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私が統合失調症で入院するまで。②自分がいまここにいる感覚

所々に抜け落ちた記憶。

いくつかの取り戻せない時間。
それでも不思議と覚えていることはあるんです。

心療内科受診から1週間後に、私は大学病院の精神科を受診しました。

十分な睡眠と休息。
適切な服薬。
定期的な通院とカウンセリング。

全て、私には意味のないことでした。

症状はより酷く、明らかに。

間もなくして、
私は、母に連れ添われ学病院の精神科に向かいました。

強い恐怖心、不安感。
このまま囚われてしまうのか。

きっと、そんな風に感じていたのでしょう。

診察室から逃げ出す私を観察して、医師は「改めるよう」母に伝えたそうです。

その夜、

私が、救急車を呼んで欲しいと願ったこと。
私が、救急隊員の入室を強く拒んだこと。
私が、酷く何かにおびえていたこと。

私を受け入れてくれるよう、
何度も病院に掛け合ってくれたという救急隊員の方々がいたこと。

全て、後から知りました。

ただ、覚えているのは、自分のとった行動が異常だということ。それと周囲の情景を少しだけです。

例えばその時、

どんな、服を着たのか?
そこに、誰がいたのか?
それは、夜だったのか?
それとも、昼だったのか?

不思議と今でも覚えていることがあります。

それらはとても断片的で、連続しない記憶。
だけど、とても鮮明に。

「ぐるっと回って、戻ってくるからね」

その頃の私は、そんなことを繰り返し言っていたらしいです。

そして、今、自分の身に起きている、この上ない貴重な経験。
それを、リアルタイムに記録しておこうと、パソコンの前で黙々とキーボードを叩いていたと。

後に母が教えてくれました。

その日、
母が作った夕飯は揚げ物で、私の好物だったような気がします。

私が入院生活において、全ての筆記用具と携帯電話、文字を残せるもの一切を持つ事を制限されていたのは、このことがが理由なのだそう。
(入院生活については、また改めて。)

救急搬送の翌日。

入院先となる精神科病院へ向かうタクシーの中は、とても寒くて、酷く喉が渇いていました。

そう言えば…。
「お化粧、したかしら?」

不安がる私に母は、
「大丈夫、綺麗よ。」

何度もそう言ってくれました。

もちろん、私は化粧なんてしていない。

季節は10月。
体の震えが、止まらない。

医師の診察を受け、間もなく私は扉の向こうへ連れていかれました。
母とは、またすぐに会えると思っていました。

そこは、冷たい床に敷かれたマットの上で、部屋の扉には鍵がかかっていました。

この頃の記憶は、とても断片的。

冷たく無機質な床
薄くて固い緑色のマット
丸見えのトイレと少しのペーパー
ガラスの向こうに置かれた時計
閉ざされたドア

ここは、どこ?

しばらくして、
部屋に入ってきた白衣の女性は、私と一定の距離を保って座りました。

私は、彼女の存在を確かめたくて。
手を伸ばし、彼女に触れようとしましたが、二人の距離が変わることはありませんでした。

「私、死にましたか?」

「いいえ、あなたは生きています。」


彼女はそう答えてくれて、
それから、私の病気について、
とても簡潔に話をしてくれたような気がします。

今、私は病院の中にいて、ここが特別な空間だということ。
全てをきちんと理解ができるようになったのは、それから何日か後のことでした。

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