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『信長公記』の割とどうでもいい記述を紹介していく③~乞食を憐れむ

前回はこちら。

 オカルト風の話が連続しましたが、『信長公記』の割とどうでもいい記述のパターンはほかにもあります。

「山中の猿」(巻八の五)

 天正3年(1575年)の頃の話である。

 近江国と美濃国の間に山中という地名がある。その道に傍らには、いつも体の不自由な乞食がいた。信長は、上洛・下向のたびにその乞食を見かけるので、土地の者に尋ねた。

「乞食というものはあちこちに流れていくものだが、あの者はなぜいつも同じところにいるのか」

 土地の者は、次のような言い伝えを教えた。

「この山中で、昔常盤御前(源義経)を殺した者がおります。その報いにより、子孫は代々不具となってこじきをするのです。『山中の猿』と申しております」

 天正3年6月26日に信長は上洛するが、その際、この「山中の猿」のことを思い出した。信長は、自ら木綿二十反を取り出して、山中の宿に赴いた。

 信長は、すべての村人を呼び集めると、反物を乞食に与え、「この反物で乞食のために小屋を作ってほしい。毎年、収穫の時には米や麦を少しずつ与えてやってもらいたい」と述べた。乞食だけでなく、村人も信長の従者も、その慈悲に感動して涙を流したという。


 信長には残酷・苛烈というイメージがありますが、このような側面もあったのですね。

(続く)

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