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オッペンハイマー

ノーランたちは原爆を作ってしまった。この映画が存在する限り、観ずして語ることはできないため、観ることは強く勧めます。ただ、どう観るかは人それぞれ。少なからず僕は、何故この映画を作ったのか解せず、ノーランファンでありながら、はじめて「二度と観たくない」と思いました。

ノーランたちは原爆を作ってしまった

事実や真実を伝えることは、映画に与えられた責任や役割であることは理解しています。ノーラン監督も当然そう感じ、その原爆の恐怖や、その裏にあった複数の長くて辛い成功物語を映像化できるのも、自分しかいないときっと感じていたのかなと推測します。

ただ、この作品には「作る責任」と「作り手の想い」を感じられませんでした。それがないだけに、「観る人の責任」感が始末されずに残り、名声を送る人もいれば、ずっと怯え傷つき続ける人もいて、後者こそ「言葉にできない」状態に追いやられてしまう。僕も言葉を失いました。道徳心がズタズタにされた気分になしました。

ノーラン「たち」と表現しているように、これは、スタッフもキャストもアカデミーも同様。本作のメインストーリーにも描かれている、原爆を生み出してきた科学者、政治家たちと同じように感じてしまいました。悲しいことに。

これ以上は語ることが難しい

ノーラン監督らしく、魔術的な時間表現(一応、時間的工夫はあるにはありましたが)や、映画作品としての魅力があれば良かったのですが、それを感じ取れないくらい、ただただ「これが事実だ」と情報を一方的に突きつけられた3時間半。

この感覚『君たちはどう生きるか』にも感じていたものでした。
素晴らしい監督が、キャリアを積み上げた末に作った野心作を、多大な制作費で、豪華なキャストとスタッフで作った作品。
だけど、みんなどんなつもりで作ったの?観客に自分の想いを語ることができるの?と。

たった一人が悪いわけではないが、全員に「作った責任はある」。原爆においても、この映画においても。これが僕の感想です。

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