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常に正しくあることは暴力にもなりうる



久しぶりの音楽記事です。
ヒグチアイさんのどうかそのままという曲。
とっても素敵で大好きな曲。


そもそも正しいって、なんだろう。

後回しにしないこと
何事にも一生懸命取り組むこと
有言実行
1度始めた事は最後までやり遂げること
…?
教科書に書いてありそうな正しさ。私にとっての正しさは自分が生きやすくあることなんだけど、なんて本当の正しさの前では屁理屈になる。



暖かな部屋に帰ってくれば、正しく並んだ洗濯物
「帰ったらやるから放っといてね」
今朝のセリフは本当の気持ち

私はいつも感謝してばかり
できない私を縁どられて小さな優しさに責められた気がして
ついに逃げ出した


言葉で責められることはなくても、いつも完璧で正しくある人の横にいるのは疲れてしまう。
優しさでやってくれたとわかっているから、さらに苦しくなってしまう。

私の友人に自分にも厳しく他人にも厳しい人がいる。刺々しいわけでは決してない。
とても優しいのだが好き嫌いがしっかりあって、他人の間違いを指摘できる強さがある。
彼女はすごく素敵な人で、私にはいつも正しく向き合ってくれる。
しかし彼女の前では私はどうにか清廉でいようと、無意識に取り繕ってしまうのだ。それが大変に負担に感じる時もある。

本当の私は適当に手を抜くし怠惰な部分もある。そういう自分を恥じてしまうのが、また私を責めさせる。
彼女のことは大好きだ。

恋人がそういう人だったら、もっと息苦しいのだろう。
自分は自分、相手は相手。と、常に分離して考えることができる意志があればいいのだろうか。
でも、頻繁に会う相手だときっとそれにも限界がある。



できないことをやろうとする私
そのままでいいよと言った君

ここまで完璧なのだろうか。
少女漫画の中なら「私の彼素敵」でハッピーエンドだ。
でも現実は違う。
できない私を受け入れるほどの包容力までも見せつけられる。

優しいも正しいも、全て過ぎれば暴力だ。
精神的に磨り減っていってしまう。


どうかそのままで
君を苦しめた私のことなどもう忘れてしまって
二度と思い出さないで


それでも、どうかそのままで。
悪いのは全部卑屈に感じてしまう私。

私もきっとヒグチアイさんのように考えてしまうのだろう。

深夜にしっとり聴きながら、妄想力をはたらかせてみた。


ずっと離れていたけど恋愛したいな。

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