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13年前友人に会いにウランバートルへ行った時の話

周りの同年代女性が大体2回目ワクチンの副反応で高熱出してたのに、私自身は全身関節痛になりはしたが大したことはなく。

日頃かかりつけ医に大量の薬を処方されている配偶者「熊」は私にせっつかれて接種直前にとうとう簡易財産目録を作成。笑 でも彼も左腕の痺れはあったものの、あとは2日間全身の倦怠感くらいで済み。

まだまだ3回目も4回目もあるかもよ…といいながらコロナワクチン接種はひと段落した我が家。

来月になったらプール通いも復活しようかな(隣県の公営プールに通っている)、習い事も復活しようかな(一番近い政令指定都市に通っている)、とつらつら考えていましたら、突然心の中から湧き上がる衝動が!

ああ、旅に出たい...

病気ですね。笑 結構ハードな旅が多いので、帰国するとすぐ「ああ~、日本って最高!やっぱ風呂無しの国には住めねえ~」て毎回思うのに! すぐまたぞろ病気が。

そーいうときはネットで海外の絶景画像を見ることで「妄想旅行」をして己の欲望をだまくらかすのですが、

「白鵬、引退!」

のニュースが流れてから、私の頭の中は13年~14年前の海外生活&旅行にタイムスリップしております。 というのも

友人(モンゴル人女子)が白鵬に激似 笑

本人の許可をもらっていないので画像をお見せできなくて残念無念。 結構美人さんだと思うのですが、白鵬似でもあり。笑

彼女との出会いは、フィリピンのルソン島。5つか6つ私の方が年上ですが、彼女といるとなんだか年を意識せずに二人ではっちゃけられる、というか。

 時々あぶなっかしくて、ニコニコしながらすぐブチ切れる彼女を諫めつつも、明るい彼女に引き寄せられる人々と思いもよらぬ交流を楽しませてもらっておりました。

日本語検定一級の彼女の語彙の豊富さと早口によくびっくりさせられました。 ちょっと自信過剰で嫌味なフィリピン人女子に彼女がつけた仇名が『しゃくれ』…最初聞いた時、吹きましたわ…確かに顎が見事にしゃくれてる人で。 

笑顔で毒吐く彼女が大好きでした。

まあいろいろあって、私がフィリピンから寄り道している間に彼女は日本に帰国し、転職したものの新しい仕事が上手くいかず、10年以上いた日本から「モンゴルに帰る」とメールが日本へ帰国直前の私に届きました。 日本へ帰り、彼女がモンゴルへ帰る前の残り数日を一緒に過ごし、成田まで見送りに行きました。

彼女が帰国したのは2007年5月。 2008年4月から現地採用で中国で働く予定だった私ですが、直前に体調不良と家族の都合で断念。 中国-日本往復の特典航空券が2回分宙に浮いてしまったので、2008年9月に彼女に会いにモンゴルへ行きました。

当時システム変更の為の増員ということで某メガバンクの店舗で派遣社員として働いていたんですが、 私以外の課全員女子が研修で1日不在→一人で店舗対応させられるなどというとあまりに非道な仕打に、「イジメか?!」とキレて「連休とります」と辞める覚悟で言ったら、システム変更前に辞められたくなかったのか、あっさり「いいよ~」と承諾されました。

上海で働いている友人と会って、ちょうど中秋節&国慶節で巨大な月餅なんか並んだ店を冷やかしたりして、夕方北京行きの寝台特急まで時間を潰しました。

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例の地域の郷土料理屋さんです。めっちゃ美味しくていつか行くぞ!と思っていたのに。泣 スパイスの効いた羊肉やトマトの入った麺などほんとにほんとに美味しかったなあ…

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上海~北京の寝台特急は大変快適でございました。

北京で日本からメールで中国最大手旅行会社のCITSに北京~ウランバートルの列車のチケットの手配を頼んでいて、待ち合わせのだだっ広い広場で不安に思い待っていたところ日本語も対応できるスタッフの方が来て下さり、無事チケットを受け取りました。 いざモンゴルへ!

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ちょうど中秋節の頃の北京駅。

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漢字とモンゴル語とロシア語表記でしょうか。 モンゴル語はロシアの借用語が多い、と聞きましたが文字も似てますな。

18両編成ですが乗ってる人は少ない、空いている個室がいっぱい、な感じでした。 そして日本人の男性と同じ個室になり、一緒に食堂車で食事しました。

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同県出身者だということがわかり、話に花が咲きました。 国境付近の二連では深夜に車両を追い出され、3時間近く駅で過ごす間スーパーで手土産の果物買ったら他にすることもなく、仕方がないので二人でしりとりして眠気を誤魔化してすごしました。 東北地方のテレビのアナウンサーをされているとのことで、語彙力が素晴らしく、なかなか終わらないしりとり合戦だったことを覚えています。

ちなみになんで3時間も停車するかというと、線路の幅?規格がモンゴルと中国とで違ってるんで車輪を交換しているんだそうです。

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モンゴルに入ると延々と草原、つーか野っ原が広がっております。

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溝口肇さんの「世界の車窓から」をつい口ずさむ景色

ウランバートル駅に友人と彼氏(ちょっと人相悪いけど)が迎えに来てくれました!

「本当に電車出来たよ、この人!」

って半分笑い、半分驚いてた当時航空会社勤務の彼女。

ウランバートル駅

このコワモテの彼氏、日本の中古車を輸入して販売しているそうですがビジネスを始めた時は、

フィンランドのヘルシンキまで行って友人と買った車を運転してモンゴルまで乗って帰ってきた!?

「ロシア、危なくなかった?」と聞いたら、「二度とやりたくない。今思い出してもコワイ」そうです。 

コワモテですがとっても優しく、帰国する前夜のお別れ会で「デーギ(コワモテ氏の名前)のいつも食べてたうどんみたいな麺が食べたかったな」といったら、「今からつくる!」と言ってきかないので「もうお母さんの御馳走でお腹いっぱいだから、次来た時に作って」と言うまで本気でうどん作ってくれようとしました。汗

彼女のお母さんの家はスフバートル広場というウランバートルのど真ん中の名所の隣のブロックのアパートで、そこに泊まらせてもらいました。

彼女の休みの日に郊外のゲルに遊びに行ったり、私一人でウランバートルの街や市場をぶらぶらしたり、アナウンサーの彼が帰国前にまた皆で食事したりしました。

帰りはウランバートル~北京、北京~上海、上海~日本と全部飛行機で帰ってきました。 その後1~2か月に1回くらいはメールしたり電話したりしていました。そして彼女は妊娠・出産で仕事は産休を取り、私も忙しい毎日で段々連絡を取らなくなっていきました。

その2年後位に突然「今、日本にいるよ!」とメールが来たので、連絡してみたところ、子供が小学校に上がるまで産休を取れるので、子供を置いて日本の大学院へ入学しようと準備中、とのこと。 子供ちっさいのに大丈夫かしらん?と思っていましたが、何か月か経ってメールして見ると、もうメールが届かなくなっていて。

その時から現在に至るまで、約10年ほど音信不通、です。

Faceboookで探したりしましたが、見つからない。泣

いつか行こう、いつか行って探すんだ、と思いつつコロナで身動きとれなくなってしまいました。

が。 海外往来も自由にできるようになったら。

行くぜ!モンゴル!

その時はまたあの寝台列車に乗って、動画とかも撮ろうかしらん、「消息不明の友人を探す」とかでyou tubeに載っけるとか?などと妄想中。笑   ちなみにスパイスの効いた羊の串焼きが美味しいウィグル料理と違って

モンゴル飯は羊臭凄い

ので、彼女を探しに行くという目的が無ければ、本当はもうモンゴルはいいです~、て感じなんですが。汗 

でも、死ぬ前に

必ず彼女に会いに行きます!

…レトルトとカップ麺大量にバックパックに詰めて、ね。

ジンギスカン像


creemaにて新作出しております~。




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