永川浩二_登場す_

永川浩二、登場す。 第7話

(第6話はこちら)

「トモさん…」
私立探偵工藤祐作は、自宅を兼ねる探偵事務所のソファに座り、古い事件の書類に目を通していた。
「工藤さん、またあの事件の資料に目を通してるんですか?」
工藤探偵事務所で事務職のアルバイトをしている大学生、入来公康がそう声をかける。湯気の立ったコーヒーカップを工藤の前のテーブルに差し出す。給湯室からも香りが漂って来ているので、淹れたてなのだろう。
「ああ。ついこないだ、息子に会ったせいだな」
「先日来ていた高校生?の2人組ですね。どちらかが、加治屋モールの通り魔事件の…永川警部の息子さんなんですね」
「そうだ。トモさん…いや、警部が処分後に消息を絶ったあと、俺も気になってあの子たちとは連絡をずっと取っていた。それが今回、あんな事件に巻き込まれて…なんの因果なんだかなあ」
工藤はコーヒーを口に運びながら、視線を虚空に向けそう言った。
「最近市内で起きている連続殺人事件ですよね、犯人が【鉄仮面】なんて江戸川乱歩風の通り名を使っていたり、ターゲットが和製ABC殺人事件みたいだったりで、何だかイロモノ感の強い事件」
「そう。アクが強すぎる。古典ミステリのごった煮だ。今回、すでに報道が出ているが、4人目の被害者が、警部の息子さん…浩二の友人だった」
入来には、刑法を専攻し将来は司法を志しているという彼の勉強も兼ねて、差し支えない範囲で工藤は自分の知っている情報を共有していた。もちろん誰にでも話す訳ではなく、入来の聡さに信頼を置いてのことだった。
「工藤さん、実はこないだの話、ちょっと立ち聞きしてました」
「え、ほんとかよ」
工藤が呆気に取られたような表情で入来を見た。
「彼らにすごく期待しているんですね、なんだか、一緒に事件を解決しようとしているように僕には見えましたよ」
「余計なことをしたかなとも思ったけどな。彼らは彼らのたたかいをするべきなんだよ、【鉄仮面】に対して」
工藤が翳りのある笑みを浮かべたちょうどその時、事務所の机に乗せてある工藤のスマートフォンが鳴り響いた。
「はい…はい…え?」
工藤は通話を手短に終えると、表情を強張らせた。
「何かありましたね」
「ああ。知り合いの刑事から手伝ってほしいっつう依頼だ。この近くで殺人があったらしい」
入来はその言葉を聞くと、工藤のカバンと上着をクローゼットから取り出し、工藤に差し出した。

***

「ん?」
広島県警山内署地域課 、小山田純一巡査は突然足を止めた。第4の事件が起きた福地高校敷地内に臨時で設置されている捜査本部から周辺住民へ聞き込みへ向かう、まさにその途中であった。
「どうしたの、小山田さん」
聞き込みに勢いで同行させてもらう事にした福地高校2年永川浩二は、突然立ち止まった小山田に声をかけた。傍らには同じく福地高2年で浩二とともに事件の捜査に関わっている立浪優子もいる。
「いや、今足に何か当たったみたいなんだ」
小山田の足元には、数珠のブレスレットが落ちていた。琥珀色の玉が繋がっている、伸縮するタイプのものだ。
「なんだこれ、落とし物かな」
そう言って小山田が屈んだ次の瞬間だった。風切り音がしたかと思うと、小山田が呻き声を上げて倒れ込んだ。その左胸には、ボウガンの矢らしきものが刺さっており、患部から多量の出血が見られる。
「ひっ…いやあああああああ!!!」
優子の叫び声が校内にこだまする。浩二は直ぐ様矢が放たれた方向を見た。
「え?」
ボウガンの矢が放たれたと思われる方向には、何もなかった。ただ、校舎のコンクリートの壁が広がるのみである。
「一体…どこから矢は飛んできたんだ…?」
「う…うう…」
背後から聞こえた声に、浩二は振り向く。
「小山田さん!!」
小山田が、自身の左胸に刺さった矢を引き抜こうと呻いている。
「ひ…左胸って、心臓があるところじゃないっけ…」
「僕は、内蔵逆位なんだ。通常左胸にある心臓が…僕は、右にある」
「良かったあ…今、救急車を呼びますね!」
そう言うと、浩二は半泣きの優子の肩を抱え、捜査本部へ急いだ。

***

小山田を乗せた救急車の音が聞こえなくなると、山内署地域課の今関竜也巡査部長は唾を吐き捨てた。
「この非常時に、更に捜査本部の目と鼻の先で殺人未遂とは…。しかも、害者は警官だぞ!どうなっているんだ」
今関は苛々を隠すことなく言った。小山田の狙撃から10分後に救急車は到着し、近くの大学病院へと緊急搬送された。浩二と優子は捜査本部に避難し、県警の保護下にいた。優子はまだ動揺が止まないらしく、顔を真っ青にして細かく震えていた。
「あ、い、う、え、そして、お…だったのか」
浩二は、今関にも聞こえないような小さな声でそう呟いた。今回の【鉄仮面】による一連の犯行は、被害者に名前が五十音順に並んでいる。
「おいおい、なんだ、この騒ぎは」
捜査本部の扉が開いた。そこに立っていたのは、工藤だった。
「え…工藤さん?」
「木田刑事に用があってきたら、この校舎内でさらなる事件があったそうだな。どうなってるんだよ、まったく!」
工藤が困惑の表情を浮かべていると、そこへ広島県警の木田刑事が捜査本部に戻ってきた。
「工藤さん、スミマセン。校舎の現場をもう一度検証していたんで」
木田は工藤を見ると頭を下げた。取調べの時の高圧的な浩二への態度とはまったく違う、謙虚な物腰だ。浩二は、智仁が殺害された夜、工藤も一時的にだが木田刑事が張り込んでいる現場に来ていた事を思い出した。二人は元同僚で、互いに面識があったのだ。年齢的に、工藤が先輩だったのだろう。
「ほら、早くパトカーを出せ」
「え?何かあったんですか」
「コロシがあったんだよ。隣の苫米地町でな」
工藤の言葉を聞いて、浩二は鈍い痛みが頭の中を走るのを感じた。智仁が殺されてから、また立て続けに起きた殺人未遂と殺人。浩二の意識は、この初夏の暑さとはまた違った理由でだんだんと朦朧としてきていた。

(第8話へつづく)

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