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【書評】『エイジ』を読んで、犯罪者のことを軽々しく叩けなくなった

世間では眼をそむけたくなるような凶悪犯罪が起きている。

当然犯罪者は大嫌いだ。
人を傷つけた人は許せない。
はっきり言うと地獄に落ちてほしい。

でも、この重松清さんの『エイジ』を読んでからむやみに人をたたけなくなってしまった。

犯罪者にも人権があるとかそういうことではない。普通の人と犯罪者の違いというのは実は紙一重であり、まったく違うと言い切ることは出来ないと思ったからだ。特に、成長途中の子供がどのように経験したかで変わっていく。

ちなみに、思いっきりネタバレする。


タカやんと自分は何が違う?

中二というと、中二病という言葉があるけど…、進路などで将来のことや自分自身のことを考え出すようになる。一方で多感な時期で「子供だから/子供なのに」といわれたり、自分の意思を行動にうつせなかったり、大人に意見を言うということが難しいかもしれない。
ある意味大学3年生の私も当てはまる部分も多いかもしれない。

中学2年生の主人公・エイジもバスケ部のレギュラーだったがひざの故障でバスケができなくなり気持ちが晴れない。そんな中、自分の住む桜ケ丘ニュータウンで連続通り魔が発生。
犯人はなかなか捕まらず自分のまちでそのような事件が起こり続ける。被害者の中には流産になったという妊婦の女性もいるがエイジにとってあくまで他人事。ところがやっと捕まった犯人はエイジと同級生で、同じクラスでもあまり目立たないタカやんだった…

マスコミや雑誌の取材などが来る大騒ぎとなるが、少年法があるためタカやんは「少年A」とだけ報道される。普段だったらニュースを見てこういうことが起こっても結局他人事だから、と気にも留めない犯罪のことが「自分事」になった。

他にも、そのころバスケ部の親友・岡野がいじめられているのを止めろと言われてものは単なる「友情ごっこ」だと拒否したり、親やタモツくんが犯罪に対して評論家ぶって言うことに疑問を覚えたり、不良だけど情に厚いツカちゃんがたまたま遭遇した通り魔事件の被害者の苦しみを自分に同化して怒り病んでいくのを見ているうちに、次第にエイジは情緒不安定になっていく。

何となく周りを取り巻く環境に違和感を覚えつつも行動に移せないエイジ。次第にこのいら立ちをどうすればいいのかわからなくなる。ついには自分が加害者の気持ちを自分に同化し、タカやんはどうして通り魔になったんだろう、もし自分が通り魔だったら、という想像をするようになってしまう…という話。

私は今のところ、というかこれからも犯罪者になるつもりは毛頭ない。
でも、ふとしたはずみでエイジのようなことを想像することもあるかもしれない。

子供から大人になる際、感性が強くなるからか、どうしても大人や友人の意見を簡単に受け入れることができず反発するも、かといってだから相手に何と言えばいいのかわからずエイジはそれにもどかしくなっているのだろう。

ぼくはタカやんのことを「かわいそうだ」と思ってなんかいない。でも、手記を書いた人のように「許さない」とも思わない。
「かわいそう」と「許さない」のあいだに、ぼくの気持ちはある。それをどんな言葉で言えばいいのか、いまはわからない。(p193)
被害者の気持ちなんて、わからない。わからないんだということすら、いままで考えたこともなかった。手記(注:被害者である流産した妊婦の夫が加害者の「少年A」に向けてつづった怒りの手記のこと)を読んだときに、そういうものなんだな、と納得はしたけど、ほんとうは納得なんかじゃない、別のわかり方をしなくちゃいけないんだろう。でも、それは、どうやればわかるんだろう。自分が通り魔に襲われないと、ダメなんだろうか……。(p244)


エイジの葛藤が痛いほどわかる。


たとえば自分も大人に意見を言い出せず、本心とは異なるのにただ親の言いなりになっていた時期もあって、親が大好きなのに嫌いという矛盾が起きていた。
いや、ある意味今のほうが強いかもしれない。

私たちはだれもが「少年A」となりうる。

こんなの自分は持っていない!危険な思想だ!と言い切れるだろうか? あなたにはそういう弱さは本当にないのか?

エイジは自分は犯罪者とは違う、と決めつけるのではなく、弱い部分も認めることをした。ツカちゃんも同様だが同化することで異化できる。人は、誰かを真似(ロールプレイ)して学びおとなに成長する。

悪い感情があるからといって責めたりするべきではなく、それも受け入れて向き合っていくべきではないか。おそらくタカやんはそれが出来なかったのではないかというように考えたのだ。
未熟で不器用かもしれないけど、それでも私も、読んでいるあなたも、皆さんのご家族や友達も、他人が想像している以上にずっと悩み苦しみながら一生懸命に生きている。

エイジも私もこれからの人生、つらいことや色々なことがあるだろう。
でもだからこそ、「負けてらんねーよ」と言いたい。
この意味が知りたかったらぜひ読んでみてください。

再読して良さをかみしめる

いや、しかしいいねこの作品。久々に読んだけどやっぱり名作だ。

ちょうど中学1年のあたりに読んだ記憶がある。
でもこの本を再読してみて、この話はむしろ大学生の今こそ読めてよかったなと思う。
子供が大人に弱さを伝えられない理由が書かれていたけど、だったらその答えを伝えられる大人になりたいなと思った。
中学生のころ何十冊も読んでいた重松さんの作品、また読み返してみようかな。
作品の良さをかみしめているあたり、自分も成長できたのかな。

最後に、エイジの成長がわかる部分を引用して終了とする。

タカやん、早く帰ってくればいい。許すとか同情するとか関係なく、ぼくたちは同級生で、同じ教室にいて、あいつはあっち側に行って、ぼくはこっちにとどまって、でも根っこのところはつながっている、それをたしかめたい。ぼくはタカやんじゃないし、タカやんもぼくじゃないけど、ぼくは、タカやんとの違いじゃなくて、あいつと同じなんだと噛みしめることで、タカやんにはならないんじゃないかそんな気がする。(中略)
この交差点を曲がれば、もう団地に入る。家から遠ざかっていたつもりの長い寄り道は、けっきょくは帰り道になるんだ、と知った。どこかで、知らないうちに近道もしていたのかもしれない。(pp414-415,420)
「その気」は、いまは静かに眠っている。どこにいるのかは知らない。消えてなくなったわけじゃない。「好き」がたくさんあればあるほど、「その気」把握に引っ込んでくれるような気もするけど、勝手にそう思い込んでるだけかもしれない。ただ、「好き」で結ばれたつながりは気持ちいいな、と思う。人間はつながりを切れないんだったら、チューブはすべて「好き」がいいー(pp442-443)

怒られそうなほどネタバレしちゃった気もするけど、エイジの最初の頃のふてくされた性格と比べるとすごく成長がわかるし、オチが分かった上で改めて読んでも勉強になる。

エイジやツカちゃんの成長していくプロセスが素晴らしいし、作者の人物設定もすごく細かいのでぜひ読んでみて欲しいです。


※あくまでおじさんが中学生になりきって書いてるから無理ある描写もあるけど笑、すごくいい作品だと思います。ただし青春小説とは違うので注意。テーマが少年犯罪という重い作品だけど、個人的に重松さんの作品の中では一番好きです。ちなみに解説も秀逸です。

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