【気まぐれエッセイ】母との喧嘩 〜#大人になったものだ〜

私は母に、荒ぶる声でこう訴えた。

「お母さんがどういう考えを持っていてもいいよ? でも私が子どもの頃から悩んでんの知ってんのに、わざわざそんなこと言わんでいいやんか! 他のことやったら味方になってくれんのに、なんでこのことになるといっつもそうなんよ!」

母とは時々言い合いをするけれど、今回はいつも以上に激しかった。口論の原因は、死後の世界が”あるのか” ”ないのか” ということについての、考え方の違い。

母は現代人らしい考えの持ち主で、非科学的なことはあまり信じない。考え方に違いがあること自体は問題ではないのだけど、私が激怒したのは、私が人生で1番悩んだことは ”人はいつか必ず死んでしまう” ということについてで、母はそのことをよく知っているからだ。それなのにも関わらず、容赦なく持論をぶつけてくる母を、私は許せなかった。



子どもの頃私は、自分という存在が消えてなくなり二度と現れないということが、怖くてたまらなかった。両親や祖父母がおそらく自分より先にそうなることも受け入れ難く、考え始めると気が狂いそうになった。ピークに悩んでいた小5の頃は、毎晩のようにベッドで泣いていて、泣き声を聞きつけた母が、よく部屋に来てくれた。

そういうとき、いつも母はこう言うのだった。

「お母さんもまだ死んだことがないから、死んだらどうなるのかは分からへん。お母さんも子どもの頃、同じように悩んだことあるよ。でもお母さんや歩志華が、天国をあると思ってもないと思っても、あるんやったらあるしないんやったらないんよ。どんな風に考えても答えは変わらへんねんから、それやったら信じたい方を信じていた方が、人生得やと思うよ。お母さんもそう思うようにしているよ」

母の言うことは、もっともだった。死んでいない人間には、死後のことは分からない。気休めでなく本気で考えてかけてくれた、母の精一杯の言葉だった。


でも幼い私は「天国はあるよ」と、母に、誰でもない母に、言ってほしかった。

だって、サンタクロースはいるって言ったじゃないの。


だけど、私がサンタクロースの正体に薄々気づき始めたのは、第二反抗期を迎えた小3の頃。母が観念したのは小4の頃。小5のクリスマスに私は、寝てしまった両親の代わりに妹の枕元にプレゼントを置いた。母が私に「天国はあるよ」と言わなかったのは、私をちゃんと大人として扱ってくれていたからだ。

何でも自分ですると言い張り、子ども扱いされると激怒するような私の泣き声に、もしかしたら気づかぬフリをしてあげるべきかと、考えたこともあるかもしれない。でもあまりにも毎晩続くから、放っておけなかったのだろう。どこまで子ども扱いしていいものかと探りながらかけてくれた、母の精一杯の言葉だった。それは分かっていたし、私も頭では、夜な夜な泣いて母に慰めてもらうだけでも恥ずかしいと思っていたかったから、母にそれ以上を求めなかった。



実年齢だけはすっかり大人になった私の前で母は、「死んだら何にも分からへんねんから」と、死後の世界を全否定するようなことを平気で言う。当然かもしれない。もう31歳なのだから。


でも私の中にはきっと、消化しきれぬ思いがあった。

「天国はあるよ」と、母に言ってほしかった。


母が昔言ったように、死後の世界の有無は、母がどう言おうと変わらないのに。私が信じてさえいればそれでいいのに。

現実がどうであれ母親さえ「大丈夫」と言ってくれれば安心できる、逆にいくら上手くいっていても母親に否定されるとどこか居心地が悪い、そんな子どものような気持ちが、私にはまだあったのだ。だから私は、あんなにも激しく母に感情をぶつけてしまったのだ。



母に捲し立てている最中に、フッと私の意識が飛んで、気づけばベッドの中にいた。母との口論は、夢だった(幼い頃の話は現実)。

状況を飲み込めた私はまどろみながらも、すかさず “夢占い” “母親と喧嘩” と検索した。あまりにもリアルだったから、きっと私の人生にとって意味がある夢だと思ったのだ。その結果私の心にひっかかった暗示は2つだった。


(1)母親に怒る夢を見た場合、母親は自分自身を表していることもある。
(2)母親に怒ったり、母親と喧嘩したりする夢は、自立心の表れである。


(1)私はずっと、自分に怒っていたのだと思う。

私は、死後の世界についてだけではなく、全ての事柄に対して、自分に都合のいいように解釈するのが苦手だ。容赦なく現実を突きつけ、人と比較し、”根拠のない自信”というやつを根こそぎ摘み取ってきた。だから私が自分を好きでいるためには、いつだって何かしらの根拠が必要だった。例えば痩せているとか、綺麗だとか、やりがいのある仕事を持っているとか、華やかな世界に身を置いているとか、そういったことを追い求めた。どれも満点をとれないから、いつも痛々しいほど必死だった。

そんな自分自身に、本当はずっと、怒っていたのだ。

「なんでもっと自分に都合よく考えてくれへんの? なんでもっと自分に甘くて優しい考え方をしてくれへんの? 自分の味方でいてくれへんの? 何にもないそのままの私をなんで愛してくれへんの?」って……。


(2)精神的不安を母に埋めてもらうのではなく、自分で埋められる人であろうとしている。

最近はそうあれていると思っていたのだけど、まだ足りなかったのかもしれない。「もっと精神的に自立しよ」と、私の心が言っているのだと思う。



”気付く” ということには、それだけでものすごいヒーリング効果がある。何が変わったわけでなくても、自分の本音に気付いただけで、心が軽くなり、スッキリする。

こうして朝から少し大人になった気がしていた私の目に飛び込んできたのが、「♯大人になったものだ 」というnoteの企画だった。これは投稿するしかないでしょう♡ 

というわけで、長い夢日記にお付き合いくださり、どうもありがとう。

幸せな時間で人生を埋め尽くしたい私にとって書くことは、不幸を無駄にしない手段の1つ。サポートしていただいたお金は、人に聞かせるほどでもない平凡で幸せなひと時を色付けするために使わせていただきます。そしてあなたのそんなひと時の一部に私の文章を使ってもらえたら、とっても嬉しいです。