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『今は‥‥‥‥そういう力の強そうなものは全く受けつけない』壊れゆく予感

吉本ばななさんの『SINSIN AND THE MOUSE』の一節。

今はがさつなものや嫉妬や過去の感情など、
そういう力の強そうなものは全く受けつけない、
そんなふうに思っていたからだ。

吉本ばなな『ミトンとふびん』より

この一文に強く惹かれて、手帳にメモしてある。
いま正に、私の心はそんな状態だ。

何が原因かなんてわからない。
原因がわかれば楽なのに。

何が理由で、何がどうしてこうなって、こんなにも心が疲弊してゆくのか、私自身には全くわからず困惑している。

ただ一つ、思い当たることがあるとするならば、日に日に日が短くなり、朝夕の冷え込みを感じるようになり(再び夏日だなんて予報もあるけれど)、父の命日が一日一日近づいてきていることとは関係があるのかもしれない。

そうはいっても、父の死は94歳。
老衰。
最期まで幸せそうで、にこにこと楽しそうに微笑んで、意識が混濁する中でも遠い日を懐かしむように声にならない声で語り続け、本当に本当に、これ以上はないだろう穏やかな幕切れだった。
父が長年住み慣れた自宅で、母とゆっくり看取れて、父も母も私も幸せだと思う。

だからといって悲しくないということではないのだろう。
諦めがつくものでもないのだろう。

(死なない人はいないのだから)

ここ数日、何度となく私の中に浮かび上がってくる言葉。

死なない人はいないのだから。
父はもうすぐ95歳という高齢まで、元気に生き抜いたのだから。
父の希望どおり、最期まで家族がそばにいて、付き添って、自然に自然に、その呼吸が停止するのを見届けたのだから。

一年近くが経って、悲しむ方がおかしいのではないか。
そんな思いが、私を苦しめる。

昨年は楽しみに開けていたゾネントアのアドベントティーも今年は買わない。
21日から急激に衰え始めた父は、25日のクリスマスを待って26日に息を引き取った。アドベントカレンダーをめくることは、一日一日父の死に近づいていく過程をなぞるようで、想像しただけで息が苦しくなる。

今はもう、がさつなものや心ない言葉や無神経な態度や美しくないものや、とにかくそういった力の強そうなもの、棘がありそうなものには全く触れたくない。

ただただ優しくてやわらかであたたかくて、あふれ出る涙をそっといつまでも受け止めてくれるような、そんな光の中にいたい。

私の心が壊れませんように。
ささやかな喜びに微笑む力を取り戻しますように。
感謝する心を忘れませんように。
日々、様々な力に支えられて生きていることを忘れませんように。

向かってくる力は嫌いだけれど、生きるには立ち上がる力が必要なのだ。
強い強い力が。

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