれはまずいと反省しています。

I don't feel like giving up on art.

それでも守りたかったこと。
緊急事態宣言下で、開催したり休館したりというタイミングを逸して行き損ねた「佐藤可士和展」を教訓に、心から見たいと思う展覧会には行こう、と決めました。これを諦めると心が枯れてしまいそうで。
昨年はEugene Smith展、今年は木村伊兵衛展という2つの写真展を訪れることができて、私にはこういう時間が必要だったのだと再確認しました。そして、今月は何年かぶりにライヴに行く予定があります。コロナ禍での開催条件であるno call, no responseを遵守して楽しみたいと思います。今はまだがまんの時。現地集合、現地解散で。

Nobuko Yazawa

時代を感じるストラップ

楽譜を入れていた袋もまた懐かしい

挫折の大先輩・テルミン


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