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アメリカ大統領選挙と情報戦④~少女とひなぎくとキノコ雲(前編)

前回はこちら。

 鳥のさえずりが聞こえる平和な野原で、一人の幼い女の子が、ひなぎくの花びらをたどたどしく数えている。その後に大人の男性の声で、ミサイル発射のカウントダウンを始め、続いて轟音とともに画面に、核兵器によるキノコ雲が広がる。

 これは、1964年に現職大統領として大統領選挙に臨んだリンドン・B・ジョンソンの選挙CM「ひなぎくと少女」である。アメリカ史上最も有名な選挙CMであるが、これを通じて何を伝えようとしたのだろうか。

ジョンソンの大勝をもたらした宣伝

 1963年11月22日、ケネディ大統領がダラスで暗殺された。副大統領であったジョンソンが大統領に昇格し、そのまま翌年の大統領選に臨むことになる。

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(リンドン・ジョンソン)


 1964年の選挙は、ジョンソン大統領(民主党)にバリー・ゴールドウォーター(共和党)が挑む構図となった。11月3日の投票結果は、選挙人獲得数がジョンソン486人、ゴールドウォーター52人という圧倒的な大差であった。

「極端な」ゴールドウォーターの脅威

 副大統領・大統領としての実績をアピールできるジョンソンに対し、ゴールドウォーターはどうアピールしたのか。結論から言うと、彼は極端なまでの右派的(保守的)な主張を、わかりやすい言葉で繰り返していた。
「社会保障があると国民は政府を当てにするようになるから、社会保障制度を縮小して小さな政府にするべきだ」「政府による経済への介入は最小限にするべきだ」「アメリカは、敵である社会主義国に対して断固とした態度をとるべきだ」……などである。


 こうした「極端」な主張は、ジョンソンにとって怖いものだった。良識ある人なら、極端な主張をする政治家とは距離を置くだろう。しかし、大衆は率直で力強いことをいう政治家に共感するものである。

 ジョンソン陣営にとって最悪のシナリオは、ゴールドウォーターの極端さが、国民に好感を与える方向に転ぶことである。ならば、ゴールドウォーターの極端さに決定的なマイナスイメージをつけたい。そこで生み出されたのが、悪名高いネガティブ・キャンペーン「ひなぎくと少女(Daisy girl)」であった。

「ひなぎくと少女」の生みの親

 この時の選挙広報で裏方を務めた人物は、ビル・モイヤーズ(1934~)である。彼はジャーナリストであり、ケネディ政権からは公職についた。ジョンソンの参謀役であり、1965~67年にはホワイトハウス報道官にもなった人物である。

 彼は、「ゴールドウォーターに負のイメージを植え付けたい」というジョンソンの意をくみ、広告代理店DDB(ドイル・デーン・バーンバック)社に伝達。こうして生み出されたテレビCMは、「ひなぎくと少女」と通称されている。

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