D2C創業、最初の壁を超えるための5つの基本
こんにちは、ファクトリエ代表の山田(tocio_yama)です。
ファクトリエは、「語れるもので、日々を豊かに」をミッションとしています。日本各地のこだわりを持った工場と一緒に商品を作り、良いものを長く着ていただきたいと思っています。
今回のnoteは【これから起業する方やブランドを立ち上げようとする方】に向けて書きました。
そのため、以下に興味がある方にオススメです。
-将来、起業したい(起業準備中の方)
-新規事業を0から立ち上げたい
-D2Cなど、ブランド作りに興味がある
-ものづくりが好き
-地方創生に興味がある
-後継ぎで、親の会社をどうにかしたい
そんな方を対象として、起業してまず最初の階段を上るため(軌道に乗せるため)に大切な5つのことを書きました。
私自身、まだまだ成功してませんので、多くの失敗の経験談から、階段の一つ目の上がり方のガイド、と思って読んでいただけたらと思います。
最初に(ファクトリエとは?)
ファクトリエは、「語れるもので、日々を豊かに」をミッションとして、日本の工場さんと一緒にこだわりの洋服を作っている工場直結ブランドです。
安心して長く使って頂くため、
・シルエットが美しいベーシックデザイン
・ずっと愛用できる高い品質・耐久性
・何かあった際の修理対応
を心がけています。
さて、ここからは会社の立ち上げで痛感した、5つのことについて書きます。すべて私個人の体験をベースにしてますので、それぞれの今の状況に置き換えてイメージしていただけたらと思います。
1.人生をかけられるビジョンを見つける(WHY)
スタートはざっくり分けると、「自分や身近な誰かの課題を解決したくて始める型」と「どんな山に登るか先に決め、山頂と今の差分を埋めるため、最短最速で埋められる道を探す逆算型」の2通りあると思います。
どちらが正解というわけではなく、私は前者でしたが、まわりの起業家は後者の方が多かったりするので、どちらの方が自分のエンジンが続くかだけを焦点に考えればいいと思います。自分のエンジンが続くか、とは、困難なことがあってもそれに立ち向かえるエネルギーがあるかということです。
さて、どんな経緯でファクトリエを始めたのか少し書きたいと思います。
100年続く老舗の洋品店に生まれる
熊本市内の商店街に、私の実家はありました。一階がお店、その上に住居という古典的な商店街のイメージ通りです。
小さい頃から、部活がない日は店番することが日課で、20時の店を閉める時には、駆け下りて、シャッター棒を使って、ガラガラと閉める。両親がレジ締めをしているのを横目に、陳列された洋服に幕(埃を防ぐための布)をかけて、掃除。そして、21時過ぎから家族みんなで夕食という毎日でした。
「あなたから買いたい」は最強
家業の仕事は地域との共同作業です。近所のお客様と向き合い、次の世代のために地域で作り出した関係性を、紡ぎ、伝承していく。そんな地元の素朴な共同体はおそらく最も純粋なコミュニティと言えるかもしれません。
近所にショッピングセンターができても、お店が継続できたのは、「両親から買いたい」とお客様が常に通い続けてくれたからだと思います。この頃から、「あなたから買いたい」というのは商売にとって最も大切なことだと肌で学びました。
スリに遭って人生が一転
田舎ですくすく育った少年は20歳の頃、フランスへ留学しました。熊本から大きな荷物を4つも抱えて、意気揚々と向かったのですが、着いた当日、地下鉄でスリに遭って一文無しに。さっそく大都会の洗礼を浴びるのです(泣)
バイトしようと、いろいろなお店へ連絡しては断られ、を繰り返す中、最終的にはグッチで雇ってもらえることになりました。ファッションの中心、サントノレ通りに位置するパリ本店でした。
私の仕事は、アジア人枠の肉体労働(地下のストック整理)。荷物を移動したり、値札を変えたり、棚を動かしたりと、裏方の仕事はなんでもやりました。そのうちにギフトラッピングの係になり、レジの免税手続き担当となり、最終的にお店に立つことができました。
同僚から言われた「日本にはなぜ本物のブランドがないの?」
ある日、同僚に飲みに誘われてバーに行きました。そこで同僚に「なぜ日本には本物のブランドがないんだ?」と聞かれたのです。
私は「日本にはユニクロや無印がある」と答えたところ、「それは日本製なの?」と聞き返されたのです。
そもそも質問自体に私は驚きました。これまでに「どこで作られたのか」は意識したことがなかったからです。
商品を買う時に見ていたのは「デザイン」か「値段」だけ。どこの誰が作ったのか、なんてブランドには必要ないものだと思っていました。ところが、同僚は続けます。
「エルメス、グッチ、ヴィトンは元々は工房だった。どんなに旬なデザイナーを招いても、戻るべき”ものづくり”があるから成り立ってる。日本には昔から素晴らしい技術があったのに、そこに敬意を払わないのはなぜ?」と。
日本で学んだ「ブランディング」は、かっこいいデザインやコミュニケーションだったはずなのに、本場のヨーロッパでは、ものづくりだった。そのショックに、呆然として家路についたのを覚えています。
ビジョンを決める
その翌日、「日本人が尊敬するような自国のブランドを工場から作りたい」と同僚に話したのを覚えています。帰国してサラリーマンを6年やってお金を貯め、2012年1月、29歳の時に起業しました。
起業するにあたって、再度、ファッションとは何なのかを考えました。そもそも私はなぜ洋服が好きになったのか?家業が洋品店だったというはそうなのですが、私は洋服自体というよりも、その背後にあるストーリー(父親からもらった傘、友人の店で購入した時計など)が好きなのだと気づきました。その「ストーリーのある生活」は、私たちの日常を豊かにするはず。それで、ライフスタイルアクセント(日常にアクセントとなるような幸せを提供する)という社名にすることにしました。
こうして会社のコンセプトは決まりましたが、目指すべき”北極星”ともいうべきビジョンを持ちたいとずっと考えていました。
目指すべき北極星が決まったら、全ての判断は北極星につながっているかを確認するだけで良くなるので、迷いが消えます。逆に、目指す方向がはっきりしなければ、マーケティングのトレンドワードを聞くたびに、あっちに行ったり、こっちに行ったりと迷いが生じてしまうと思ったのです。
最終的に、ものづくりのストーリーを大切にしたかったので、ビジョンを「語れるもので、日々を豊かに」という言葉にしました。
工場を訪問する際に気づいたのは、便利さを優先するための都市化が進み、過疎化とともに人との関係性が希薄化していること。
2024年現在、アパレルの国産比率はわずか1%まで減少しています。
各地の自然やものづくりの魅力が薄れ、日本から風土自体が失われていました。風土は元来、外から吹き込む風と、その土地に古来から続く土によって成り立っています。私は、外から吹き込む風として貢献していきたいと思ったのです。
ピンチはチャンスと捉え、これまでの商習慣を脱却し、工場から直接お客様に商品を販売できないだろうかと考えました。
誰が作ったのかわかり、ストーリーを知ることで長く愛することができ、心の温度が上がるのを目指したいと思いました。
この10年、ファクトリエは愚直といっていいほど、「語れるもので、日々を豊かに」しようと取り組んできました。すべては、お客様の日々を豊かにし、心の温度を高めたい。孤独や不安が募る今だからこそ、社会にとって必要な存在だと思っています。
2.心から繋がる仲間の集め方(ヒト)
会社をスタートさせて最初の2年間は、社員は私一人でした。その時、手伝ってくれたのがボランティメンバーです。
今でこそ副業を国があげて推進していますが、2012年当時はみなコソコソと早く退社して集まってくれてました。ほとんどが私の友人で、強引に誘って夜な夜な、また休日返上で手伝ってくれていました。現在、ファクトリエの基盤である日下部さんや小林さん、南さんはこの時からの戦友です。
日下部さんは学生時代に就職活動のイベントで同じグループワークをやって以来の友人で、第一希望の会社に入社。そこで活躍していましたが、「大企業だけでなく、ベンチャーも体験してみない?」と半ば強引に誘って手伝ってもらっていました。小林さんは前職時代に知り合って、家が近所だったこともあって週末は小林さんの家で手料理を作ってもらってました。南さんは、高校時代の同級生です。つまり、これまで出会ったそれぞれの分野の最高と言える同年代の友人たちに、ボランティアで手伝ってもらうところからスタートしました。
友人関係を会社に持ち込むのは避けようと思い、彼らが入社してくれた当日からこれまでのあだ名をやめて「さん」付けで呼ぶようにしました。私自身、会社の基盤は、ある一定の合理性、個人の価値、文化、それぞれ適切に融合させるのが大事だと思っていました。
また、働く個々人の人生に会社で得られる経験が貢献したいとも考えているので、「仕事=私事にするための成長シート」も始めました。多様な個人の人生に向き合い、それを受け入れ、環境の変化に対応するのは簡単ではありませんが、その努力は皆の幸せにつながると信じています。
3.どうやってプロダクトを作ればいいか(モノ)
起業した時に、これ以上、新しい洋服を作る必要があるのか?と考えました。前述したように、ファッション業界は廃棄が問題視されています。いま本当に作るべきものとは、いったい何なのか?私の答えは、ストーリーを感じられる洋服がないから作りたい、という結論でした。きっとそれは、現代の冷え切った心の温度を高めるのに一役買ってくれるはずだと。
正直に言うと、事業を始めた時のエネルギーは無知と本能だけでした。例えそこに市場がなくても、市場が小さかったとしても、行動することが大事だと考えています。初めは手探りでしたが、必死にやっていく内にある時点から状況が打開されていきました。
最初はどの工場も相手にしてくれなかった
工場はホームページを持っていないため、インターネット上に情報がありません。仕方なく、地理の教科書で洋服の産地を調べ、駅を降りては近くのタウンページから電話をかける、の繰り返しでした(今も)。
50社ほど訪問しましたが、私を信頼してくれる工場は誰もいませんでした。資本金は50万円、社員は私のみ、商品を作っても支払わずに逃げ出すのではないかと白い目で見られていたのです。
ある日、工場を回っていると、町内放送が鳴り始めました。「この町内を不審な人が回っています、皆さん気をつけて下さい」最初は誰だろうと思いましたが、すぐに気づきました。不審者とは、スーツ姿の私だったのです。
この日は警察に通報されるなど、産地と工場にとって私は不審者であり、歓迎されてはいなかったのです。夕日の沈むバス停で、私は何のためにやっているのだろうと悔し涙が止まりませんでした。
そんな中、情熱だけでお金のない私を信頼してくれたのは熊本県人吉市に本社を置くシャツ工場「HITOYOSHI」の吉國社長と竹長工場長でした。
二人は、私にとってまさに恩人でした。志と想いに共感していただき、おおらかで、チャレンジ精神旺盛な二人には感謝しかありません。インターネット直販というリスクを恐れず突き進んでくれた当時のことは、9年経った今も鮮明に覚えています。
プロダクトアウトとマーケットインの間で
これまで2億枚のシャツを生産してきたシャツ専門工場から生まれるクラシックな定番のワイシャツは美しく、驚きました。
工場に一週間泊まり込んで商品を作る中で思ったのは、プロダクトアウトでいいのか?という疑問でした。ありがたいことに、工場の皆さんもお客様のニーズを知りたいとの声があり、私がそのハブとなる役目になったのです。
1ヶ月、自分で使って品質を確認
アパレル業界には検査機関と項目があります。
検査にはお金がかかりますので、ほとんどの会社は「使った後の耐久テストをしていない」ことを知りました。そのため買うときには良いが、使っていたら縮んだ、色が褪せた、ということが起きてしまうのです。
私は、「長く愛用して欲しい」と思って始めましたので、自分自身で1ヶ月使用し、本当に問題がないかを確認しました。それは今も続いており、現在はお客様にもサンプルをモニタリングしていただき、耐久性以外の着心地などフィードバックを頂いています(信頼するクリーニング工場で家庭用洗濯で10回以上行い、合格したものしか販売していません)。
商品を販売しても今を完成だと思わず、フィードバックから、商品を改善(アップデート)していきます。
4.どこから資金を手に入れ、何に使うか(カネ)
資本金50万円でスタート
預金額は資本金と同額でしたので、自分への給料は月4万円に設定(=家賃)。さらに週3は倉庫でアルバイトをしていました。少しでも節約したかったので、一日の食事は食パン一斤とスープ缶詰をひとつ。
アパートの部屋が倉庫
移動はすべて自転車で、工場に行く時は夜行バスを利用していました。初めてお金を借りたのは起業して2年後で、政策金融公庫さんから700万円。それまでは、貧乏生活をして、なんとかやり繰りしていました。
コストを下げることは、生存率を高める
一円のコスト削減は、一円の利益を生みますし、お金をかけてできることは他社でもできることなので、お金がない分、頭を使って価値を生み出すことを必死に考えていました。いわゆるバーンレートが低ければ低いほど、なかなか死ぬことはありません。創業して3年間は社員が私ひとり、ボランティアに手伝ってもらっていたこともあり、「死なない」体制を作ることができました。
5.どのように伝えれば良いか(情報)
ワイシャツの在庫がアパートに400枚ある中、支払いは翌月に迫っています。このシャツをどう無くしていこうか、途方に暮れながら常に考えていました。結論はどうにか打開できたのですが、そこで実際に行って効果があった3つを共有したいと思います。
①企業への出張販売
そこで思いついたのは、私が講師となり無償で企業で「着こなしセミナー」を開催する企画。ビジネスマンのジャケットやパンツの選び方はもちろん、ベルトと靴の色を合わせるか、など必要なビジネスマナーを”無料で”教えます。その代わり、セミナーの最後にはシャツの販売もさせて下さいというものでした。
100社に電話し、総務に話したところ、4社が快諾してくれました。一社で10枚売るとしたら、とにかく20社に訪問したら200枚売れる。原価は50パーセントだから、支払いはなんとかできると思って、500社に電話して30社訪問し、200枚販売しました。
②ターゲットがいるイベントでのプレゼン
ある日、多くのビジネスパーソン(経営者)が参加する大規模ビジネスカンファレンスがあることをSNS上で知りました。すぐに新サービスの発表の場「IVS Launch Pad」に応募。一度は予選落ちになりましたが、再度プレゼンの機会をいただき補欠合格・・・結果、4位入賞となり、多くの経営者の皆さんにファクトリエを知っていただく機会になりました。
審査員の著名な経営者の方々とは名刺交換し、後日シャツを持って挨拶に行き、購入していただきました。(笑)
③お客さんになって欲しい人に手紙を書く
いま社外取締役をやっていただいている吉田さんの言葉です。自分でコントロールできる行動をしなければ、運に頼るしかない。それは嫌だと思って、毎日一通、手紙を書くことにしました。とにかくファクトリエの洋服が似合いそうな人を想像しながら、手紙を書きました。
ここで大切なのは、一通という目標であれば誰でも継続できるという点です。継続は力なり、とはよく言ったもので、継続していると「根拠のない自信」が湧いてきます。
皆さんもきっと、英会話をやったり、ランニングをやったり、何か決めたことをできていると、根拠のない自信が湧いてくると思います。これは、まさにそれです。私は二日酔いの日も、熱が出た日も、手紙を書きました。
シャネルのリシャール・コラス前社長や、虎屋の黒川前社長、放送作家の小山薫堂さんとは、手紙からのご縁です。
その後、現在の広報山岡さんが加わってくれたことで、「ガイアの夜明け」など著名なメディアに取り上げていただくのですが、それまでは地道にコツコツと上述した3つのことを泥臭くやっていました。
最後に
いかがでしたでしょうか?
起業前夜、熱くて強い意志と、不安による恐怖の間で、ドキドキしていた自分を思い出しながら書きました。このnoteが、どこかの誰かの、少しでも心の支えになれば嬉しく思います。
好きには勝てない
「好きなことをすることでしか、良いものづくりはできない」と考えています。工場の減少を救わなければ、という志も素晴らしいですが、私自身は少し違います。
それは「これができると、すごいことになる!」というところから熱が湧いてきます。ここで大切なのはやはり「好き」という気持ちや「楽しい」という感覚だと思っています。
そういう意味で、私はアメリカの神学者ラインホルド・ニーバー「祈り」のこの一節が好きです。
こんな大変な時だからこそ、変えられることに集中するって大切ですよね。
私が大切にしたい「語れるもの」への意識はここから生まれます。素直さと謙虚さを持って行動し、自分の心のままに挑戦することで、きっと今日とは違う明日が来ると信じています。
それでは最後に、ファクトリエが大切にしているバリューをご紹介します。
「誠実」
人生には”謙虚”と”素直”が必要です。
“謙虚”であればどんな人の意見にも耳を傾けることができ、
“素直”であれば、まっすぐに受け止めることができます。
「挑戦」
明日があると思っていたら、あっという間に何年も経っています。
成功したらヒーロー、失敗してもチャレンジャー。
一番大切なのは、上手でも下手でも、一生懸命、挑戦していますか?
「楽しむ」
人のためが、自分のためになります。
呼吸のように、優しい言葉をかけるから、優しい言葉が返ってきます。
仲間の長所を見て、自ら仲間に働きかけることができていますか?
それでは、またお会いしましょう!
幸運を祈ってます。良い旅路になりますように。
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■ファクトリエ《ベストバイアイテム》
(最後に)
私自身がアトピー性皮膚炎であることから、肌悩みを持つ方向けの商品を開発しています。
現在は主にレディース中心ですが、もし洋服に困っている方がいましたら、ぜひ気軽に私のSNS宛(山田のTwitter)にご連絡ください。繊維の面から情報も記載しています。
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