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恋と学問 第10夜、蛍の巻の文学論・前編。

今夜は、紫文要領の本論部分「大意の事」における、「第2章/蛍の巻の文学論」を読み解きます。(岩波文庫版「紫文要領」34-57頁)

本居宣長は、源氏物語の中盤に位置する25巻目、蛍の巻に描かれる、光源氏と玉鬘のあいだに交わされた文学談義を指して、この物語の「大綱総論也」(同57頁)と、最大級の言葉で注意を促しています。

物語の登場人物同士が物語の存在意義について語り合う。その姿を通して、紫式部はおのれの文学観を間接的に表そうとした。宣長はそのように考えました。光源氏の口を借りて、源氏物語をいかなる動機で執筆したか、そして読者にはどのような心で読んで欲しいかを、そこはかとなく知らせた文章だと主張するのです。

少し長くなりますが、まず、光源氏と玉鬘の「真剣な雑談」の全体をお見せします。面白い会話なので飽きることはないはずです。

長雨が例年よりもひどくつづいて、晴れる折もない所在なさに、おん方々の御殿では絵物語などの遊びをして明かし暮らされます。明石のおん方はそんなことをも趣深くお仕立てになって、姫君(※明石の君の娘)のおんもとへお贈りになります。
西の対(※玉鬘)では、ましてお初めてのことですから、明け暮れ書いたり読んだりして、精を出していらっしゃいます。その道に心得のある若い女房たちが大勢いまして、さまざまに珍しい人の身の上などを、嘘やら本当やら分らないながら言い集めるのでしたが、そういう中にも、御自分のような境涯の者はいないものだということがお分りになるのでした。住吉物語の姫君は、その当時はいうまでもないとしまして、今の世までも格別な人気があるらしいのですが、主計頭という男のためにどんなにはらはらしたことであろうなどと、あの大夫の監(※かつて玉鬘に強引に求婚した男)の恐ろしさを思い出されて、我が身に引き比べてごらんになります。
殿(※光源氏)はこちらにもあちらにも絵物語が取り散らかっていますのが、おん眼につきますので、
「まあ面倒な。女というものはうるさがりもしないで、人に欺されるように生れついているのですね。たくさんな絵物語の中でもほんとうの話はいたって少いでしょうに、そうと知りつつこういう埒もないことを興がったり、真に受けたりなさって、蒸し暑い五月雨時に、髪の乱れるのも気がつかずに書いていらっしゃるんですね」
と、お笑いになるのですが、でもまた、
「こういう昔物語でも見るのでなければ、全くほかには紛らしようもないこのつれづれを、慰める術もありますまいね。それに作り話の中にも、なるほどさもあろうという風に、あわれを見せて、もっともらしく書きつづけてあるのは、根もないことだと知りながらも、わけもなく心が動くもので、可愛らしい姫君などが憂いに沈んでいるのを見ると、ついその味方をしてしまいます。またこのような馬鹿らしいことがと思い思い読んで行くうちに、ものものしい書き方に眼を眩まされて、後で静かに考えると腹の立つようなことなのが、一寸見には飛び抜けて面白いというようなものもあるでしょう。近頃幼い姫君が女房などにときどき読ますのを聞いていますと、随分世の中には話上手がいるものですね。大方こんな物語は、嘘を巧くつき馴れている人の口から出るのだと思いますが、そうでもないのでしょうかしら」
と仰せになりますと、
「ほんに、嘘をつき馴れていらっしゃるお方は、いろいろとそういう風にお取りになるでございましょう。わたくしなどは一途に本当のことと思うばかりでございます」
と仰せになって、硯をお片寄になりますので、
「これは無風流な悪口を言ってしまいました。いや、ほんとうは、神代からあった出来事を記しておいたものなのでしょう。日本紀などはただ片端を述べているので、実はこれらの物語にこそ、詳しいことが道理正しく書いてあるのでしょうね」
と、お笑いになります。
「一体物語というものは、誰それのことと、きまった一人の上のことをありのままに写すのではありませんが、いいことでも悪いことでも、世間にある人の有様で、見るにも見飽きず、聞いてもそのままにしておけない、後の世までも伝えさせたいことのふしぶしを、心一つに包んでおくことができないで、書き留めておいたのが始まりなのですね。よいように言おうとする時はよいことの限りを選び出して書きますし、読者に阿ろうとする場合には、また珍しい悪いことなども取り集めて書きますけれども、皆それぞれにほんとうのことで、この世のほかのことというのではありません。唐土の物語は我が朝のものと作りようが変わっていますし、同じ我が朝のものであっても、昔のと今のとでは違いましょうし、深い浅いの区別はありましょうけれども、それらを一途に根なしごとだと言い切ってしまうのも、事実と違うことになります。佛の端正至極な心で説いておおきになった御教えにも、方便ということがありまして、いろいろな説き方をしていらっしゃるので、愚かな者はここかしこ違ったところがあるのに、疑いを持つかも知れません。方等経の中にはそういう点が多いのですが、つまるところ趣意は一つで、菩提と煩悩との隔たりは、ちょうど人間のよしあしと、同じほどの相違ということになります。すべて何事も、よく言えば無駄なものはなくなってしまうのですね」
と、たいそう物語の効能をお述べ立てになるのでした
(潤一郎訳「源氏物語/巻の三」中公文庫、1991年改版、23-26頁)

長い引用を終わります。なお、翻訳は谷崎潤一郎(1886-1965)のものを使っていますが、そのことについて一言申し上げたいことがあります。

谷崎はその生涯に、非常に長大な源氏物語を3度も翻訳しています。推敲に推敲を重ねた、およそ最高の現代語訳と言ってよいものです。その回数もさることながら、谷崎源氏の最大の特徴は、主語を明示しない原文の奥ゆかしさを、忠実に再現していることです。これによって、紫式部の文体の「体臭」を現代日本語に移すという、前代未聞の偉業を達成しています。

辞書を引きながら言葉の意味を正確に取り、省かれた主語を補って訳す。源氏物語の翻訳者はたいていの場合、この方法を採用しますが、谷崎はそうしなかった。あくまでも紫式部の文章の姿をあるがままに写し取ろうとしたのです。なぜでしょうか?

思うに、谷崎は今もなお巷に流布している「源氏物語・悪文説」に異議を唱えたかったのです。あんたらはこれを悪文と言うがな、ただ単におのれの古文読解力の不足を、紫式部に責任転嫁しとるんじゃないかね?

そんな思いを抱きつつ3度の翻訳にのぞんだ谷崎の姿を想像すると、現代日本に谷崎源氏がある有りがたさを噛みしめるとともに、谷崎源氏がもっと広く読まれることを願わずにはおれません。

話を戻します。

玉鬘とは、宮廷内の高級官僚で絶世の美男子でもある光源氏が、17才の時に愛した女・夕顔のひとり娘です。光源氏と出逢う前に産んだ子供で、父親は光源氏の政敵・頭中将でした。夕顔が光源氏との逢瀬のさなかに急死してしまい、そのことを知らされなかった乳母は困り果てて、縁故をたよりに幼い玉鬘を連れて九州に下ります。そこでの暮らしのなかで、引用箇所にも出てきた大夫の監という地元の有力者が執拗に関係を迫ります。玉鬘と乳母は、おのれの運命をなげき、信仰にすがる心が芽生えて、長谷寺に参詣するのでした。

偶然にも、その時はちょうど、かつての夕顔の侍女で、夕顔急死の現場にも居合わせ、以来光源氏に仕えていた右近という女が、長谷寺に参詣する所でした。宿屋で対面した両者は、この奇跡のような出来事に驚き、涙を流し合います。その後、玉鬘は光源氏に引き取られ、完成直後の大邸宅・六条院の西の対をあてがわれることになります。

光源氏からすれば、玉鬘は愛した人の忘れ形見でもあり、政敵が過去に置き去りにした娘でもあり、その比類なき美しさのために恋する人でもありました。玉鬘からすれば、光源氏は面倒を看てくれる親代わりでもあり、実の父との再会を認めてくれない政敵でもあり、しつこく関係を迫る厄介な男でもありました。

そんなおかしな2人、親子のような、恋人のような、どちらでもないような関係の2人が、長雨の退屈をまぎらわすために始めた「真剣な雑談」こそが、引用した箇所なのです。

さて、以上で「蛍の巻の文学論」の内容とその背景を説明したことにしまして、今夜はこのへんで終わりにしましょう。宣長はこの箇所をどのように解釈したか、そのように解釈することで何を伝えたかったのか。これを次回の宿題とします。

それではまた。おやすみなさい。




【以下、蛇足】




今回は長文の引用を必要としましたので、宣長の解釈までたどり着けませんでした。今回を引用の前編としまして、次回を解釈の後編とした次第です。

光源氏と玉鬘、2人の関係性を見たうえで、改めて会話をていねいに読みますと、光源氏の無邪気と言いたくなるほど自分の欲望に忠実な様子を、紫式部はよく書いているなと思い知らされます。

玉鬘の機嫌をわざと損ね(嘘をつきなれた人はそう思うのでしょうね、と硯を片付けてしまう玉鬘)、冗談で言ったまでのことですよと弁解して物語の価値を語り始める光源氏のなかに、好きな女に対してわざと嫌われるような言葉を吐いて、こちらへと気を引くように仕向けるという、あの単純な作戦を見るのは容易なことです。また、男はそのようにして女との会話を楽しむ生き物だということも、良い悪いは別として真理でしょう。

要するに何が言いたいのかというと、この会話は紫式部の文学観を宣言したというわりには、不自然な所がなく、光源氏と玉鬘の関係性から言って当然ありそうな会話なのです。ストーリーのなかに突如として作者の思想が入り込めば、話の流れがおかしくなりそうなものなのに、そうなっていない。そこに作家・紫式部の天才を見たのもまた、宣長が最初でした。

しかも文章迫切ならず。ただ何となくなだらかに書きなし(中略)ゆるやかに大意をしらせ、さかしげにそれとはいはねど、それと聞かせて書きあらはせる事、和漢無双の妙手といふべし(同57頁)

次回はこうした宣長の独創的な解釈が次々に出てくるはずです。

お楽しみに。

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