クライマックス恐怖症

本を読めるようになることを今年の目標にした。

春休みに実家に1週間ほど帰省した時、母が図書館から借りてきた本を僕にオススメしてきた。
あまり本を読むのが好きでも得意でもない僕は小説を1冊読み切ることが出来ないほどで、結局その本も短編だったのだが、1章と2章の序盤までしか読むことができなかった。

ただただ集中力がない為かと今までおもっていたが、そうでも無いことに最近気がついた。

きっと僕はラストを読むのが嫌なのだ。

クライマックスはどうなる?
この一心で本を読み進めるのが普通なのかもしれない。最後の展開は?主人公は?そういう興味が本を読むことをかきたてているのではないかと僕は思っている。あるいは、ただただ夢中になってそのストーリーを楽しみながら読んでいるのかもしれない。

僕にはそれがない。

厳密にはない訳では無いが、クライマックスに辿り着くのは好きだ。だが、そのあとが嫌いなのだ。

これは本の話題からは逸れてしまうのだが、小学生の頃からアニメが好きでとにかく金曜ロードショーでアニメがやる時はジブリからたとえ今まで興味のなかったものまで欠かさず見る習慣があった。

夜遅くに終わるものであっても親と一緒に無理やり起きてみるか録画して次の日に一気見するかの二択であった。半分以上後者だったのだが、それにしても必ず見ていた。

だがある金曜日の夜、親が先に寝てしまったが1人でずっと夜中に金曜ロードショーを見ていた。
何を見ていたかは忘れてしまっていたが、その日は最後のエンドロールまで見切ったのだ。

それがダメだったのかもしれない。

ぽつん。

と、リビングのオレンジ色のライトの下で消えたテレビと自分だけになった時、何か喪失感を感じた。
さっきまで夢の中にいたように楽しかったのに、何一つなくなってしまった気がしたのだ。

両親も寝てしまいこのあと1階の電気を全て消して1人で歯磨きをし、2階の自分の部屋でベッドに入って眠らなきゃいけないのだ。

ストーリーが終わってしまった。
あの後の主人公はどうなった?この話の続きはない?
等と考えていた。

昼間録画で見ていたらそのあとまた違うアニメを見たり弟と遊んだりと次の楽しみがあったのにそのストーリーを見切ったあとはモヤモヤしながら寝るしか選択肢になかったのだ。

それから僕は金曜ロードショーをリアルタイムで見切ったことはほぼない。
見切れたものは1度昼間に見て最後まで見終わったものだけだった。

いつも今からいいとこ!って場面で両親や弟よりも早く寝てしまう。

そして翌日の昼間にぼーっとお昼ご飯を食べながら見切るのだ。
それではワクワクは消し去られてしまう。

それからだろうか。
アニメ映画にしろ小説にしろ漫画にしろ、最後まで読み切れなくなってしまった。

本を読まないから読解力も無くなる。
学校の朝読書は完結されていない本か自分の気に入ったシーンだけ何度も何度も読み返し一向にページが進まない。

読み切れなかった本は沢山ある。

そのうち学校の国語も物語文が苦手になり説明文のようなものばかりの点数が上がっていった。

高校3年間ではほぼ本や映画とは無縁な生活をおくってきた。

映画は父や弟が見ているものを横からちらっと見て最初とラスト前のシーンだけ覚えていたりする。地元は田舎なこともあり映画館はない為映画と触れる機会も減っていった。

そんな中大学進学と同時に上京し、映画館が近くにある生活になった。

そこで夏休み前に久しぶりに映画館に映画を見に行った。
両親と弟と来たのは何年も前の事だったのでチケットを取るところから戸惑ったが何とか座席までたどりつけた。

そこで見たものは自分が読んでいた漫画の実写版映画だ。
ちなみにその漫画も最後まで読み切ってはいなかったが実写化は僕が読んでいたところだったので楽しみにしていた。

1回目見た時本当に楽しめた。エンドロールまで見たのに本当に楽しかった。ザワザワと人が帰っていく中をかき分けながら自分も帰った。

2回目見よう!来週大学が終わったらすぐ見に行こう。
平日の昼間ならほぼ人はいないはずだと思って楽しみにしていた。

翌週にまた見に行った。次は細部まで細かく見ようエンドロールの最後まで見逃さずに!!!!
そう息巻いて見に行った。
その日は平日の昼間なら空いているのでは?という予想が的中し、本当に人が少なくて自分の席の両脇横1列自分以外に1人ぐらいしかいないぐらいのガラガラの映画館で友達なんてもちろん誘わず1人で楽しんだ。

2回目なのに泣いた。最高だった。
エンドロールの端から端まで見た。

そしてまた出会ってしまった。

エンドロールが終わったあとの映画館のオレンジ色の光。
あの時の喪失感と似た光景。

さっきまで泣くほど感動していた映画。

でも今は暗くなった画面とオレンジ色の光。
空になったポップコーンとコーラの容器。
ガラガラの映画館。

目眩がした。

こんなに好きなアニメの実写なのに。

なぜこんな暗い気持ちで帰らなきゃいけないのか。
私は楽しかったはずと自分に言い聞かせ主題歌をYouTubeで聞きながら帰った。

イヤホンから流れてくる主題歌に少し気持ちが救われた気がした。

家に帰ってそのアニメの原作漫画を読んだ。その頃には完結していたはずだったが読み切れなかった。
何故か途中で手が止まり、続きに行けないのだ。

その漫画は全巻持っているが未だに全部読みきれていない。

ずっと本棚に置きっぱなしだ。

なぜクライマックスが嫌いだと気づいた上で僕が今年の目標を本を読むことにしたのか。
それは大学の授業での事だった。
文章表現と言われる授業で厳しめの先生にあたり授業前に顔があおざめるほどその授業が嫌いだった。
授業前の空きコマと休み時間をトイレにこもって過ごすぐらい嫌だった。
このままお腹痛いことにしてサボりたいと思った。
でも行かなきゃ行かないでついていけずにもっと行きたくなくなる。
だからとりあえず1回休んでしまったがそれ以外は全部出席をとり、先生ともまぁまぁ仲良くなり長講まで考えた。

だが、成績には自信はなく、授業を半年やりきることは出来たものの成績はF(不可)にならないことを祈るばかりだった。

結果はB

上から2番目の成績に普段休み時間に僕の青ざめた表情を見ていた友人もそうだが、誰よりも僕自身が驚いた。

その授業の先生は毎回授業が始まる前に

「本を読みなさい」

と言っていたことを思い出した。

その言葉もきっかけになったが何よりこの世の中に本を読むことを勧めてくる人は沢山いる。

その授業を受けていた半年は本当に口うるさく本を読めと言われた。
思えば周りの大人は皆小学生の頃から本を読めと言ってきていた。

こんなに何年も勧められるものはあるだろうか?

それに今更気づいた僕はアホなのだろうか?

好きな本は?映画は?こんなことはどこでもよく聞かれる。僕はそれに答えられない。それが単純に嫌になったのだ。
映画を見た感想や本を読んだ感想がTwitterでよく流れてくる。

「○○絶対見た方がいい。」

「この映画が好きな人はきっとこれも好きだと思います。オススメです。」

「この映画見た後だと今まで普通だと思っていたことが違って見える。」


等、そんなに価値観まで変えられるものが身近にあるのになぜ僕はそれに触れてこなかったのだろうか。

今からじゃ遅いだろうか。

とりあえずNetflixやらなんやらよく分からないが登録して片っ端から映画を見たり、図書館カードを作って図書館にある本を片っ端から漫画でも小説でも読んでみたりとにかく夢中になってみたい欲が出てきて脳から離れない。

今とにかく本を読みたい、映画を見たい。
あのオレンジ色の中の光の喪失感の事などどうでもいい。

またやって来たら続けて映画を寝落ちするまで見ればいい。

きっと何かを変えてくれる。

僕はクライマックス恐怖症。
それでもそんな架空の恐怖とは今年でさよならするつもりだ。

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