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発達障害と判明したところで

どうも、思想犯です。

夜中の布団の質が厚くなました。秋が訪れてきているのでしょうね。

今回は、自分の発達障害について語ろうと思います。

私は広汎性発達障害です。この発達障害が判明したのは、傷病手当金で医師が書く用紙があるのですが、その時の病名が抑うつ状態から広汎性発達障害に変わっていました。医者からは事前の説明もありませんでした。

当時の医者曰く、私はコミュニケーションに難があること、こだわりが強いこと、ADHDの傾向もあることから上記の発達障害が判明しました。

でも、アンケートは簡単なものだったし、バウムテストでこだわりが強いことが判明したくらいで大丈夫なのかと思いましたが、医師の診断書を区役所に提出し、障害者手帳を申請したところ、無事申請が通りました。

まだ等級は分かりません。現在居住地を離れているため、区役所に行けないからです。

私の場合、発達障害が発覚したところで驚き半分、納得半分でありました。

そう言えば複数の人と話しながら食べることが億劫でいつも1人で食べていたな、教育担当の人をコミュニケーションが上手くいかなくて困らせていたな、ケアレスミスが多かったな、などなど。

考えれば、自分にはASD・ADHDの傾向がありました。

でも、それを考えたところで、世界が変わることがありませんでした。

最初は絶望でした。

自分は普通じゃない、普通の人のように生活ができないんだと。

抑うつ状態がまだ続いていたことで、死を選ぶ要因の1つになる程、発達障害であることが重荷でした。

ですが、今は諦めにも似たような気持ちで考えるようになりました。発達障害と一生付き合っていくしかない、そうすると、私の中での世界は以前と同じようなものになりました。

それと同時に、いろいろな選択肢が出てきました。

障害者雇用や就労支援に通うという選択肢も出てきて、自分の未来がまた1つ増えたことに嬉しさを感じました。

以上です。

発達障害が個性だと受け入れられるまで、私の場合、時間を要しました。

でも、受け入れるしかありません。それが自分なのですから。

自分を嫌いになっても、それは辛いだけです。

丸ごと自分を受け入れられるようになれば、楽になりますよ。

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