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アメリカ大統領選挙と情報戦③~「テレビ映えする大統領」の登場

前回はこちら。

 1960年9月26日は、アメリカ大統領選挙の歴史を語るうえで、外すことのできない伝説的な日である。史上初めて、大統領選挙の候補者のテレビ討論会が開かれたのである。全4回のテレビ討論のうちの1回目であった。

ケネディとニクソンの「残酷なビジュアルの差」

 討論に臨んだのは、共和党のリチャード・ニクソンと民主党のジョン・F・ケネディの両候補であった。ニクソンは、アイゼンハワー大統領のもとで副大統領を二期務め、実務経験の豊富さをアピールしていた。一方、ケネディは若くハンサムであったが、政治経験の面では弱さがあった。

 ニクソンは、議論の面では優位に立っており、ラジオで討論を聞いた人は「ニクソンが勝った」と感じた。ところが、テレビで視聴した人は「ケネディが勝った」と判定した人が多かったという。


 ニクソンは、アメリカ全土の遊説に力を入れており、かなり疲弊した状態で討論に臨んだ。前の月に怪我で入院し、体重を落としていた点も不運だった。当時のテレビの強烈な照明の中では、やつれてひげの剃り跡が目立つ精彩のない姿が印象に残ってしまったのだ。一方、ケネディは入念なメーキャップを施し、若々しいイメージを与えることに成功したのである。

 容貌の美醜よりは「リーダーとして頼れるかどうか」という観点ではあるが、ニクソンは見た目の点でケネディに敗北してしまったのだ。

ニクソンもテレビ軽視はしていなかったが…

 ニクソンも、決してテレビの力を侮っていたわけではない。討論は全4回あるので、後になればなるほど注目も集まると考えた。そこで、ニクソンは「クライマックス」にあたる4回目に得意分野の外交について語ろうとしていた。また、急いで体重を増やし「テレビ映え」にも気を配った。

 ところが、全国の有権者にとってもっとも印象に残ったのは、初回のテレビ討論での「勝利するケネディの姿」だった。ニクソンは初回の敗北のイメージを引きずり、選挙でもケネディに敗れることになった。

選挙を変えたケネディ流

 ケネディは大富豪ジョセフ・ケネディを父に持ち、有り余る財力をもって多くのテレビCMを打っていた。ケネディが炭鉱の労働者や学校の生徒たちの中に入っていき、率直に社会問題について語るというもので、ケネディのクリーンさを人々に印象付けた。その一方で、ケネディは民主党で指名を争っていたヒューバート・ハンフリーに対するネガティブ・キャンペーンも行っていたのである。

 ニクソン陣営も、前任のアイゼンハワーに習い「ニクソン、アメリカに答える」というCMを流した。投票日(11月8日)の前日には、50万ドルもの大金を投じて、ニクソンに投票を呼びかける放送を行っている。それでも、ニクソンのテレビ戦略はケネディのそれに及ばなかったのである。

「ケネディは若々しいイメージを前面に出した」と言っても、実年齢はケネディ43歳に対してニクソン47歳であり、本来は大した差ではない。テレビ討論でのメーキャップを進んで受けたケネディと、それを拒んだニクソンの違いが、大きな落差を生み出したと言っていい。


 選挙で大切なのは、中身よりも見た目である。選挙に勝ちたければ、「何を言うか」より「テレビにどう映るか」を重視しなければならない――1960年の大統領選挙は、以後の政治家たちの行動を強く規定することになった。

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