心の中に、「いっぱいいる」


昨日、ずっともやもやしていました。

そしてもやもやの正体が分からず、ず〜っともやもやしていました。

一回結論が出たような気がしたのですが、やっぱりそれも違うような気がして、長い時間うじうじうじうじ考えていました。

 そして、丸一日考え続けてやっとわかったんです。多分私、「誰かに必要とされたかった」んです。

 実家に帰ってきて、毎日好きなことをして過ごしています。好きな時間に起きて、NBAやアニメを見て、本を読んで、眠くなったら寝て・・・側から見てすごく幸せな生活です。

 でも、子ども食堂で働いていた時のように、大学時代で友達と遊んでいた時のように、「誰かに必要とされている」という感覚を得られない生活です。

 ではなんで「誰かに必要とされている」感覚が無かったらもやもやするのでしょうか?根拠も何もないですが、こういう理由かもしれません。

  人類には強靭な牙も爪も無かった。だから集団で助け合っていくしか無かった。だから、その進化の過程で「人に必要とされたい」っていう欲求が遺伝子に組み込まれた。

どうでしょう??「ぽく」ないですか??

 

 そんな遺伝子は私に対して「働け!」、「誰かの役に立て!」って一生懸命訴えていたんです。

 でも、そんな遺伝子の訴えなんてちっぽけなものだから、「なんかもやもやする」って感じるだけで、全く気づいてあげることができませんでした。

  そして・・・、丸一日かかって、やっと見つけ出しました。不思議なんですが、その遺伝子はちっちゃい頃のT .Puの姿をしているような気がしました。本当に一生懸命訴えたんでしょう。声はガラガラで頬には涙の跡が見えます。

 私はそんなちっちゃいT.Puを見て、「気づいてあげられなくて、ごめんね」って思いました。

 多分私の中にはちっちゃい子どものT.Puがたくさんいて、何か気に入らないことがあると訴え始めるんです。

 それを無視し続けると、子どもT.puは疲れて声が出せなくなります。すると私自身も疲弊して、体にも不調が出始めたりするんでしょう。

 だからどんなに小さなもやもやでも、それはちっちゃい自分からの必死の訴えなのだと思います。真剣に向き合う必要があるなって思いました。


 
 私は「必要とされたいT.Pu」と向き合い、彼の要求を聞きました。彼の要求はわずか1つ。「誰かの役に立て」でした。

 そんな彼に対して私はこう答えました。

 「4月から子どもの成長の役に立てるように頑張るから、3月はその準備期間ということでいいかな??。それまではとりあえず、家事とか頑張るよ」

 彼はちょっと不満そうでしたが、渋々ながらそれを受け入れてくれました。

すると心のもやもやは消え、

「早く先生になりたいなあ」

っていう気持ちだけが残りました。

これには自分でも驚きです。これまで「自分なんかに先生が務まるのか??」っていう不安が勝っていたので、「え?先生??ちょっと待って・・・」っていう気持ちだったんです。

 私は気づかされました。ちっちゃい自分に。

 「学校で働かされる」のではなく、「学校で働かせてもらう」んです。

 「先生になる」のではなく、「先生をさせてもらう」んです。

 「やらされる」のではなく、「やらせてもらう」んです。

 私はこれまでそれを履き違えていたように思います。私は4月から先生になるわけじゃありません。子どもたちが私を必要としてくれて初めて、先生になるんです。

 だから私は、子どもたちに「先生は先生だよ!」と認めてもらえるように努力しなきゃなって思いました。

 そして、先生は肩書きではないってことに気づけたおかげで気持ちが楽になり、心の底から4月が楽しみになりました。

 
 結果的にちっちゃいT.Puの1人に大事なことを気付かされる形となりました。

 私にこれを気づかせるために彼はぐずっていたのでしょうか????

 まあ・・・たまたまでしょう。彼もT.Puですから笑



 皆さんの心にも「いっぱいいる」のかもしれません。耳を済ませてみてください。自分の中のから”ちっちゃいの”の声が聞こえてきませんか??

 ここまで読んでくれてありがとうございました!!



 

 

 

 


 

 

 

 

 

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