見出し画像

視力0.01以下の僕が見ている世界。そんな世界にもいいところがあるんだよって話。

メガネ歴14年目にして気づいた
視力が低いことのメリット
目が悪いことも捨てたもんじゃないな。
という話を今回していきます。


視力0.01以下の世界って?

視力0.01以下の人の見ている世界は
街灯や車のライトや家々から出る光は
大きな明るい点になる。
どんな光でも元のサイズの
10倍くらい大きな光になる。

日の出ている時間。
外出でもすれば人の顔も分からない。
表情も分からない。
目からげんこつ1つ分の世界しか
くっきり見えない。
眼鏡なしでは文字なんて基本読めない。
近づけても近づけすぎて、
読みづらいし。

僕のコンプレックス

目が悪い。
これは僕にとって
長らくコンプレックスであった。
眼鏡がコンプレックス
というわけではない。
一つのアイデンティティでもある。

では、なぜ目が悪いことが
コンプレックスなのか?
だって、「悪い」って言われるんだもん。
良いの反対の意味の悪い。
何もしてないのに、
見えないだけで悪いと言われる。
それは気分は良くない。

ちなみに
学校行事で一番嫌いなことは、
マラソン大会でも、
プールでも、
大掃除でもない。
そう、
視力検査です。

だって目が悪いことは分かっている。
なのにクラスメイトが見ている前で
目がどれだけ悪いかを指摘される。
みんなAとかBなのに、
僕はC、D。
どこに穴が開いているか分からない
自分が恥ずかしくてたまらなかった。
勉強ではどんな問題も大概分かるのに。
4択でどこが開いているのかが
全く分からないのである。

小学1年からなので
小中高12年間ずっと苦痛で仕方なかった。

それだけコンプレックスだった
視力が悪いということ。

それに一筋の光が見え始めた。


画像1


HSPとの関係性

何度かお話しているのですが、
僕はHSP(Highly Sensitive Person)
といって、とても敏感な人。
通称「繊細さん」と呼ばれる人です。

そんな繊細さんには
五感が優れている人がいて、
僕の場合は、視覚と聴覚が優れている
というか敏感すぎる。気になりすぎる。
といった方が近いです。

とにかく
目からの情報量が多いんですよね。
電車の前に座っている人の服装が気になったり
その人の表情が気になったり、
吊革とかにある広告が気になったり、
外の景色も気になったり、

これって目を開けてる限りは
常に勝手に入ってくる情報じゃないですか。
どうしようもない。

とずっと思ってました。
そう、ずっと、膨大な情報をキャッチして
頭がパンクしそう、休めない。
ということになっていた。

けれど、とっても簡単にこの悩みを
解決することが出来ることに気づきました。

それは、
眼鏡を外せばいいということ。


眼鏡を外せば世界が変わった

そしたら、ちょうど去年の自分も
そんなことをしていました。

こちらのnoteで書いているのは、

誰の顔も見たくない。
誰からも僕を見て欲しくない。
眼鏡を外した。
誰の顔も見えない。
表情もわからない。

周りから自分という存在を消すため、
自分が周りとの接点を無くすための
手段として、眼鏡を外していました。


でも今は違う。

手段は同じでも目的が全然違う。

僕が眼鏡を外すのは、
目からの情報量を減らすため
それは、自分自身を大切にするため
自分の時間や感覚を大切にするため
物事に集中するため

実際に、周りの表情が分からないことで
この人怒ってる?なんでだろ?
なんか悲しそう、どうかしたのかな?
なんてことを考えずにすみます。
その分、意識を自分に向けられます。

だから、
眼鏡を外すことを
僕はもっとポジティブに捉えています。

去年の自分は
ネガティブにずっと考えていました。
眼鏡を外さないとやっていけない。
周りの視線が怖くて怖くて仕方なかった。


同じ行動でも気持ちのもちようで
こんなにも違うんだな~と感じました。

見方を変えれば、
コンプレックスを受け入れることが出来る。

自分のコンプレックスを克服ではなく、
違った見方で受け入れてみませんか

ぜひ少し考えてみてください!


今日も読んでくださり
ありがとうございました!!

お気持ちを少しでも形にしていただけると、今後の励みになります。ほんとにうれしいんです。あなたのために書けることが。これからも応援よろしくお願いします!