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「霊視調査 ~マギ ルミネア編~」 #12

第三章 五

 中学二年生になり、真木まきは『マギ ルミネア』と寮生活にも随分慣れてきていた。
 この学校の利点の一つ。
 それが、食堂のご飯が美味しいことだった。
 素材の良さを活かした凝ったメニュー。名門ホテルの料理長を務めた人物が考案したメニューも度々あり、勉強を頑張ったご褒美として文句なしの美味しさだった。
 ダイエット用にヘルシーメニューも意外とそろっており、あまり食べたことはないが、こちらも人気のようだった。
 山の中に学校が位置しているため、海産物はあまり提供されない。ただし、清流の中で育ったヤマメやイワナなどの川魚は時々提供される。
 真木にとってはヤマメとイワナの違いなど、この学校に来るまでは少しも知らなかった知識だった。
 ヤマメには楕円状の黒い斑紋が側面に見え、対してイワナは白い斑点が側面にあり、腹側からうっすらと灰色っぽいグラデーションがかかっていることが違いだった。
 その日も昼食を食べ終え、昼休みは校庭に出ているときだった。
 校庭に出ても小学校とは違い、外に出てサッカーやドッジボールをする生徒はまずいない。そもそも、スポーツを志し、プロになりたいと言う生徒は『マギ ルミネア』には、ほとんど入学していなかった。
 真木は小さなスケッチブックを取り出し、鉛筆で比率を図りながら花壇の花をスケッチする。
 烏堂うどうは、それをつまらなさそうに横で見ているのがつねだった。
 烏堂にとっては、目にしたままの光景を写すことに何の意味があるのか、と言うのが、お決まりだった。
 真木が、ただ写すだけではないと言ってみても、あまり聞く耳をもってくれない。
 どうも、烏堂は実利を生み出すような技術に対しては理解できるが、美術となると、どこが良いのやら不明だというのが彼なりの主張だった。
 わからないやつだな、と真木は思ったが、色鮮やかな絵筆で日暮れの空を染め上げるのが真木は好きだったし、鉛筆で濃淡をつけて、動物達の触れると今にも包んでくれそうな毛並みを描くのが好きだった。
 その他にも、革細工で小物をつくったり、紙をすくようにマーブルアート作品をつくるのが好きだった。
 感覚でとらえるしかなかった色彩空間や対象が纏う雰囲気が具現化するのが好きだった。
 自分自身がとらえた世界は他の誰にも描けないし、つくれない。
 そのことは、言葉をどんなに集めてまとめようとしても、烏堂に上手く伝えることはできなかった。
 おそらく、どんなに時間が経とうとも。
 
 
 午後の授業を終えた後、真木は美術部での活動に取り組んだ。
 教員から今日の課題を渡され、課題に黙々と取り組んでいると、ふいに活動終了の鐘が鳴った。
 真木は、囲碁・将棋部にいた烏堂を伴って、寮へ帰ろうとしているところだった。
「真木君」
 二階から階段を降り切ったところで、落居おちいが話しかけてきた。
 二年になっても落居とはクラスが同じで、聞いた話では、このまま三年間持ち上がりクラスで卒業するとのことだった。
 つまり、落居とは、ずっとこのままである。
 人間関係に支障をきたしたくない真木にとっては辛いところだった。
 
 ふいに、落居は意味ありげに真木のそばに寄った。
 真木は落居に顔を向け、いつもの彼女とは違うことに気がついた。
 肌着で隠れてはいる。
 だが、よく見ると黒のブラトップが肌着の下にのぞいている。
 それだけでなく、黒地に大柄の花が描かれたブラを、どうも着ているように見えてならない。明らかな校則破りだ。真木は、さっと視線を外した。
 対して、落居はじっと真木の顔を見つめている。真木は耐え切れなくなって視線を床に落とした。
 
「どうしたの?」
 落居は真木にたずねる。
 だが、相手の反応を冷静に観察しているのが、真木にも声音でわかった。どことなく、とぼけたような声だったからだ。
 落居は真木の腕を触ってくる。
「真木君、あたし……」
 真木は、落居の手が触れた腕を引いた。
 そのまま黙って踵を返す。
 後に残された落居が、どんな表情をしていたのかはわからない。
 そのときは、わかりたくもなかった。
 ただ、急いでその場を立ち去らなければと一心に思っていた。
 
 
 翌日になり、いつも通り授業を終えた後、教員から女子生徒だけ教室に残り、男子生徒は寮に帰るよう指示があった。
 寮の自室に戻ると、真木は英語科で出た宿題を元に、ノートに答えをまとめていた。
 
 ふと、ノートに書き綴る手を休めると、真木は昨年のことを思い出した。
 中一の頃はどうしてもホームシックにかかりやすく、男子寮一階にいる、管理人やスタッフ、カウンセラーの存在なくては、どうしても寮生活を乗り切ることは難しかっただろう。
 生活の細々とした家事や洗濯などについては、彼らから学ぶことが大変多くあった。
 一階には、大浴場、朝食と夕食のための食堂、ダイニングルーム、広めのラウンジに談笑室、集会室があり、学年関係なく交流を図ることができた。
 中一のときは二階にある一部屋を二人で使うように言われ、共同生活も結構楽しかった思い出がたくさんある。
 中二からは三階に移ることとなった。個人の部屋が与えられ、多少の寂しさはあったが、すぐに慣れた。
 それに、窓から見える青々とした森の風景。
 まるで別荘地にいるような自然の光景だけは、学年が上がっても変わらないままだった。
 
 突然、ドアをノックする音が聞こえて、真木はふり向いた。
 ノックしたのは烏堂だった。
 ドアを開けて烏堂を招き入れる。烏堂は部屋に入る前に、なぜか観察するように真木の顔をじっと見た。
 その後、部屋に足を踏み入れると、机上にある英語科の教科書とノートに目を留めた。

「宿題ね……」
 烏堂は意味ありげに、少し肩をすくめた。
 壁越しに校舎のある方をちらっと見ると、真木の方を見て言った。
「女子だけ教室に残して、何をしているんだろうな」
「さあ……」
 真木は意味がわからず、そう言った。
 烏堂が胡乱な表情で真木を見る。
「これって、実はお前のせいなんじゃないか?」
「え?」
 聞き返す真木に烏堂が言った。
「昨日の、落居の告白のことだよ」
 
 真木は自分でも、血の気が引いていくのを感じた。
 昨日の落居の姿が記憶によみがえってくる。
 『マギ ルミネア』在学生達は、実家から仕送りしてもらうことは度々あった。その中に、仕送りして良いもの、いけないものには明確な線引きがある。
 たとえば、仕送りしても良いものには、カップ麺やお菓子、スープストックや、カレーライスなどのレトルトパウチ食品などがある。
 送ってもらう食品にもいくつか条件があり、中でも、真空パック食品は常温保存できない場合があるため、不可。理由は、ボツリヌス菌による増殖が重篤な食中毒を引き起こしかねないため。
 その他にも、少々のお小遣いを送るくらいなら良いが、大金を送るのは禁止。服を送るのは良いが、ブランド品など高価な服は禁止。勿論、アクセサリー類などファッション小物も禁止——。
 
 そもそも、山の奥深くで生活している以上、他人の持ち物には厳しい目を向けざるを得ないし、違反者に対しては皆、一様に冷たい。
 そんな環境下で、落居はとんでもないことをしてしまった。
 親に大人向けの下着をおねだりし、学校に送らせてしまったのだ。つまりは、真木の気持ちを振り向かせるためにしでかしたことである。
 黙っている真木から烏堂は目をそらした。
 別段、どうしろとも相手は言わなかった。
 落居の気持ちをおざなりにしてきたのは自分自身であり、これは気持ちに決着をつけてこなかった罰なのだ。
 風の勢いが強くなり、窓を軽く吹き付ける音が聞こえた。
 真木は黙ったままだった。
 
 烏堂は何も言わなかった。
 言いたいことは色々とあったはずだが、大人びた気遣いをしているのか、何も言わなかった。
 しばらく沈黙が部屋の中に流れていたが、烏堂が、再び校舎の方へと視線を向けた。
 突然、真木の方へと向き直って言う。
「俺、アイスコーヒー飲みたい気分なんだよな。今だったら、女子もいないし、自販の側に行っても大丈夫だよな」
 自販とは、自動販売機の略だった。学校が管理しているだけあって、ジュースやサイダー系は置いてなく、お茶やコーヒー、ビタミン飲料などが取り揃えられていた。寮を出て、通路を渡り、職員室がある棟の近くに設置されてある。
「わかった」
 真木が短く言った。続けて、場を取りなすように言葉を付け加えた。
「俺もお茶を買いに行く。二人で一緒に行こう。財布、取って来いよ」
「ああ」
 烏堂はうなずき、一旦、部屋を出て財布を取りに行った。
 
 その後、烏堂と合流し、真木は自動販売機の近くまで歩いて行った。
 その道中、烏堂からは、まだコーヒー飲めないのか、お子ちゃまだ、とからかわれたが、自動販売機に近づくまで誰にも会うことはなかった。
 目当ての飲料商品を購入し、寮まで戻る。その途中、あともう少しで廊下が途切れ、寮までの通路に足を踏み入れる。そんなときだった。
 突然、背後からバタバタと誰かが走って近寄って来る足音が聞こえた。
 真木はすぐにふり返り、その人物が落居であることに気がついた。
 落居が両手を顔に当て、声を上げて涙を流している。
 その上、側には誰もいず、一人でこちらへ走ってきている。
 真木は、さすがに驚きを隠せなかった。
 なおも、落居は悲し気に、途切れ途切れの涙声を上げていた。
「落居さん……どうしたの」
 やっとのことで、真木は勇気を振り絞り、声をかけた。
 落居は真木の声に気づいたようで、ちらっと真木の方を見た。
 だが、何も言わずに女子寮の通路の方へと立ち去ってしまう。
 真木は放心したように落居の背中を見つめた。
 後ろから、またも誰かの足音が聞こえる。その足音の持ち主は真木と烏堂の後ろで止まったようだった。
 真木が後ろを見返すと、そこに立っていたのは田塚真加たつかさなかだった。
 いつものように長い髪を三つ編みにし、何を考えているのか表情に乏しかった。
 真木と烏堂が何も言えずにいると、田塚が、ふいに言った。
「いるんだよね、ああいう子」
 一瞬、誰の口を借りて言われた言葉なのか理解できなかった。真木は呆気にとられる。
 田塚は、なおも言う。
「寂しいからって男の気を引きたいがために下着まで凝っちゃってね。バカみたい。頭のおかしい大人の女性の真似なんかしたって、誰も寄って来ないのにね」
 少しだけ口の端を吊り上げるような、クスッと意地悪い笑み。
 まるで大人のように、意味ありげに田塚は笑った。
 田塚は真木達を見て、様子を確認するように、じろじろと二人を眺めた。二人が呆然として何も言えないのを確認すると、まんざらでもない表情を浮かべ、女子寮の通路の方へと行ってしまった。
 真木と烏堂は毒気を抜かれたように、しばし、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
 
 
 あれから、落居はすっかりおとなしくなり、真木にも話しかけて来なくなった。
 あんなにも、真木がいると近寄って構ってきたのに、別人のように人が変わって、無言のままだった。
 真木も落居にはかえって声をかけづらく、何も話しかけられないままでいた。
 
 そんなときに、ある日の美術部の活動後、双子が真木に近寄って、落居の話を突然始めた。
 双子の片割れ、海喜みきが真木に言う。
「あの子ね、実の両親がいなくて、今の両親は血のつながっていない両親らしいよ」
 クスっと幼さを残しながらも、意地悪い笑みを浮かべながら言った。言いたくて仕方ない、そんな感じだった。
 ただ、真木には彼女の発言が、どうしようもなく残酷に聞こえた。
「何で知っているかって? 彼我戸ひがとさんが今日の女子だけの体育の授業のときに、言ってくれたんだよ。『あなたの両親は子どものときに亡くなっているでしょう。他の子はみんな実の親に育てられて厳しい躾の中、育っているの。いつまでも調子に乗ってトラブルを起こさないで』って」
 言い終わると双子は揃ってケタケタ笑い出した。
 まるで、そのときの状況が面白くて仕方ないと言わんばかり。
 真木は鋭いもので心を刺されたように感じ、何も言えないでいた。
 落居のことを、よくよく考えてみれば自分は何もわかっていなかった。落居が、どういう家庭環境にあるかなど——。
 まさか、自分と同じ家庭環境にあるとは夢にも思わなかった。
 
 真木は、ようやく双子をふり返ると、意を決して聞いた。口調には、少し怒りが込められていたようにも思う。
「何で、彼我戸さんはそんなことを知っているんだ」
 真木の言葉に双子は一旦、言葉を途切れさせた。彼なら、共感して笑ってくれると思い込んでいたのだろう。
「何でって……総代だからでしょ」
 海喜が言葉を返すと、海呼みこがうなずいて言った。
「いつも先生の手伝いしているし、総代になると自室にいけば、いつもご飯が用意してあるんだって。他にもいろんな特典が満載。だから、授業以外で姿を見たことがないんだよ」
 ねー、と言って海喜がうなずく。
「別によくない? 家庭環境をばらされて恥ずかしい思いをするの、あの子くらいでしょ」
「確かに。ここの授業料高いのに、ああいう」
 海呼が堪えきれずにクスッと笑った。
 海喜が肘で海呼の体を突き、ニヤニヤして言った。
「野育ちってこと? そこまで言っちゃ可哀想でしょ。でも、落居さんって、彼我戸さんが言うには、あの有名な観光フェリー沈没事故の生き残りらしいから、何か後ろ暗い過去を抱えて生きてそうな感じではあるよね」
 そう言って、双子は二人で一緒に小さく笑った。

 有名な観光フェリー沈没事故。
 真木が生まれて五歳頃に大きな観光フェリーが急変した天候により座礁しかけ、何人もの乗客が海に投げ出されて命を失ったと言う、大きな事故があった。
 落居がその事件の生き残り——?
 真木は視界が回りそうな、そんな感覚を覚えた。
 同時に、とんでもない、ひどいことを落居にしてしまったと言う後悔が胸に押し寄せる。
 もし、事前にこのことを知っていたなら。
「真木君、どこに行くの」
 海喜がたずねたが、真木は何も言わなかった。
 彼はただ、女子寮の方へと向かい、歩いていた。
 
 女子寮へ向かう途中、廊下の窓辺から外を見た。
 その場所は、この前に三年女子から告白された場所だった。
 一通の手紙を渡され、読んでくれと言われた。
 女子がそのまま立ち去った後、近くにいた烏堂が、突然、その手紙を読みたいから見せてくれと言い出した。
「何で」
 真木は身を固くした。
「お前にそんな権利ないだろ」
 烏堂は少し肩をすくめた。
「そうだけど、確認したいだけだ。俺は、その手紙を読んでみたい。どんな言葉で綴られているのか、興味がある」
 真木は目をすがめた。
「まさか、クラス中の生徒が書く文章を確認しているとか言わないよな。それだけではなく、学年が上の先輩の文章まで気になっている、とか」
「まあ……」
 言葉をにごして言う烏堂に真木は嫌な予感がした。
 まぜっかえすように彼に言う。
「お前って、段々、彼我戸に似てきたんじゃないのか」
 烏堂は軽く笑った。
「冗談はよせ。俺は彼我戸じゃない。俺が言いたいのは、言葉と言うのは相手の思考や思想が良く現れているもの。あの先輩は名字でわかるように、有名企業の経営者一族出身。高級住宅地に住んでいる家庭から、この学校に来ている」
 そう言えば、『伊勢矢』なんて言う、あまりない名字を先輩は持っていた。そういう貧富の差を、入学早々に皆が薄々わかっていたのではないか。名字と言うのは、商品カタログのラベルのようなもので、それを手掛かりに、一部の保護者が調べ、身分や経済状況を把握していたとしたら。
 今頃になって、そんなことに気がつく自分自身に真木は言葉がなかった。
 烏堂は言った。
「俺だったら、先輩の告白は受けていた。恋愛とは同じようなレベルの相手とつきあうものなのに、お前は欲がなさすぎる」
 平然と言う烏堂に、真木の心の中には堪り兼ねるものがある。
 社会一般では烏堂の言うことが正論なのかもしれないが、真木にはなぜか、ものすごく苛立たしい発言だった。
「お前や彼我戸と一緒にするな」
 真木は言うと、手紙を大切そうに握った。
「この手紙は見せないからな。監視されるなんてごめんだ」
 烏堂は薄く笑って、手をひっこめた。
「わかった。もう手紙を見せろなんて言わない。ただ、俺は彼我戸とは違う。俺が言いたいのは、詩や和歌などの短文には、その人の凝縮された考えや気持ちが込められ、魂が宿ったように永遠に残ると言うことだ。それに、彼我戸は見てわかるように、いつも仮面をかぶってこの学校で生きている。それがわかったのが、入学式初日の彼我戸のスピーチ」
 
 真木は少し驚いて、烏堂の顔を見た。
 そう言えば、烏堂は以前に『総代としてのお前のスピーチ、何も心に届かなかった』と、彼我戸に言っていた。
 真木は学校に入学できたことで幸せであり、彼我戸が入学式初日に何を語ったかなど覚えてはいない。そういうものだろうと真木は高を括っていた。どうも、烏堂にとっては違うものらしい。
 説くように、烏堂は言った。
「言葉って言うのは、文脈によって語られるものだろう。国語の授業でも言われたように、たとえば、日本語では英語の『愛してる』を直接的に言わずに『月が綺麗ですね』と訳した。言葉を、どう言うか。ここが重要なのに、彼我戸からは、それが欠如している。いつも抑揚なく話し、無表情だ。けど、俺がスピーチのことについて指摘したとき、彼我戸は初めて人間らしい表情を見せた。それも一瞬の間だけ。つまりは」
 烏堂は大げさに両手を左右に振った。
「彼我戸は、いつも学校の誰かから素顔を隠すことを強制されている。いつも役者として、総代としての彼我戸を演じているということだ。さらに、素顔の彼我戸は誰も長時間、目にしたことがない。俺はそのことが入学式初日に何だか、うっすらとわかってしまった。同じ年なのに、気持ち悪いと思ってしまった。だから、彼我戸と一緒に少人数授業を受けるなんて考えたくもなかった。それで、わざとレベルを落として授業を受けていた。この学校が用意した、無個性極まりない仮面を、強制的にかぶって生きるなんて苦しすぎる。俺はもっと人間らしくこの学校で生きていたい」
 烏堂は言い終わると、少しあどけなさが残る笑みを見せた。
「それに、この学校の寮生活には興味があった。しかも、食堂のご飯は期待以上で、かなり美味しい。その上、そうだな——もっと面白いのが、この学校が裏では勉強以外の才能や活動を非常に重視している点だ」
 真木は烏堂の言葉に首を傾げた。
「それって部活動のことを言っているのか」
「そう」
 烏堂がうなずく。真木は、わけがわからなかった。
「一体、何のために……」
「おそらく、この学校を出た卒業生に、もっと学校の名前を広めてほしいのだろう。それか、卒業生による人脈を築き上げたいのかもしれない。ただ」
 一旦、言葉を区切って烏堂は言った。
「時々、生徒の才能を思い通りに伸ばそうと躍起になっている節がある。俺はのらりくらり躱しているけど、お前みたいに美術の才能があると、学校は目を離さないだろうな」
 烏堂の言葉に、真木は腑に落ちるものを感じた。
 確かに、最近になって美術の先生が高度な課題を個人的に出してくるようになった。しかも、双子に与えられている課題とは全く別のものだ。
 烏堂の言っているのは、そう言うことだろう。
「お前も気をつけろよ。この学校には裏に隠している何かがある」
 そう言うと、烏堂は先に寮へと戻って行ってしまった。
 
 
 真木は回想から現実へと意識を戻し、窓から視線を廊下へと移した。
 図書室がある棟から聞こえる足音に真木はふり向いた。
 偶然にも彼我戸が廊下を一人で歩いている。
 真木は彼我戸に呼びかけた。
「彼我戸さん!」
「何」
 ふり返った彼我戸は、いつもと同じように見えて、どこか違った。
 なぜか、口元に薄い笑みを湛えているかのようだった。
 今の彼我戸は、いつもの演技をしている彼我戸ではない。これは素の彼我戸だ。
 真木は意を決して口を開く。
「聞いたよ。落居さんの家庭環境について、勝手にしゃべったみたいだけど、そういうことはもう止めてくれないか。落居さんだって傷ついている」
 彼我戸は何も言わなかった。
 ただ、目つきにわずかなぎらつきがあるようにも感じる。
「それとも、誰かに言わされてしていることなのか。彼我戸さんは、それで苦しくないのか」
 彼我戸は依然、何も言わなかった。
 一瞬の間があった。そのまま無視されてしまうのかもしれないと真木は思った。
 だが、違った。
 彼我戸は、なぜか、にこやかに微笑んだ。
 今までに見たことがない、だからこそ作り物めいた不自然な笑みだった。
「総代として、わたしにはしなければならないことがあるの。だから、どうしても落居さんにはあのとき、注意しなければならなかった。落居さんだって、きっとわかってくれたはず」
 真木は引かなかった。
「だけど、お前の不用意な発言のせいで、周りの女子が何を言っているのか知っているのか? 自分の影響力を考えてもっと発言するべきじゃないか。落居は——落居さんは」
「なぜ、あの子をかばうの?」
 いつもの抑揚のない彼我戸の声に、若干ではあるが怒りが含まれている。
 まるで、苛立たし気な母親のような口調だ。
 彼我戸の言い様に、真木は釈然としない気持ちを抱えた。彼我戸は彼我戸なりに、集団に圧力をかけて人をコントロールする気なのだ。
 たとえ、それが落居の心を大きく傷つけるものであったとしても、集団としての論理を優先させて、個人の心なんか気にもしない。たとえ、それが他人の家庭環境をさらけ出して傷つけることであっても、大人げなく、平気で彼我戸はそうしたことができるのだ。
 それが、彼我戸の役割だと、、、、、、、、彼我戸は信じ込んでしまっている、、、、、、、、、、、、、、、のだ。
 真木は少し怒りをにじませて言った。
「別にかばっても良いだろ。同じクラスメートなんだし。俺は、あいつのことが可哀想だって思っただけだよ。急に人が変わったように、別人みたいに大人しくなるなんて、あんなの、どう考えたっておかしいだろ」
 
 彼我戸はまた、何も言わなかった。
 その後、真木が見ていると、彼我戸は少し小首を傾げた。
 何かを一生懸命に考えているように真木には見えた。
 まるで、機械が膨大な桁数の計算を行っているかのようだ。
 自分の言葉は、確かに彼我戸に響いている。
 真木にはわずかな自信があった。
 彼我戸も人間であり、誰かに言われて総代を行っているのかもしれないが、言葉によって彼我戸の心を揺り動かせる。
 あと、もう少し。あと、もう少しで——。
 
 だが、かすかな変化ではあるが、彼我戸の表情が変わっていく。それも、思ってもみない方向へ。
 彼我戸の目は、いつもの人を突き放したような冷静で無表情なものへと変化していった。いつもの、人間らしくない彼我戸へと。
 彼我戸は少し真木を睨むと、「そう」と、一言発した。
 その上、興味を失くしたように、さっと踵を返す。女子寮へ向かう通路へと立ち去ってしまった。
 真木は、片手の拳を強く握りしめた。
 正直に言って、彼我戸には、もっと言葉を投げつけたい衝動が心の中にあった。
 ただ、真木には怒りを堪えながら、立ち去って行く背中を黙って見ていることしかできない。
 真木の言葉では、彼我戸の心を動かすことはできなかった。


第三章 六

 車内を離れて、烏堂は外を佐竹と歩いていた。
 近くには、交通量の激しい国道が通っている。ここにいても、車の走行音が微かに聞こえていた。
 烏堂が、ふいに口を開いた。
「少し聞きたいことがあるんだが」
「何ですか」
 佐竹が、さっと烏堂に視線を向ける。
 烏堂は言いにくそうに、だが言葉を選びつつも言った。
「女性は、その——変質者に会ったときに、どういう行動を取るんだ。ええと、佐竹の場合は」
「わたしの場合ですか? ——とりあえず、逃げ道を探しますね。一瞬でも早く逃げて、助けを求めたいですから」
「だよなぁ」
 烏堂が腕を組んだ。同時に、天を仰ぐように顔を上に向けた。
「何です? 違う行動を取った方が良いと言うことですか」
 烏堂の言い様に、佐竹が少しだけ目を細めた。
「いや、おそらく、それで良いはずなんだが、緊急の連絡手段を考えたりはしないか」
「たとえば、緊急ブザーのひもを引っ張ったり? そんなことをすれば、相手の強い恨みをかって、何をされるかわかりませんし」
 口元に指を当て、佐竹が微かに首を傾げた。
「そうではなくて、裏でこっそりとボタンを押して連絡するような——」
「緊急の短縮ダイヤルですか? それでしたら、登録している人もいるかもしれませんね」
 佐竹の言葉に、烏堂が、はっとした表情をした。それだ、と言うように指を向ける。
 対するように、佐竹の表情はぎこちなく、わけがわからないと言ったものだった。
「短縮ダイヤルの登録? そうか、それが——」
 急いで携帯を取り出すと、烏堂は、ある人物に電話をかけ始めた。



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