見出し画像

4人の子供たちをそれぞれタダで地球一周させた話(笑)

【これは私自身の子育ての思い出話です】

私には現在高3、中3、中1の息子。それに小4の娘がいます。
長男は小学校1年生の夏に85日。
次男は年長さんの春に105日。
三男と長女は、それぞれが年長さんと三歳だった時に一緒に105日。
親元を離れて地球をグルっと一周、船の旅に出ました。

私の母は小学校の教師をしていました。母は「退職したらピースボートで地球一周するのが夢」だと昔から口癖のように言っていましたが、海外旅行の経験もない、そもそもたいして旅行好きでもない母親がなぜそんな大口をたたくのか、ずっと不思議に思っていました。
60歳が近づくと母は明らかにわくわく、退職の日を心待ちにしている様子。本当に旅に出る準備を始めます。
当時、私たち家族5人はちょっとした事情で実家に転がり込んでいましたので、母が仕事で不在の家中の家事全般と数年前の大きな事故の後遺症で少しばかり暮らしにくさを抱えた父の面倒を私が引き受けさせてもらって生活していました。
留守番組の家族の状況は完璧です。「行ける!」と踏んだ母の決断力の早いこと。
3月末に退職。その年の7月には約三ヵ月の船旅へ出発です。
はい。あれよあれよという間に。
ついでに、孫(当時小学1年生の長男)を連れて、、、

当時のピースボートは小学1年生までの子どもは大人一人に対し乗船料(渡航料金・部屋代・食事代)無料だったのです。コロナ前の良き時代ですね。
それを知った母は「孫を連れて行かない手はない!」と言い出しました。洋上では「モンテッソーリ保育園」が利用できるというではありませんか!突拍子もない母の思い付きに乗った私も私です(笑)

3か月も母親のもとを引き離すなんてとんでもない!
何かあったらどうするの?
小学校に入学したばかりで勉強の方はどうなの?

とは思いませんでした(笑)
私さえ決死の覚悟をすれば、今の私たち夫婦には到底経験させてあげられないような3か月を息子にプレゼントしてあげられる。
それ・・・のった!


それから2年後、62歳の母は、少し元気になった父と一緒に、次男と三人で地球二周目。
それからさらに二年後、慣れてき両親は、三男と長女を連れて四人で地球三周目の旅に出ました。


子どもを授かって18年。
これまでも、どちらかを決めなければならないたくさんの場面で、
面白い方や、楽しい方、お得な方を選択して子育てしてきました。

決して贅沢な豪華客船ではなかったけれど、あの経験は「かけがえのないお金の使い方」だったと、両親は未だに満足そうに思い出話しに花が咲きます。(孫さえ切り離せば、そのお金で別の豪華客船で一周はできたことでしょう)
大きくなった子どもたちは子どもたちで、おばあちゃん達との大冒険はかけがえのない思い出。また別の不思議な絆があるようです。



とはいえ、
洋上での生活がどんなドタバタ劇だったかという話や、
寂しくて寂しくて、まるで戦時下に息子を送り出す母のような気持になった私の話や、
意外と2か月も経てば親も子も離れていることが平気になるという話、
子どもたちがどんな風に変わって帰ってきたかという話、
おかげで日本中各地にお友達ができたという話、

さぞかし国際色豊かな青年に育ったかと思いきやそんなでもないという話、
私たちがこの元教師のゴットマザーを尊敬しているという話、
夫と夫の両親が許してくれたからこそのミッションだったという話、、
まだまだ書きたいことはたくさんですが、



当時5歳だった次男。横浜の大桟橋での就航式セレモニーで代表スピーチに抜擢されました。晴れ晴れと元気よく。しっかり笑いも巻き起こって、なかなか良い思い出です。
その時のスピーチです↓

〈全文〉
ぼくは、●●●●●●、5さいです。
ぼくは、おじいちゃんとおばあちゃんと三人でピースボートにのります。
お父さんとお母さん、おにいちゃん、おとうと、いもうとは、おるすばんです。

たのしみにしている国は、アイスランドとハワイです。

お父さんから、
ピースボートのピースは「なかよし」といういみがあるとおしえてもらいました。ぼくは、たくさんの友だちと「なかよし」になってかえってきます。

ぼくは、外国はこわいところではなく、たのしいところだということをみてきます。

お父さん、お母さん、いってきます。
おにいちゃん、●●くん(弟)、●●ちゃん(妹)、いってきます。
みなさん、いってきます。



母親の、「手を放す」という決死の覚悟。
それさえできれば、子どもたちは地球だって一周して帰ってくることができる。
今日はこのへんで✋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?