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エロいコーヒーは美味いのだ

エロいコーヒー

さて、試しにgoogleで
“コーヒー エロ”
と検索してみましょうかね。

ムムッ!!( ͡° ͜ʖ ͡°) ハナヂダラーン

 
まあまともな記事は見当たらないわけですね。
ではコーヒーはエロくないのかというと、そうではないよ。

そうではないよというか、不味いコーヒーにはエロも官能もないのです。
心と身体の熱を狂わせ、クラクラ目眩がするほどの色気も何もないのです。
そこにあるのは、ただ苦いだけ、酸っぱいだけの黒い飲み物。
ただただ得体の知れない飲みもの。

エロくないコーヒーというのは存在している。
しているが、それをじゃあコーヒーと呼ぶかとなると、僕はそうしたくない。


深夜の上野アメ横。
路上を浮遊する立ちんぼ。
ただただのどがクァいたから飲むコーヒー。
彼女たちも同じなんでしょータブンネ。
 
 
官能的なエロいコーヒーは欲望であって欲望でない。
不確かで捉え難くまた得難いものの存在を知り、その価値を味わった経験がある。
そしてそれを求める心が自分の中にまだあることを自覚しているコーヒー。
理想があり、ギャップがある。
悶え、泣き、分断された性をも見る。それを美しいと感じる。

コーヒーも生きてますよ。
コーヒーにも生活があり、恋愛があり、哲学がある。
耽美で美しいコーヒーを飲みたかったらね、コーヒーに聴かせましょう。
ワーグナー、ブラームス。
三島由紀夫を読ませましょう。
たちまち彼らは美への追求を始め、理想の美へたどる道筋を歩み始める。
その過程にはドラマがあり、やがて到達するであろう官能が目覚まし時計のアラームをセットする。
”もうそろそろ、ヤツがやってくる頃だ”
仲間のバリスタが、準備運動を始める。


確かに、コーヒーはただのモノでしかありませんよ。
でもね、コーヒーは利口ですからね 、点てる人間の精神をあっという間に憑依してね、自家薬籠中のモノってね、するんです。
人間がお湯を注ぐ、そレヲただのお湯だと思ってはいけませんよそのお湯には何千何万の思想が入っていて、そんなことだからコーヒーの味は点てる人間によって変わるじゃありませんか。

 
さて、では、どうしたら官能的なエロいコーヒーが点てられるのか。
会田誠のような絵は、いい、いいけれども、ここで欲しい答えではない、あれはあれで人間の本質を嗅ぎ取ったエロであるけれども、ここで欲しいエロとは一線を画す。


ひとまず、ワーグナーを聴いて欲しい。
そして陶酔しきって欲しい。
そのさきに待つものを受け入れたら、そそる下着くらいは手に入るんじゃないか。

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