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#勝新太郎
『新・兵隊やくざ 火線』(1972年4月22日・勝プロ=東宝・増村保造)
昭和46(1971)年、大映が倒産。勝新太郎はホームグラウンドを失ったが、昭和42(1967)年に設立した勝プロダクションで、大映時代から映画制作を続けてきた。大映で最後の「座頭市」となった『新座頭市 破れ!唐人剣』(1971年・安田公義)や、プログラムピクチャー『片足のエース』(1971年10月2日・池広一夫)などを製作していた。大映倒産後は、東宝と提携して、大映京都撮影所のスタッフを起用して
もっとみる『兵隊やくざ 強奪』(1968年10月5日・大映京都・田中徳三)
昭和40(1965)年3月13日に公開された『兵隊やくざ』(大映東京・増村保造)を第1作に、低迷する邦画界で人気シリーズとなった勝新太郎と田村高廣のシリーズも、『兵隊やくざ 強奪』(1968年10月5日・大映京都・田中徳三)で第8作目、大映では最後の作品となった。昭和18年から始まった物語も前作『兵隊やくざ 殴り込み』(1967年9月15日)で敗戦を迎え、シリーズ終焉を思わせた。それから一年、敗
もっとみる『兵隊やくざ 殴り込み』(1967年9月15日・大映京都・田中徳三)
シリーズ第7作『兵隊やくざ 殴り込み』(大映京都・田中徳三)が公開されたのは昭和42(1967)年9月15日。併映は宇津井健と本郷功次郎のアクション・シリーズ『海のGメン 太平洋の用心棒』(大映東京・田中重雄)だった。この週の各社の封切り作品は次の通り。日活は14日公開で、藤田まこと『喜劇 大風呂敷』(中平康)と渡哲也『錆びたペンダント』(江崎実生)。東映は、高倉健と藤純子『日本侠客伝 斬り込み
もっとみる『兵隊やくざ 俺にまかせろ』(1967年2月25日・大映京都・田中徳三)
昭和40(1965)年にスタートした、勝新太郎&田村高廣のコンビによる痛快戦争喜活劇「兵隊やくざ」シリーズも2年間で6作目。斜陽の映画界で、大映ではコンスタントに収益が見込める「カツライス=勝新太郎・市川雷蔵」のシリーズ映画が連作されていた。
第5作『兵隊やくざ 大脱走』(1966年11月9日・田中徳三)までは、連続した時間軸の物語だった。前作は、昭和20年8月、配線間際のソ満国境を舞台に、ソ
『兵隊やくざ 大脱走』(1966年11月9日・大映京都・田中徳三)
勝新太郎の粗野だけど純情な大宮二等兵と、田村高廣演じる大学でのインテリ古参兵・有田上等兵の“およそ軍隊でないと知り合わなかった”コンビの「兵隊やくざ」シリーズも5作目。斜陽の映画界で「カツライス=勝新太郎・市川雷蔵」主演のプログラムピクチャー・シリーズは大映の稼ぎ頭だった。日中戦線を舞台にしたアクション・コメディであるが、第二次大戦末期、敗戦直前の極限状況のなかで「自由であろう」とする大宮と有田
もっとみる『悪名 縄張荒らし』(1974年4月24日・勝プロ=東宝・増村保造)
昭和46(1971)年12月8日、大映が倒産した。昭和29(1954)年、同じ昭和6(1931)年生まれの市川雷蔵と共に大映に入社。昭和30年代後半から「悪名」「座頭市」「兵隊やくざ」と斜陽の映画界で、ヒットシリーズに主演、大映を牽引してきた勝新太郎にとっても長年のホームグラウンドを失うこととなった。「眠狂四郎」「忍びの者」「陸軍中野学校」などで、勝新と共に「カツライス」時代を気づいた市川雷
『悪名一番勝負』(1969年12月27日・大映京都・マキノ雅弘)
大映でのシリーズ最終第15作、勝新太郎の『悪名一番勝負』(1969年・マキノ雅弘)。前作から2年弱、田宮二郎の退社により、勝新の朝吉のみとなった弱さをリカバリーする意味もあって、脚本・監督にはベテラン・マキノ雅弘監督を起用。任侠映画ブームを牽引したマキノ雅弘監督は、この年だけでも、高倉健『昭和残侠伝 唐獅子仁義』(3月6日・東映東京)、高倉健『日本侠客伝 花と龍』(5月31日・東映東京)、高橋英
もっとみる『悪名十八番』(1968年1月13日・大映京都・森一生)
前作『悪名一代』(1967年6月17日・安田公義)から半年ぶりのシリーズ第14作『悪名十八番』(1968年1月13日・大映京都・森一生)は、清次=田宮二郎の最後の作品となった。前作で「任侠映画」に大きくシフトしてしまったシリーズを、本来の「悪名」シリーズの味わいに戻した明朗な痛快篇。「悪名」はこれでなくっちゃ、の名場面が随所にあって、楽しい仕上がりとなっている。
この映画の封切り同日、日活で