水紗 かなた (misa kanata)

おいしいものときらきらしたものがすき/ 誰かの心をふわっと軽くできたらいいなあと思いな…

水紗 かなた (misa kanata)

おいしいものときらきらしたものがすき/ 誰かの心をふわっと軽くできたらいいなあと思いながらなんでもないことを書いています/+マークはフィクション

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なんでもない話と

学生時代、他人と接する時間はある程度あったのに、今思い返しても何を話していたか全く覚えてない。 でも色んな話を、色んな人としていた。 社会人の今は、どうだろう。 職場の人と話すと言っても事務的なこととほんの少しの当たり障りのない世間話。 帰宅して、話せる家族がいて、それでも会話は少し。もし一人暮らしだとゼロ。 さみしいとは感じないけれど、なんとなく満たされない感覚。 なんかモヤモヤするけれどうまく言葉にできない。 誰かと話したいけど、休日に会うともだちとの時間は限られてい

    • 癖だとわかっていても

      わかっていても、なかなかねぇ。 漠然と、起業したい、と。 そう思い始めたのはいつだったかもう覚えてないけれど。 おかしな話だけど、何か販売したいものがあるわけでも、伝えたいことがあるわけでも、自分に特別なスキルがあるわけでもなく。 ただ、自分の居場所を自分で創りたいと思った、ぐらい。 できるわけない、とは自分でも思った。 じゃあ何するの?私には何があるの? ほんとにできるの?お金は?人生設計は? とにかく自分を質問攻めにした。いや、今も気を抜くとしてる。 そうやって自分で

      • +夏のはじまり

        ああ、これでやっと夏が終わった。 花火をやるまで夏が終われない!と君が手持ち花火を買ってきたのは少し肌寒くなってきた夜のことだった。 外に出ると星と月が近くに見えてとっくに夏が去ったことに気付いた横で、明らかに季節外れのそれを君はとても楽しそうに開け始めている。 花火で照らされた少しの間だけ見える楽しそうな表情に、どれだけ安心させられているかきっと君は知らないだろうけど、そんなことはずっと知らなくていいとまで思う。 最後の線香花火を見ながら、また来年も、があるのだろうかと

        • 好きなことと罪悪感と

          好きなことをするって難しい。 仕事を辞めて家に引きこもるようになって1ヵ月。 何をしてるのかと聞かれると、何してるんだろう、ね(笑) 好きなことをするでもなく、楽しいことをするでもなく。 なーんとなく時間を消費しているような毎日。 変な枷を自分で付けてるなあと思うけど、何もしてない自分には楽しむ資格もない気がしていて。 好きなお菓子作りもアクセサリー作りも、本を読むこともドラマを見ることも大好きな人たちと話すことも、それこそデートさえも、なんだか楽しんではいけないような気

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        なんでもない話と

          はじめての陶芸体験を

          ずっとやってみたかったろくろを回す、をやってきた。 体験の話をする前に少しだけ惚気させてほしいんだけど、今側にいてくれているだいすきな人が、私のやりたいをたくさん叶えてくれる人で。 今回も彼が、やってみたいって言ってた陶芸体験行ってみない?って声をかけてくれて、教室も調べてくれて予約してくれて。 そんな彼のおかげで人生でやりたいことリストに入れてあったことの1つ、ろくろを回すタイプの陶芸体験をする、をやってきた。 届かないけどここでもお礼を言いたい、ほんとにありがとう。

          はじめての陶芸体験を

          書くこと

          流れるように書きたい、という理想。 何を書こうか、と悩むことはないけれど、何をどう書こうかという迷いはずっとある。 基本的に私の書く文章はぼやっとふわっとしている。 人に伝わるかというと伝わりづらい気がするし、何を伝えたいかなんて考え始めるとどんどん書けなくなっていく。 文章を読むことが好きで、自分の脳内を言語化することも好きで。 でも何かを書き表すほど日常は面白くないし、Twitterのように話し言葉で軽く書くならまだしも、文章にするというのはやっぱり難しい。 誰が読ん

          取り扱いと対処

          自分の取り扱い方はまだわからないけど対処は少しうまくなったっぽい。 本を読むことも音楽を聴くことも私にとってはあまりにも日常に溶け込みすぎていて。 伝わらないことを承知で使うけれど、言わば発作みたいなものなのである。 文字を、言葉を、文章を、気が付けば目で追っていて、でもその時間がいちばん心が落ち着いている感覚がある。 ふとした時に求めてしまうのは言葉で、縋り付くのも言葉。 音楽だって音も聴いているけれど結局は言葉を聴いていて。 言葉が好きだなあという気持ちが年々膨らんでい

          上がらないままで

          なんだか調子が上がらない。 梅雨が終わる。 これがやりたい、と人前で夢を口に出してみたのが1か月前。 相変わらずの進捗。 それどころか迷路に入ってしまったかのよう。 一体みんなどうやって生きているんだろう。 物事を選ぶときの基準は?何を決め手に? そんなことを周りの人片っ端から聞いて回りたいほど。 ”何がやりたいかは自分がいちばん知っているよ”なんて何度も耳にしたけれど、そうやってやりたいを自覚するたび、やりたいとできるは違うとも思い知る。 これは私の癖だなと思う。 心

          上がらないままで

          またここから改めて

          漠然と、大きな節目になる1年になる気がしていた。 毎日更新を志したのはもう何年も前になり、再スタートを決めては続かない、も繰り返して数年。でもやっぱり言葉を綴りたくなってまたここに。 本を読むことも少なくなり、文章を書くこともなくなって。 なのに言葉の重さに触れる機会は増える一方だった。人からもらう言葉に励まされ、パワーをもらい、時には逆に自分の言葉が人に影響を与える瞬間を何度も目にした。 現実逃避のために久しぶりに本を手にすれば泣きそうになるほど心が動いた。 もっと言

          またここから改めて

          何度目かのおかえりを

          自分に言いたい。 おかえり私。 過去投稿を下書きに戻したり、新しいアカウントを作ったり。でもどんな形で戻ってくるか結局決めきれないまま、戻ってくることを決めた。 どんなnoteを書こうが、続けられなかろうが、何もかも自由だというのに。そんな風に諦めがつくまで随分と時間が経ってしまった。でもどうしても、ここに帰ってきたかった。 noteから離れていた間、書くことだけでなく、読むことからも離れていて。好きな方々の言葉に触れない期間を過ごした。そういえば本を読むことも減ってた

          何度目かのおかえりを