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[012 瞑想詩] 泉から湧き出す言葉。あるいは、自動書記で無意識を解き放つ。

☆12日め

自動書記と言いましてね、シュールレアリズムの手法なんですが、意識で何かを書くのではなく、無意識からやってくる言葉を書き記してみようって方法があるんですよ。

そんなことできるんだろうかって、昔は思ったもんですが、意識なんてものは実のところ、人間存在の氷山の一角にすぎないってことが分かってくると、やり方次第ではできるはずだなって、思うようになりました。

今こうして書いているのは、完全に自動書記ってわけじゃないけど、「自動書記」という言葉を種とした蒔いて、あとはただ流れに任せてしまっているので、この考えないままで書く状態が続いていけば、半自動書記くらいの感じになりますかな。

人間の心の中には、表現されないままに、表現されることを待っているたくさんの想いがあるわけですから、それを手当たり次第引っ張り出すことで、普段の意識を超えた表現ができる可能性があるわけです。

それがどこまで普段の表現を超えていけるかは、その時点で無意識が準備できている範囲に限定される部分もあるわけですが、その範囲というものが、意識化されて無意識にフィードバックされれば、超えて超えて超えてゆく、今までは知らなかった、まだ見ぬ宇宙の果へと向かって、確かに進んでいくことも可能となるはずです。

進んで進んで進むことに、何か意味があるのかと言えば、この世界自体の無意味性に立ち返れば、そこには何の意味もないのは当たり前だし、意味のないものがあふれ返っているということから言えば、そこにはどんな意味でも乗せることができる、ということにもなる。

だから、豊穣の海という名の月面の、静謐な窪地を歩き続けるように、ぼくたちはやっぱり歩き続けるわけですよね、苦しくても、つらくても、悲しくても、憂鬱でも。

だって、たまにはいいこともあるし、楽しい時間がないわけじゃないし、すべてを忘れてぐっすり眠ることだって、可能性としてはいつだって開かれてるんですから。

最悪の事態が続いて、どうしても耐えきれなくなれば、そのときは最後の手段もあるわけですが、最後の手段を取るだけの勇気や衝動や絶望があるのなら、今までの自分の枠組みをぶち壊して、ちっぽけで、干からびて、凝り固まって、凍えたエゴを叩き潰して、粉々に砕いて、ポイと放り投げちまうことだってできるんですから、どこからともなくやってきて、世界を覆い尽くしてしまった没落感覚なんてものは、鼻で笑って、鼻息で吹き飛ばして、まあとりあえずは水で顔でも洗って出直すことにして、この変幻自在の低空飛行の気分とかいうものに、少しは潤いを与えてやろうじゃないですか。

とまあ、そんな次第ですので、神々の棲むヒマラヤの山から降りてくる、ときには澄み渡り、ときには泥で濁る、莫大な水量の川の流れのようには、あなたの心を洗い浄めるわけにいきませんが、意識的な作用を極力はなれて、少しばかりは自由度を高めた、無意識の泉から湧き出す小さな小さなこの奔流が、あなたの心のどこか片隅とでも響き合う僥倖を最大限に願った上で、この小文の幕を閉じることにしましょうか。

てなことで、それではみなさんナマステジーっ♬

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☆この記事は、ヤヤナギさんがこちら
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