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『信長公記』の割とどうでもいい記述を紹介していく②~大蛇伝説

前回はこちら。

 前回は怪談じみた話でしたが、今回も不思議な雰囲気で始まります。首巻の第27節の記述です。

大蛇が現れる池

 信長の青年期の話である。織田家臣・佐々成政の居城・比良の近くに「あまが池」という池があった。その池には、恐ろしい大蛇が出るという言い伝えがあった。

 ある時、又左衛門という者が大蛇を目撃し、その噂が信長の耳にも達した。信長は自らあまが池を訪れ、池の水を干して大蛇を探すよう命じた。ところが、いくら調べても大蛇は見つからない。信長も、自ら脇差を口にくわえて池に入ったが発見できず、居城の清須に帰ってしまった。

信長の強運

『信長公記』筆者の太田牛一は、その話の後、さらに奇妙な話を記す。

 このころ、佐々成政が信長に逆心を抱いているという風説があった。信長が成政を召し出しても、病気と称して応じない。信長があまが池を訪れると聞くと、ついでに自分の城を訪問して腹を切らせるのではないか、と不安になっていた。

 その折、成政の家臣が進言した。「信長公がこの城を訪れたら、私が『小船に乗って池に漕ぎ出し、大蛇を見ましょう』と申し出ます。護衛のほとんどいない小舟の上で、隙を見て私が信長公を討ち果たします」

 ところが、信長は成政を訪問せず、あまが池からすぐ帰ってしまったので命拾いした。大将ともなる器の人は、万事において油断しないものだ、と牛一は結んでいる。

(続く)


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