見出し画像

オーストラリアワーホリ日記#7

皆さん、こんにちは!Toyaです。

つい2週間前くらいまで雨が降ったり、肌寒い時があったり「本当に夏になるのか?」と思っていましたが、このところようやくオーストラリアが本領を発揮し始めました🥵

今まで28年の人生のほとんどを北半球で過ごしてきたので、なんだか季節が逆転しているのが不思議な気分です。

もうすぐ誕生日ですが、(意外にも)海外で誕生日もクリスマスも過ごしたことがないので、少し楽しみにしています😊

そこで、今回は私の海外遍歴を簡単に辿ってみようと思います。

ちなみに、私の自分史は自己紹介を兼ねてこちらでも見ることができます。

今回は滞在した中でも特に影響を受けている国を取り上げています。
もしオススメの旅行先などありましたら、コメントしていただけると嬉しいです😁✨

幼少期

アラスカ🇺🇸

人生初の海外はアラスカでした。

渡航時の年齢が1歳半ほどだったので、当時の記憶は残念ながらありません。

ただ、のちに映像を振り返ると、自由気ままに過ごす姿を見ることができたので、これが私の原点だったかもしれません。

アラスカへ行った理由は、母が星野道夫さんが好きだったことに由来しています。

私も直接会ったことはないですが、彼の書籍や写真集は何度も目にしてます。

この時の渡航以来アラスカには行けていないですが、来年カナダに行くタイミングで必ず足を運ぼうと思っています!


オーストラリア🇦🇺①

実は、ワーホリの前に一度オーストラリアに来たことがあります。

ただし、この時も3歳くらいだったので、ほとんど覚えてないんですよね。

宿泊先で「一緒に遊ぼう!」と言ってくれた同い年くらいの男の子と言語を介せずにコミュニケーションをとったことは朧げに記憶しています。

また、野生動物とも触れ合う機会があり、ペリカンの背丈が当時の私と同じくらいでとてもびっくりしましたね😮

この頃から徐々に英語や言語に対する興味、関心が形成されていったように感じます。

言葉として話せるようになるのはもっと後のことですが、自分にとって新しい世界を見せてくれることに心惹かれていたんだと思います。


学生時代

ニューヨーク🇺🇸

次に海外へ行く機会を得たのが、大学1年生の夏休みでした。

これが、人生で初めて一人で海外に行った瞬間であり、これ以降ほぼ一人で行くようになりました。

今でこそ一人で行くことになんの抵抗もありませんが、18歳の自分には何もかもが初めてで、ずっと緊張していましたし何より生きて帰ってこられるのか不安でした。

この時は、県の遊学支援プログラムに参加する形で渡航し、それこそ軽い気持ちで応募したことがきっかけでした。

まさか最終選考まで残るとは思っていなかったですし、派遣される2名のうちの一人に選べれた時は嬉しかったですが、プレッシャーも強く感じていました。

「初めて一人で海外に行くとはいえ、英語圏だしなんとかなるだろう」と心のどこかで根拠のない自信を持っていましたが、それはあくまで日本国内の話。

高校生の時には、2年生で県の英語スピーチコンテストで決勝まで進出していましたし、大学でも一番レベルの高いクラスでそれなりにやっていました。

しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。

JFK空港に着いた時からわからないことだらけで、肝心の英語もコテンパンに打ち砕かれ、おまけに自炊もろくにできず、最初の数日間はボロボロの精神状態でした😱😱😱

それまでどれだけ周囲に依存して生きていたかを思い知らされたと同時に、母の偉大さを身に染みて感じました。

生き抜くことの難しさ、英語(コミュニケーション)の重要性、己の未熟さ、海外で生活することの楽しさ、まだ見ぬ世界への渇望、そして自分自身への挑戦。

高校生の時から「いつかは留学に行こう」と思っていましたが、ニューヨークで滞在したことをきっかけに、「絶対に行く」そして「必ず成長して帰る」という心境に変化し、想いが決意に変わった瞬間でもありました。

アイルランド🇮🇪

念願叶って人生1度目の留学先はアイルランドでした🇮🇪

ちなみに、これが人生初のヨーロッパでもあります。

アイルランドを選んだ理由はとても単純で、

  • 日本人が少なそう

  • 留学先としてメジャーな国以外に行ってみたい

  • ヨーロッパの他の国も行きやすそう

でした。

先に結果からお伝えすると、私の行っていた語学学校は一定数日本人の学生もいて、割と彼らと接する機会があり、残念ながら一つ目と二つ目の理由はあっさりとなかったことに😣

ただ、ホームステイしたり、友達とご飯行ったり、その国の文化や風習について学べるのはとても素敵な経験だったといえます。

語学学校は、確かにいい先生もいて学ぶことも多かったですが、内容に限れば日本にいた頃と大差はなかったですし、物足りなかったのは事実です。

さらに、これはきちんと調べていなかった自分もいけないのですが、語学学校から大学に進学するシステムをきちんと理解していなかったので、学校のプログラム終了後に進学できないことが判明。

こうした失敗や経験が今の自分に繋がっています。

ちなみに、アイルランドには約4ヶ月滞在しました。

カナダ🇨🇦

そして、人生2度目の留学はカナダへ行きました🇨🇦

こちらは、日本に帰国するか留学を続けるか迷っていた時に、紹介してもらったことがきっかけです。

今は違うプログラムになっているかもですが、興味のある方はこちらもご覧ください👇

初めてのカナダでしたが、着いたのが1月1日でとにかく寒かったことを今でも覚えています🥶

この年は例年より寒かったみたいで、最高気温が−10度くらいの日も普通にありました。

暑いのよりは寒い方が好きですが、寒すぎるのは考えものです笑

この時は、大学の寮で生活していたので、共同生活を通して得るものもあったと思います。

英語力も徐々に鍛えられて、アカデミックの授業にも少しずつ出席して理解できるくらいにはなっていました。

日本人がいなくても精神的に動揺したりすることもなくなって、少しずつ生活を楽しむ余裕が生まれ始めたのも自分の成長だと思います。

カナダは約半年間いましたが、その間に肺気胸で1週間入院したり、バンフやジャスパーに旅行に行ったり、イエローナイフまでオーロラを見に行ったり、充実した時間を過ごすことができました。

また来年カナダには戻りますが、その当時お世話になった人たちにまた会えることを楽しみにしています😄

社会人

ベトナム🇻🇳

大学卒業後、新卒として入社した会社で海外事業部に所属し、その派遣先がベトナムでした。

東南アジアは初めてはありませんでしたが、旅行でも学生としてでもなく仕事で滞在する上で、かなりインパクトのある国でした。

一言で言い表すならば、「いかに不便を楽しめるか」がテーマでした。

それまで主に先進国と言われるような国をメインで訪れていたので、ある程度順応するのに自信はあったんですが、ベトナムはそれまでの自分の常識が通用しない環境だったように思います。

町中バイクと車が入り乱れているし、お店はいつ営業していていつ閉まっているかもわからないし、ベトナム人平気で遅刻するし、天気は目まぐるしく変わるしで、周囲の環境に振り回されていました。

仕事の方も全くうまくいかなくて、八方塞がりになっていました。

幸い同期には恵まれていたので、それはとても心強かったのですが、最終的に精神的に疲れてしまい日本に帰国しました。

ただ、ベトナム人の人懐っこさは好きですし、今の職場にもベトナム出身の人がいたりしてベトナム語を聞くと当時を思い返したりします。

また機会があったら行ってみたいです!


オーストラリア🇦🇺②

そして、現在に至ります。

2023年の8月からオーストラリアでワーホリとして滞在しており、早4ヶ月。

クビになったり、色んな人と知り合えたり、新しい文化に触れたり、何歳になっても新しい発見があるのは素晴らしいことですね👍

元々、ワーホリ自体には興味はありましたが、

  1. その国は一度しかワーホリビザを使えない

  2. 30歳までの年齢制限がある(国や条件によって異なります)

  3. 目的が明確ではないワーホリには行きたくない

という条件があったのでこれまで躊躇していましたが、日本にいても英語環境を作ることに限界があることと、お金を貯めたいと思ったので申請できるタイミングまで約1年を残して決心しました。

今の所、オーストラリアに来て良かったと思っていますし、このまま上手く働き続けられれば目標金額まで貯金もできそうなので、満足しています😊

執筆時点(2023年12月12日)では、$8000ほど貯金があり、大体80万円くらいですね。

特に今年はオーストラリアでワーホリをする人や学生ビザで渡航する人も増えたことで、来年以降は入国に一定の制限を設けるという噂も耳にしているので、これから準備をする方はこまめに情報をチェックすることをオススメします!

是非有意義な留学、ワーホリにしてください🤞


ということで、今回は日記というより振り返りになりましたが、まだまだオーストラリアでの生活は続いていきますので、随時更新していきます。

スキやコメント、お待ちしています🙏

では、またお会いしましょう!

Have a great day!


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?