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自分の夢がずっと分からなかったのは「見えないこと」だったから。

夢があることは素晴らしいことだと思う。

小さい子に問わず、
人に「夢」を尋ねた時はこういう答えが多いように思う。

野球選手になりたい、
歌手になりたい、
お嫁さんになりたい、
海外で生活したい、
お店をやりたい、
オリンピックに出たい・・・

そして、その先には、

人々を笑顔にしたい、
街を盛り上げたい、
子供達に希望を与えたい、

などの目的がついてくることが多い。
目的は周りの人へ対してだったり、
自分に対してだったり、
その辺はさまざまだったりする。

私は幼稚園の年長のときだけ日本の幼稚園に通っていたのだが、
「夢」が何もなかったため、
隣の女の子の真似をして
『看護師さんになりたい』
っと大きく書いた記憶がある。

そしてその横にはちょっと変わった男の子が
『焼き芋屋さんになりたい』
っと書いていた。

『おもしろいなー、なんかすごくいいなー』っと思ったので
今でも覚えている。

「夢」と聞かれた時、
基本的には「目に見えるもの」が多いように思う。

だからなのかな、
私には「夢」っていうものがなかなかわからず、
答えられずにいた。

ジュエリーが作れるようになりたくて学びはじめ、
今があるのだけれども、
「ジュエリーブランドを持ちたい」
「ジュエリー職人になりたい」
「お店を持ちたい」
など明確な夢を持っていたわけではない。

さらに言ってしまえば、
「人々を幸せにしたい」
っと思ってジュエリーをやっているわけでもない。

もちろん、
身につけて幸せに思ってもらえたり、
笑顔になってもらうこと自体はとても嬉しいことだけれども、
それは結果であって、夢ではない。

ジュエリー製作は好きだけれども、
「これが自分の生涯の仕事」っと思ったことはないし、
お店やブランドに対する固執もない。

夢を叶えたいと思っている人からしてみれば
『何贅沢なことを言っているだ』
っと言われそうだけれども、そうだから仕方がない。

改めて考えてみたとき、
「あ、そっか、自分の夢とは

自分が表現したいものが表現できるようになり、
表現し続けること。

なんだな」

っと思った。

わくわくしたりするのは
新しい知識や技術を吸収する時だったり、
自分自身が出来ることが増えたことだったり、
ずっと取り組んでいたものが完成したとき。

ジュエリーでも、音楽でも、ウェブでも、絵でも、
対象はなんだっていいのかもしれない。

肩書きも別に欲しいわけじゃない。

自分の夢がずっと分からなかったのは、
「見えないこと」だったからなんだな。

「夢」っというとても曖昧な概念や定義ゆえに
ずっとなんだろうっと探していたのだけれども、
ただただ定義や考え方の問題だけで
実はずっと自分の中にあり、
今までずっとそれを目指していたんだな

っとわかって、すごくすっきり。

子供の感覚の延長かもしれないけれども、
それでいいじゃない。

「夢」が叶っていると言ったら叶っているし、
まだ途中と言ってしまえば、まだ途中なのかもしれない。

「夢」はどんな些細なことでもいいと思うし、
自分が納得したらそれでいい。

それぐらい曖昧な方が、自分に合っているような気がする。


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