別に、先生辞めてもいいや
先生になってからというもの、毎日が理想と現実がぶつかり合いです。
そんな日々を繰り返すうちに、ふとこう思いました。
「別に、先生やめても良いや」
その途端、心がすっと軽くなったのを感じました。
なんでそんなことが起きたのか。今日はそれを記事にしていきたいと思います!
では、よろしくお願いします!!
最近、学生時代に自分が書いた記事をよく読みます。毎日仕事でいっぱいいっぱいになっていると、自分の軸が分からなくなるからです。
そして、常に自分がどんな先生になりたかったのかを思い出す努力をしています。
私の目指す先生はこんな先生です。
子どもの幸せを共に考え、それを叶える手段を共に探し、子どもが幸せになるのを見届けられるような、そんな「伴走者のような先生」です。
そして、今それができているか。
完全にできてはいないですが、できるよう努力しています。常に意識はしています。
でも、それを阻むものがたくさんあるわけです。宿題チェックや、提出物チェック、授業準備など、常に片手間に子どもの相手をしている感じです。
だから、宿題チェックを手を抜いたり、他の先生が頑張っているところを手を抜いたり、そんなことをしながらやりくりをしているんです。
しかし、当然ですがそういったサボってるところが見つかれば注意されるわけです。ド正論ですし、サボってるこっちが悪いので、「次から気をつけます!」って言います。
そんなことを繰り返していると、
「自分って先生向いてないのかな?」とか
「あと40年も先生続けられるのかな?」とか
思っちゃったりします。
ところが一昨日、「はっ!」って思ったんです。
「あれ、私の目的って先生を続けることだったっけ??」
「違うわ!!!子どもの伴走者になることだ!!」
「もっと言えば、子どもの伴走者になって、人の役に立ててる実感を持って、自分が幸せになるためだ!!」
って気づいたんです。
多くの人がそうだと思うのですが、私は「誰かの役に立っている時」に幸せを感じます。
でも、僕はポンコツで、そう簡単に人の役に立つことはできません。
ただ、一つだけあったんです。人の役に立てる場所が。
それが、子どもと関われる場所だったんです。
子どもと関わる場所において、僕は大きな貢献感を得ることができ、それで幸せを感じることができていました。
だから、「教師」という仕事を選び、「教師」の仕事の中でも、特に自分が得意な分野である、「子どもとの関わり」といったフィールドで幸せになろうとしていました。
長ったらしく言いましたが、つまり僕は、
自分が幸せになるために、先生になったんです。
だから、もし先生を続けることが幸せにつながらないなら・・・
「別に先生辞めてもいいや」
って思った次第です。
そう悟って出勤した昨日。すっごく楽しかったです。
「幸せじゃなければ辞めていいや」と思うことで、一つ一つのミスに落ち込んで「あと40年」とか考えることがなくなり、目の前の子どもに集中できるようになりました。
子どもと関わることが、自分の幸せにつながっているということを、思い出しました。
思えば子ども食堂にいた頃は、「後何年・・・」とか考えず、目の前の子供に接していました。
僕の顔についている大きな目を、あるかも分からない不安な未来を見つめることではなく、目の前の子どもを見つめることに使うことにします。
そのために、「別に先生辞めていいや」
って思いながら、先生を頑張っていきたいと思います!!
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