暴力でなく、じわじわ殺されること。

父親と新しいお母さんが別れてすぐ、
私と弟は、父親の実家に
連れていかれました。
そして、父親はまた
姿を消しました。
もう、5才の頃の私ではなく、
小学校高学年の私は、
祖父母、親戚の人たちの
悪意の標的になりました。

祖母からは、食事をまともに
与えられませんでした。
与えられるものは、すえた臭いのする
ご飯や、古くなった味噌汁でした。
味噌汁をご飯にかけると
虫が浮いてきたこともありました。
昔は、サランラップなどを
頻繁に使うことはなかったから、
残りご飯に虫がついてしまったのですね。

私はご飯を食べることが
できなくなりました。
学校の給食だけが
生きていくための食料でした。
幸い弟は可愛がられる性格だったので、
新しいご飯をもらうことができて、
それだけは良かったと思います。

私はどんどん痩せていきました。

祖父は、私に対して
一体どういう感情があったのか
後ろからやって来て、
服の中に手を入れてきて
胸を揉んできたりしました。
とても気持ち悪い行為でした。

そのせいか、
私はいまだに胸に何かが当たることが
不快です。
子供を育てましたが、直接
母乳をあげることもできませんでした。
そのくらい不快でした。
メンタルクリニックのカウンセラーさんに
それがトラウマなのだと教わりました。

親戚の人たちは、行事で集まると
いとこ達とあからさまな差別をしました。
みんなの前で父親についての嫌味を
散々聞かされたこともあります。
私たちは迷惑な、
いらない子供なのだと
思い知らされました。
心が打ちのめされて、痛くて痛くて
仕方ありませんでした。
叩いたり、蹴られたりしなくても
子供だった私を傷つけるには充分でした。

そんな日々が続きましたが
それでも、生きていました。
細々と、何とか生きていました。
そして、中学1年の夏に
施設に行くことになりました。
祖父母も親戚も
私たちを育てることはできない、と
そういわれました。

現在の私なら、それはもしかしたら
致し方ないことなのだ、とわかります。
でも当時は、なぜ私たちは
こんなに捨てられ続けるのだろう、と
悲しい思いをしました。


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