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『心霊迷図 ~マギ ルミネア編~』 #14

 樋口ひぐちの言葉が天降の心に染み込んでいく。
 才能。その、まわしき言葉。
 思ってもみないほどに、『マギ ルミネア』が残した禍根は根深いものがあるのかもしれない。
 天降あまふりでさえ、その呪縛から逃げ出せたなどと、楽天的に考えることはできない。
 いや、卒業生だけでなく、良きにしろ、悪きにしろ、社会にも、その影響力を拡大させているように見える。
 
 天降は、ようやくにして気づく。
 はっとした表情で、樋口が示す人物の名前を口にした。
建木真加たちきさなか——!」
 樋口がうなずく。
 ようやく気づいてくれた、と言う表情をしていた。
「そう。彼女は実は生きていた。学校から失踪し、行方不明となった後もずっと生きていた。
 それも、私が考えるには、宗教団体『古来駆使こらいくし』の影響下で行われた行方不明事件であるとの見方が強い。彼らであれば、大掛かりな絵を描き、一種、大胆な作戦を実行するのもわけはない。
 ただし、行方不明になった彼女の才能は、殺された被害者によって言葉たくみに利用され、おどされたものだった。彼女は一旦、行方不明者となったことで、その状況を誰にも話せず、相談することもできなかった。もしかすると、作詞を代わりに書くと言うことは『古来駆使』に言われてしていたことなのかもしれない。彼らはまだ社会に潜んで、活動を続けているのではないかという噂話まである。人の才能を使って何をたくらんでいるかまでは、探れなかったが。
 一応、私の方でも作詞についてはAI専門家にまで相談してみた。結果としてはシロ。疑わしい点はなく、純粋に人間が作り上げた作詞という可能性が高いとのことだった。
 だから、作詞を行った人間は必ずいる。
 一方で、柿折輝恵かきおりてるえには作詞をする以前に、詩を作るなどの経験は全くない。誰かと共同で作り上げた詞なのではないかということも考えられるが、それならば、なぜ毎回大ヒットを飛ばせるのか、と言う点が怪しくなってくる。
 誰かが大掛かりな絵を描き、裏でプロモーション活動を行っているのならば、理解もできる。まあ、そこまで行くと、飛躍した考えだと言われるだろうけどね。
 だが、何らかのことをきっかけとして、犯人の中で限界を迎える出来事が起きてしまった。
 創作した作詞に関して、理解されない苦しみが、本人の中で何重にもあったのかもしれないね。特に、その作詞について被害者家族が言うには、『女性の悲しみや失恋の歌詞を書かせたら、お姉ちゃんの右に出る者はいなかった』と言うくらいだからね。被害者にも犯人にとっても実に悲しいことだが」
 天降の目の端に、うっすらと涙がにじむ。
建木たちきが――あのとき、行方不明になった建木が、今も生きている可能性があるんですね」
 天降はうつむき、揺れるような声音で言った。
「良かった……俺は本当に心配して。いや、俺だけじゃなく、みんな、どれだけ、あいつの姿がないことを悔やんだか——」
 
 少しの間、樋口は何も言わなかった。
 あごに手を当て、考え込むような仕草を見せると、樋口は言った。
「ところで、君は『マギ ルミネア』卒業生だと言うのは本当なんだろうね? まあ、こんなに立派な家で、一人絵を描いているのを見ると、そう信じざるを得ないけれども」
 樋口はそう言うと、横にあるキャンバスに目を向ける。
 描きかけではあるが、鮮やかな色合いで切り取った風景が渦を巻いたり、または大きな斑点模様のように描写され、しかも、それが点描によって緻密ちみつに描写されている。
 白い部分が多いため、完成形をイメージすることが樋口には難しい。
 だが、一部を見るだけでも何か引きつけられるものがある。少なくとも、樋口の目は未完成の絵にしばし、吸い寄せられていた。
 
 天降は視線を床に落とす。
 その視線もかすかに揺れていた。キャンバスを見ている樋口からは気づかれず、見えないだろうが、内心の動揺が深く現れている。
 だが、天降はついに、意を決したように樋口の顔を見た。
「俺は、あの学校に三年間通い、卒業しました。そのことに悔いはないです。けれど」
 天降はそう言った後、手を握りしめた。
「クラスメートが一人、行方不明になってしまったこと。その上、学校の内部関係者が言うには——あの学校は、ある宗教団体が生徒達からデータを取るための研究所だった。生徒を人間とは思わず、どことなく軽視していたところがあったんです。そのことが、今でも悔しくて仕方ない」
 天降の目には暗い怒りの感情がにじんでいた。
「あの学校が何かを隠していたのは、在籍時から薄々感づいていました。俺の友人の烏堂が、そう言っていましたから。学校の卒業生は、元々経済的に裕福な家庭出身者が多い。だから、と言うこともありますが、卒業した後に、皆、持っている才能に呪われてしまうんです。その才能も、社会的に良い方向に向くか、それとも悪い方向に向くか、わからない。俺はずっと、あの学校の魔の手から逃れられない。そんな感覚をたまに抱くときがあるんです。一人で絵を描いていると」
 
 最後は、どこか寂し気に天降は言った。
 人にめられこそすれ、抱えている才能の重さ、醜さに、時々どうしようもなく全てを放り出してしまいたい気持ちに駆られる。
 意図したときに人に褒められるのはまだ良い。
 だが、そうでないときに褒められ、称賛されるときの、とてつもない居心地の悪さと言ったら。
 それでも、未来のために持っている才能と向き合わなくてはならない。
 努力が認められても、認められなくても。人から何を言われ批評されても、結局は、人に褒められる才能へ純化させなければならない。
 それが、たまらなくもどかしい。
 見えない檻の鉄柵を探して、手にしようとしても叶わない、そんなてもない悲しさ。
 『マギ ルミネア』卒業生であれば、皆、もがくように日々、才能と苦闘している。
 あの学校にいた者でしか、それはわからない。
 
 樋口は天降の言葉に耳を傾けていた。
 沈んだ思いの中にいる天降を眺め、両腕を組んで言った。
「だが、天降君。君が言う『呪われた才能』っていうものは、君が気づかないくらい計り知れないものなんだな。こんな立派な家に住めるのは一重に君の才能だからではないのかい」
「それは、そう、ですけど……」
 なおも、苦しい思いの中にいる天降に樋口は言った。
「いいかい、君は君のままで良いんだよ。君の才能は認められているし、誰かに批判されたくらいでふっと消えても良いような、そんな才能では全くない。むしろ、食い下がるような気持ちで才能と向き合うべきなんだ。そうすれば、君なりに、何か気づけるものがきっとある」
 樋口の言葉に天降はうつむいた。
 既に引いていたはずの涙が、目の端ににじむ。
 どうやっても与えられなかった言葉が、やっと誰かの口から言われたように天降は感じた。
 
「それから、あの学校で重要なことなのに、誰も気づいていないことがあってね」
 樋口が少し軽い口調で言う。
 悪戯いたずらっぽい笑みも同時にうっすらと口元に浮かんでいた。
「それが、小規模な宗教団体、『古来駆使こらいくし』について。この団体は、信者に決められた『祈り』を何百回もくり返し言うことを強制する。だが、信者も社会もまだ、気づいていないことがある」
「一体、何のことですか」
 にじんだ涙をぬぐって、天降は言う。
「言葉上の法則と言う意味において、だよ」
 子どもっぽく、ニッと笑って樋口は言った。
「いいかい、『くり返し』。これが重要だ。
 『くり返し』と言う言葉を何回も言ってみると良い。その後に、『古来駆使』を読んでみて、気づくことがあるだろう。
 それは、『くり返し』と『古来駆使』。
 二つの単語は子音が共通していると言うこと」
 
 樋口に言われて、天降も脳裏に二つの単語の子音を思い浮かべる。
 『くり返し』の子音は、KRKSH。
 『古来駆使』の子音は、KRKSH。
 確かに、二つの単語は子音が共通する。
 つまり、なぜ宗教団体『古来駆使』は『祈り』をくり返し言わせるのか。
 その謎が、ようやくにして解ける。
 今までは、信者の精神状態を追い込み、洗脳するために、そんなことをしているのだと天降は考えていた。
 だが、それは違い、団体としての名前と信条を共通させ、見えない内に言葉上の法則、言語的まじないをかけている。
 
 天降は、はっとした表情で樋口を見る。
「天降君、これはね、君が気づいているかどうか知らないが、神道でもいえることなんだよ。
 神道の太陽神、『アマテラス』の子音と、古い太陽信仰ミトラス教の神、『ミトラス』神の日本語上での表記、二神からは共通の子音が浮かび上がってくることと同じ。
 少なくとも、宗教団体『古来駆使』を立ち上げた人間は、そのことに気づいている。だからこそ、団体が信者に押し付ける『祈り』は全て九文字。
 九字——つまり、読み方として『くじ』、または『くし』であり、『思い通りに使いこなすこと』という意味の『駆使』にかけている。言葉を思いのままにあやつり、見破られずに使いこなすことが大切なのだと、ね」
 天降は驚きのあまり、口を半開きにした。
 当時の報道でも、今、樋口が言ったような解説は全く見かけたことはない。
 音韻上の解説、いや、民俗学的な解説と言うべきなのだろうか。
 今まで、何も気づいてこなかった謎を、樋口によって解明される。
 現実の中にありふれている言葉の謎ですら、天降は気づけなかった。
 ――たった今、樋口に言われるまで。
 
 言葉に対する信仰。言葉に対する謎かけ。
 まさに、烏堂うどうが、ずっと前から行っていた言葉の研究そのもの。
 烏堂は言っていた、『言葉と言うのは相手の思考や思想が良く現れているものだ』と。
 だからこそ、今になってわかる。告白してきた三年女子のことを、彼我戸ひがとと同じような『古来駆使』の信者かもしれないと考えたのだろう。
 だが、樋口の言ったことは、烏堂の言っていたことよりも、別次元――言葉の奥にひそむ力そのものに焦点を当てている。
 いや、烏堂でも、ここまでは見抜くことはできなかっただろう。
 樋口だからこそ、ありふれた言葉の奥にある大きな謎と、その真実にたどり着いている。
 その推理とひらめきには、この先何十年経ってもたどり着くことはできなかったかもしれない。
 まさに、稲光が暗闇を照らすような、とてつもない輝きを天降は目にした気がした。



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