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[009] ゆったりと生きよう。あるいは、今日も瞑想の話。

あるいは、今日も瞑想の話。
☆9日め

努力とか、我慢とかが、苦手な人間です。

そのクセ、10日間の瞑想合宿コースに行って、朝から晩まで座ってるんだから、まったく自己矛盾してるな、と思います。

でも、人生に矛盾はつきもの。

というか、矛盾する複数の欲求の間で、どうバランスを取るかで人生の進路が決まってするんですよね。

こちらの記事にも書きましたが、ぼくの人生のバランスの取り方は、よく言えば「流れにまかす」、悪く言えば「投げやり」です。

https://note.com/tosibuu/n/ne1b23c477b87

ですから基本的に「努力なんかせずに、ゆったりと生きたい」と虫のいいことを考えているわけです。

でも「嫌なことを避けて、好きなことだけやる」なんてことは、できるわけないんですよね。

これは、絶対といっていいくらいの話で。

瞑想をするようになって、これが分かってきたのは、大きな収穫です。

「嫌なことを避けようとしても、避けきることはできない」、「好きなことだけしていようとしても、いつまでも続けられるものではない」、この2つのことが、人生における苦しみの原因だと、仏教では考えます。

だから、しんどいことでもするべきことにはきちんと向き合ってしたほうがいいし、いくら好きなことでも、そればっかりしようとするんじゃなくて限度をわきまえたほうがいい。

当たり前のことですよね。

当たり前のことではあるけど、これを実行するとなるとやっぱりバランスの取り方が難しい。

今の世の中で「しんどいことでも我慢してやらなきゃ」なんて迂闊に思ったら、ブラック企業にこき使われて過労死しかねません。

お釈迦さまは別に、ブラック企業の味方をして、理不尽なな要求にも従え、と言ってるわけじゃない。

仏教は、きちんと理性を働かせて物事の善悪を見分けるように教えていますから、企業の体質に問題があれば、それを見極めて、喧嘩をすることなく冷静に対処すればよいのです。

とはいえ、この冷静に対処するというのが、また難しいわけで。

ぼくの場合は「逃げるが勝ち」の人生で、働くのが嫌いだから、なるべく働かないで済むようにと生きてきました。

働かないと収入が減りますから、余計な支出は削ります。

ぼくの生活水準ははっきり言ってしまうと、もう20年以上と生活保護以下です。
(このご時世でそういう方も少なくないとは存じますが)

でも「人並み」という基準を捨ててしまえば、お金がない人生でもそれはそれで楽しく生きられるし、しんどいことがあっても、それは自分で選んだ道だから仕方がありません。

ここで、
「努力なんかせずに、ゆったりと生きたい」
という話に戻ると、これは考え方次第では虫のいい話にもなりますが、
「世間並みの努力はせずに、ゆったりということに執着せずに、落ち着いた暮らしを生きる」
と言い換えてみれば、仏教的な世界観にもあった「足るを知る」生き方と考えることもできるわけです。

ぼくの場合、世間並みの努力をしないのはいいとして、奥さんとの共同生活が円滑に回るように「するべきことをきちんとする」ようにしなきゃな、と思いますし、安楽な道ばかり追い求めず「困難なことにも向き合う」ことが必要だと、自己分析はしています。

今までの長い人生で染みついた習慣は、簡単に変わるものではありませんが、瞑想の力も借りて、少しずつでも変わっていきたいな、と思う今日この頃なのでした。

てなことで、それではみなさんナマステジーっ♬

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☆この記事は、ヤヤナギさんがこちら
https://note.com/yanagingin/n/nfcd5ce5b1529
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