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全てに意味を求める必要はないのかもしれない


○意味を見出せないこと

 

 「この英語の例文集やって何の意味があるの??」、「このミーティングってやる意味ある??」、「卒論って書く必要ある??」、「模擬授業で何の力が測れるの??やる意味ある?」、「定期テストやる必要ある?」、「そんなに掃除する意味ある?」、「宿題って意味ある?」、「古文・漢文って何のために勉強するの??」

 私はこれまでいくつもいくつも、意味を見出せないことに直面してきました。

 意味を見出せないと、私は途端にやる気を失います。部活のように、半分軍隊のような組織で強制的に動かされない限り、意味がないと判断したことには頑なに取り組みませんでした。

 例えば高校の時の英語の定期テスト。教科書に載っている英文を丸暗記して解かなければいけない問題がかなりの割合で出題されていました。

 私は「今後一切出てこない英文を丸暗記して何の意味があるの?」って思ってしまい、定期テストの期間中、英語においては受験用のテキストを勉強していました。

 その結果、定期テストはもちろん惨敗。貴重な昼休みに再テストをすることになってしまいました。

 そんな経験をしても、私はこの英語のテストで点数をとるための勉強をしませんでした。その結果、何度も何度も再テストを食らいました。

 ここで冷静になって私の英語のテストとの向き合い方を振り返ります。

 まず、私は損をしていないか。自分の時間も先生の貴重な時間も奪っていることから、大損していると言えるでしょう。

 そして、本当にあのテスト形式には意味がなかったのか?テストを作っている先生方は英語のエキスパートです。そんなエキスパートが意味のないことをさせるでしょうか??

 

 そもそも私にとっての意味のないことって何なんでしょうか??

 今回は、最近気づいた私なりの「意味の見出せないことへの向き合い方」について整理する記事にしたいと思います!

 それではよろしくお願いします!


○「意味を見出せないこと」の正体


 ✅「上の人が作った、妥当じゃない指示や仕組み」説

 「意味を見出せないこと」に直面するのは、受動的に何かしらに取り組むときです。「〜に頼まれた仕事」、「学校のルールだからやらなきゃいけないこと」などです。

 受動的に何かしらに取り組むときに「これは意味がないな」って思ってしまうということは、能動的に私たちを動かす者や仕組みが間違っているんじゃないかっていうのがこの説です。

 これは・・・あるのかもしれませんが、きっと僅かなんだと思います。

 私は以前「意味のないこと」は、それを押し付ける人が全部間違っていると思っていました。

 しかし、きっとそんなことはないのでしょう。その理由はこれからの説の説明の中で述べていきたいと思います。


 ✅「私が未熟だから意味を見出せなかったこと」説

 いくら「意味がある」って思って作られた仕組みも、受け取る私が「意味がない」って思ってしまったら、それは「意味のない」ことになってしまいます。

 では、ここで言う仕組みっていうのは誰が作っているのか考えてみましょう。それは一言で言うと、偉い人たちだと思います。

 国であれば政治家、企業であれば社長、学校であれば校長、学級であれば担任と、その集団の中で一定の権力を持っている人が仕組みを作っていくことになります。

 そして、偉い人たちは大抵その集団の誰よりも経験豊富で博識です(そうであって欲しい!)。そんな人たちが作ったルールであれば完璧では無くても、少なくとも私が考えるよりは合理的なはずです。

 だから、仕組みを理解する私がまだ未熟で、その仕組みの価値を完全に理解できていないから、「意味がない!!」って思ってしまうんじゃないかっていうのがこの説です。

 これはめちゃくちゃあると思います。

 例えば先ほど挙げた英語の教科書の丸暗記。もし、教科書の英文の内容を全部覚えていれば、同じような文法が出てきた場合、物語を思い出すだけで対応できたりします。あのテストの出し方には、私が気づいていなかった大きな意味があったんです。


 ✅「私がやりたくないこと」説

  そもそも、私自身がやりたくないことに対して「意味がない」っていう意味付けをしているっていう可能性です。

 これも大いにあるんじゃないかって思ってます。

 教科書の英文の丸暗記も、私自身がやりたくなかったからそれらしい言い訳をつけて、「意味がない」って意味づけていただけかもしれません。

 現に、私の好きな社会でも同じような丸暗記を強いられる場面がありましたが、それに対しては何も文句を言わずに取り組んでいました。

 結局、私にとっての「意味があること」、「意味がないこと」は「やりたいこと」、「やりたくないこと」なのかもしれません。


✅「自分の社会に合っていない性質を体現したもの」説

 私はこの説が本質だと思っています。

 先ほど、「上の人が作った、妥当じゃない指示や仕組み」説を唱えました。

 きっと上の人は多くの人が妥協できるギリギリのラインを攻めて仕組みを作っているのだと思います。

 そして、社会っていうの多様な考えや価値観を持つ人々で構成されています。そういう人たちの平均値をとって作られたものが今の仕組みなのであれば、当然その平均からはみ出す人たちもいるわけです。

 極端に全てがはみ出す人はあまりいないでしょう。「この仕組みは納得できるけど、あの仕組みは納得できない」って考えている人がほとんどだと思います。

 逆に、全てが平均値に収まっている人もほとんどいないでしょう。「この社会の仕組みは全て正しい」と感じている人です。そんな人いたら逆に怖いです。

 だから、誰しも「世の中の平均値に収まっている」性質と「世の中の平均値からはみ出している性質」を備えていると言えます。

 そして、その「世の中の平均値からはみ出している性質」によって、「意味を見出せない」という風に感じるのではないでしょうか?

 私は英語の定期テストの勉強の仕方においては、学校内の平均からはみ出していたんでしょうね・・・。



 ここまで4つの説を唱えてきました。私的にはどれも、あり得る説なんじゃないかって思っています。

 ただ、やはり4つ目の説があるが故に他の説が成立しているのではないかと思います。

 なので、「なぜ社会には『意味がない』と思えるようなことがあるのか?」という問いには、

 「社会は多くの人で構成されているため、全ての人が『意味がある』と思える仕組みを作るのは極めて難しいから」

というように答えたいと思います。

 

当たり前すぎる結論になりましたね笑

 


○意味を見出せないことに、向き合う

 

 人間が社会の中で生きている限り、「意味を見出せないこと」に直面することは仕方のないこと。

 「意味を見出せないこと」の正体を考えていく中で得られた結論です。

 では誰もがそれらに直面するとして、どう処理すれば良いのでしょうか??

 大きく分けて2つの対処法があると思います。


 1つは「意味を見出せないこともあると割り切った上で、自分なりに新たな意味づけをする」です。

 例えば、クソ面倒な書類の整理があったとします。この書類を一生懸命整理しても、棚にしまった時点で二度と日の目を見ることは無いことがわかっています。

 「この仕事には意味がないな」

 ほとんどの人がそう思うでしょう。しかし、それを愚痴ったところでこの会社の体制は変えることができそうもありません。

 だから、

「世の中には意味のないこともある。」

と割り切った上で、

「この書類整理を20分以内に終わらせられたら今日は寿司を食べにいこう」

というように、無理やり意味付けしてやるんです。

 そうすれば「意味がない」ってことに嘆いてダラダラ仕事をするよりも、はるかに目的意識を持って仕事に取り組めるでしょう。


2つ目の方法は「仕組みを変えられる地位まで上り詰める、同じ不満を持つ人を集め多数派を結成する」です。

ちょっと前に、世の中の仕組みはみんなの平均値をとって、偉い人が作っているというように述べましたが、実は世の中そう単純じゃなさそうです。

 残念ながら、世の中には偉い人の独りよがりであったり、偉い人の利益のためだったりと、明らかに偉い人しか得をしない仕組みもあったりします。

 さっきの書類整理の例なんてまさにそれです。二度と見られない書類整理をさせるなんて、偉い人が職場の管理を怠っているとしか思えません。

 しかし、それに愚痴をこぼしたところで何も変わりません。どうしてもその仕組みを変えたいのであれば、

 自分が仕組みを作る側になる

 多数派を形成して、異論を唱える

しかないんだと思います。


 

○学校で、こういうことをもっと教えるべき


 子供たちにはこういった社会のお約束をもっと教えるべきだと思います。

 仕組みに対して、不満があったとしても自分達が取れる選択肢は大きく2つしかなく、

 「仕組みに従うか」「仕組みを変えるか」の二択しかないという社会のお約束があるということを。

 

 最近、ブラック校則が問題になっています。明らかに児童・生徒の尊厳を傷つけるようなものは直ちに学校主体で変えていく必要があると思いますが、このような校則はどうでしょう?

「靴下は黒か白のみ」

お洒落をしたい盛りの学生たちにとっては死活問題かもしれません。気持ちはめちゃくちゃ分かります。

 しかし、別にこの校則があっても誰かが極端に傷つけられることはありません。こういうグレーゾーンの校則こそ、良い教育機会になるのではないかと思うんです。

 「この校則を変えるには、署名を集め、一定の署名が集まったら先生たちが納得できるようなプレゼンをし、そのプレゼンが理にかなっているものであれば靴下の制限を無くします。」

「あなた達には2つの選択肢があります。『校則の範囲内で最大限の工夫をする』もしくは『自分が苦労してでも校則を変えて、白と黒以外の靴下で過ごせるようにする』です。」

「校則を変えないまま校則違反をした場合、あなた達はペナルティを受けます。社会とはそういうものです。法律を変えないまま法律違反をしたら、逮捕されてしまいます。選択は自由です。どちらを選びますか?」

 というように問いかけたらどうでしょう。

 仕組みに従うか、仕組みを変えるしかないってことを、子供達は実感できるのではないでしょうか。


 子供達は学校でたくさんの「意味の見出せないこと」に出会うでしょう。

 それは学校の仕組みがおかしいからなのかもしれないし、子供達が未熟だからかもしれません。

 そのような葛藤を子どもが抱えているときに、「意味の見出せないこと」との向き合い方を一緒に考えてあげるのも、教師の大切な役割なのかなって思います!!


 ここまで読んでくれてありがとうございました!!ご意見や反対意見などありましたら遠慮なくコメントで教えてください!!勉強になります!




 

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