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Concierge Story [54歳で東京のスタートアップに就職できたことは、奇跡に近い。]<後編>

コンシェルジュという仕事は、今まで生きてきた人生経験の全てが活きる。
・・・と、今なら言える。

50を過ぎてパート主婦からスタートアップの社員へ、ライフチェンジ。
ずっとどこかの会社に在籍しながら、
「人事畑20年です」とか「PRと広報を外資系でやってきました」とか
そういう誰が聞いてもキャリアね、と言えるものが直近の25年の中で
全くない私にとって、喜びと感謝で就職したものの1年近くは
悪戦苦闘の毎日だった。

前編はこちら。

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カタカナ語襲来と、1冊の本との出会い

格闘その①:数十年ぶりの電車通勤でSuicaのチャージにすら戸惑う。
格闘その②:会社での立ち位置と、求められるものに対する成果に悩む。
格闘その③:リソース、ソリューション、エンゲージメント、
ダイバーシティ、インクルージョン、ステークホルダー。
みんなが普通に使うカタカナ語にポカ〜ン。

20代の頃の仕事のノウハウなど通用せず、全てがここから始まるという
かなりのエネルギーを必要とする世界で次から次へと目の前に現れる
高い壁を無我夢中で乗り越えていく。
私って意外とパワフル?と思いながら、自分で自分を励ましていた時、
オフィスの本棚に何気なく置いてあった1冊の本と出会う。


薄井シンシアさん


「専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと」

シンシアさんは17年間の専業主婦生活と全力投球の子育て期間を経て、
お子さんの母校のカフェテリアで、いわゆる「給食のおばちゃん」
として働きだし、主婦業の時に鍛えられた
「毎日、献立を家族のために考える」というスキルをフルに発揮。
予算に見合った美味しいレシピを考えて、
カフェテリアを子どもたちに人気の場所へと改善。
その後、日本で電話受付のパートをした後、
ANAインターコンチネンタルホテルへ入社。
どこの職場に行っても、全力で主婦をやってきたスキルと
芯の通った強いメンタルと向上心、持ち前のガッツで、
どんどんステップアップ。
今や、5つ星ラグジュアリーホテルの副支配人✨✨
私の憧れの人、シンシアさんは言う。

「専業主婦はいかにマルチタスクの達人であることか」

なるほど・・そうか。
そこで、ふと思い出したみた。

主婦だった頃の私の生活

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娘の幼稚園時代は園の方針であるシュタイナー教育を学び、
子どもの意欲や集中力を削がないように日々、娘と真剣に向き合った。
ひらがなや漢字やアルファベットを覚えるより、海に行き、山を歩き
星を眺め、虫や動物を手にとり、泥んこになって日が暮れるまで遊ぶ。
絵本の読み聞かせを毎日行う。
プラスチック製のおもちゃやゲームを無意識に与えない。
抱っこを惜しまない。五感を使う。強制しない。
いわば、非認知能力の発達と遊びが全て。
そこに、全力で関わった。

小学校低学年の頃は、掃除洗濯炊事の合間にPTAの仕事をこなした。
先生やママ友と打ち合わせ、行事を行うとなれば
外部の業者とも打ち合わせ。予算管理に先生方への根回し。
資料作りに後片付け。仕事の分担をお願いするママたちに、
嫌と言われないよう言い方を考えながら丁寧に説明。
当時は携帯電話がないからメールもない、連絡は全て家電。
月々高額になる電話代も、もちろん学校からは経費出ず。
生活費の足しにするため、コピーライターのキャリアを生かして
在宅ライターの仕事もした。夫はなぜか転職続き。
今や、有名になった<エイチーム>で、
美容と健康アプリ「ラルーン」のコラムを書く仕事をした。
クラウドワークスで見つけた、結構楽しい仕事だった。


その後は、学校司書として仕事をしながら親の介護。
10代から80代まで家族5人が納得する献立を考え、予算内で買い物。
義父は重度の糖尿病だから、油物やカロリー高い系はNG。
だけど、働き盛りの夫と育ち盛りの娘もいる。義母は認知症。
だんだん嚥下機能が衰えつつあり飲み込みが困難だから、一旦作った後に
母の分だけミキサーで細かくする。そして、自分の食事もそこそこに
スプーンで母の食事の介助。夜中に徘徊したり起き出して、
突拍子もない行動をしないように歌を歌って心を落ち着けながら、
1時間かけて母を寝かしつける。

こうしたマルチタスクな専業主婦の毎日を、シンシアさんは、
営業スキルと比較しても、なんら卑下することはないとおっしゃる。
自信を持ってこれまでの自分のやってきたことを語り、
子育てを終えた50代の専業主婦に今こそ、その経験を使って
社会の労働力の中心へ!と叱咤激励する内容。

びっくり。そして感動。

書類選考で年齢と職歴「パート主婦」で速攻で落とす人事担当者にこそ、
読んでもらいたい!と本気で思った。そう、シンシアさんの言う通り。
主婦ってすごいんですね!と手放しで認めて欲しいわけではない。
スタートラインに立つチャンスが欲しい。一人前として見て欲しい。
とりあえず、使ってみてください。
そして、少し時間をください。
成長する期間を与えてみてから判断してください、と言いたい。

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「シンシアさん、私も54で再就職しました!スタートアップです!
ここに、あなたが働いたらどう?と言っている主婦からワーカーになった
50代いますっ!」とファンレターを書きたいくらいの気持ちになった。

そのシンシアさんも言う。

世の中に認めてもらうためには、50代にも覚悟が必要。
ちょっと注意されたくらいで、嫌われた、否定されたと勝手に被害者意識を感じて卑屈になり、努力しないのはバツ。
足りないスキルは覚えて身につける。
若い世代との人間関係も年上意識を前面に出さない。

(シンシアさん、私それ、頑張れそうな気がします。)


芸術系の大学出身で、1年生の時からチームで作品を作り上げ、
「0から想いを形にすること」がもともと大好きな私には、
スタートアップの空気は肌に合う。
よくわかってもいないくせに、アイディアとか意見とかを、
臆面もなく発表したり。
家族の誰もが心配していた、鎌倉の自宅から六本木までの
長い電車通勤も苦にはならなかった。

シンシアさんのいうように、まずは与えられたこと、自分にできることを
一つ一つこなしていって、実績を作っていくこと。
そうすれば、3ヶ月経った時に
10のうち5くらいはできるようになっていて、
少しは自信がついていくのかも。

1に忍耐、2に忍耐、3に忍耐。
中高年が再就職できるチャンスをもらったなら、その一歩を大事にしたい。簡単に捨ててはいけない。その忍耐は辛いことではない。


そして、コンシェルジュ

コーポレートコンシェルジュという聞き慣れない事業を展開するTPOで、
コンシェルジュとして何とか頑張ってきた1年半。
どんな職場でも、人の悩みや相談事は変わらないと知った。

私が主婦時代に考えてきたこと、悩んできたことと
同じような相談がやって来る。

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子供の教育のこと、引越しの相談、夫や家族との問題、親の介護、
犬も一緒に泊まれる温泉宿、子どもに良い刺激があるアクティビティ、
ダイエット、腰痛・肩の痛み、不定愁訴、離婚、米寿のお祝い品探し、
香典返し、七五三、子どもの習い事、留学、家の改修、相続、
子ども連れで泊まれる海の見える宿、オンライン英会話、ゴルフ場。

人生に無駄なことなはい。
そして、幾つになっても遅くはない。
何かを始めようとすること、新しい世界に飛び込むこと、仕事を得ること。
少子高齢化時代になって、70まで働き続けないと
年金で生活もできないご時世に、健康であり続けることが
大きなテーマになるシニア世代は、チャレンジすることを
億劫がってはいられない。
そして、好奇心を忘れず行動に移しながら、
いくつかのコミュニティを持つことが豊かな老後を過ごす秘訣。

サントリーの新浪剛史さんとの対談の中で、
教育改革実践家の藤原和博さんは言っている。

「富士山型でなく八ヶ岳連峰型で50代以降は生きよう」

今まで、自分が仕事にしてきた世界のほかに、
いくつかの場を持ち仲間を作る。
頂点を極めたら、あとは降りてなだらかになって
盛り上がっていかない富士山型より、
何度も人生に尾根があり、谷があり、また峰が連なる八ヶ岳連峰のように、ずっとアップダウンが繰り返される人生。

コンシェルジュの仕事から始まった54歳からの挑戦は、まだまだ続く。

(文:コーポレートコンシェルジュ田中水美)

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