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『兵隊やくざ 大脱走』(1966年11月9日・大映京都・田中徳三)

 勝新太郎の粗野だけど純情な大宮二等兵と、田村高廣演じる大学でのインテリ古参兵・有田上等兵の“およそ軍隊でないと知り合わなかった”コンビの「兵隊やくざ」シリーズも5作目。斜陽の映画界で「カツライス=勝新太郎・市川雷蔵」主演のプログラムピクチャー・シリーズは大映の稼ぎ頭だった。日中戦線を舞台にしたアクション・コメディであるが、第二次大戦末期、敗戦直前の極限状況のなかで「自由であろう」とする大宮と有田は、閉塞した時代の観客の溜飲を下げていた。

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 毎回、部隊や憲兵隊で大暴れ、軍隊や刑務所から脱走を繰り返してきて三年近く経っていた。「なんとしても生き続けたい」。それが二人のモチベーションでもあった。原作は有馬頼義が文藝春秋に連載した「貴三郎一代」、脚本は第二作から手がけてきたベテラン・舟橋和郎、音楽・鏑木創。いつものメンバーによる第5作『兵隊やくざ大脱走』(1966年11月9日)は「悪名」シリーズで勝新の魅力を引き出した田中徳三が監督している。田中徳三はシリーズ9作のうち6作を演出。

今回は第3作『新・兵隊やくざ』(1966年1月3日・田中徳三)で、私利私欲のために殺人も厭わなかった青柳憲兵伍長(成田三樹夫)が再登場する。大映映画のワルとして、さまざまな映画でニヒルでクールなキャラクターを演じてきた成田三樹夫と勝新、田村高廣との丁々発止が楽しめる。ヒロインには、慰問隊からはぐれて戦火の中を彷徨ってきた弥生(安田道代)。父の芸人・笹原(南都雄二)は、娘の貞操を守るために彼女に男装をさせている。その弥生が、命からがら大宮たちの部隊の世話になるが・・・

 前作『兵隊やくざ 脱獄』(7月3日・森一生)は、昭和20(1945)年8月9日のソ連参戦による、ソ満国境守備隊と付近住民の混乱がクライマックス。大宮と有田の奮戦で民間人たちの脱出は成功したが、二人はそのまま現地に取り残されて「完」となった。その後、といっても直後、二人はソ満国境の関東軍、朝倉中尉(仲村隆)率いる「朝倉中隊」に配属されていた。戦況は悪化、内地には生きて帰れる確証はゼロ。いつソ連が攻めてくるかわからない。誰もが逃げ出したい極限状況のなか、大宮は相変わらず喧嘩と博打の日々。古参の長谷上等兵(藤山浩二)から博打で金を巻き上げ「ああ、女抱きてえな」と、全く変わらない大宮二等兵。

 一方の有田は「死んでなるものか」という思いと「生きて帰れない」現実の前に、無口になりシニカルさも増している。誰もがソ連軍の攻撃を待っていた。そんな時に、慰問団とはぐれた芸人・父娘、笹原(南都雄二)と娘・弥生(安田道代)を助ける。有田は、父娘を隊に置いて欲しいと上申。朝倉中尉は、弥生が飢えた兵隊の餌食にならないように、納屋で二人を休ませる。

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 笹原を演じた南都雄二は、ミヤコ蝶々と「蝶々・雄二」のコンビで“夫婦漫才”として昭和30年代、関西の笑芸界でトップスターとなっていた。ラジオ「漫才学校」「夫婦善哉」で一斉を風靡して、大映映画にも顔を見せていた。『続・悪名』(1961年・田中徳三)で、女房・チェリーを沖縄の源八(上田吉二郎)に寝取られ売春宿にいるところを、朝吉(勝新)と清次(田宮二郎)に助けられたチンピラ・河童役が印象的。この映画の時はまだ42歳だったが、持病の糖尿病により精彩を欠いているが、情けない親父役をやらせたら天下一品である。

 弥生に一目惚れした大宮は、なんとかモノにしたいとハリキるが、有田にたしなめられる。一方、下士官たちも弥生を狙っていた。木部准尉(北村寿太郎)、黒沼軍曹(五味龍太郎)、野辺地軍曹(千波丈太郎)は、翌日、神武屯から出る最終の脱出列車に乗せてやるの甘言で、弥生を手籠にしようとする。笹原は反対するが、弥生は「私は生きて帰りたい」とその申し出を受けることに。そこへ夜這いにきた大宮。下士官たちが弥生を襲おうとしているので怒り心頭。いつものように、ボコボコにして、三人を縛り上げてしまう。で、自分は弥生に「好きになった」と愛の告白をする。

 天にも昇る心地の大宮が兵舎に戻ってきて、その喜びを全身で表現するシーンがおかしい。勝新太郎のチャーミングな表情。極限状況の悲壮感はなく、ただただ弥生に受け入れてもらった幸福感に満たされているのである。翌朝、当番兵が縛り上げられている下士官を発見。木部准将たちは、大宮を呼び出して、落とし穴で生き埋めにして半殺しにする。その場を目撃した有田は、朝倉大尉に報告。朝倉は「この喧嘩、俺が買った」と、その場を納め、大宮には、神武屯駅まで笹原父娘を護衛することを命ずる。

 「陸軍中野学校」シリーズで、市川雷蔵の頼もしき相棒を演じていた仲村隆演じる朝倉中尉のキャラクターが実にいい。このシリーズで下士官や隊長は、ほとんど愚にもつかない悪ばかりだが、この朝倉中尉だけは、有田が全幅の信頼を置くだけあって「イイ人」なのである。

 さて大宮は、神武屯で無事父娘を汽車に乗せ別れを告げると、弥生は「一緒に帰りましょう」と笹原が用意していた支那服を大宮に着せて、逃亡を持ちかける。弥生は大宮と「一緒に生きたい」とほのかな恋心を抱いていたのである。大宮としては嬉しいが「上等兵殿」を置いて、ひとり逃げるわけにはいかない。弥生への想いを断ち切って、大宮は有田の待つ部隊へ帰るが、なんとソ連軍の急襲にあって部隊は全滅。全員戦死していた。必死になって有田の遺体を探し、涙にくれる大宮。しかし有田は生きていた。

 二人は「とりあえず南に向かおう」と歩き出したが、すぐに共産ゲリラたちに襲われ、必死の応戦。大宮の火事場の馬鹿力で、ゲリラたちの殲滅に成功。なんとそのアジトには、陸軍から奪った軍装品が山のようにあった。そこで有田は「このままでは危ない、どこかの部隊に紛れ込もう」と提案。そこで大宮、どうせなら「将校になりましょうよ」とゲリラの戦利品から将校の軍服を選ぶ。

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こうしてニセの有田中尉と大宮少尉になりすまして、柳田大尉(内田朝雄)の柳田部隊に入り込んでしまう。大尉の「大学はどこかね?」の質問に、大宮は咄嗟に「東大であります」と答えてしまう。大学といえば東大しか知らなかったのだろう。こうして東大出のエリート大宮少尉が誕生する。この大宮少尉、訓練を任されても「訓練はやめて昼寝をしよう」と滅茶苦茶。ニセの将校を満喫する。ニセモノといえば「悪名」シリーズで、ニセの朝吉と清次になりすました芦屋雁之助と芦屋小雁を連想するが、さすが田中徳三監督。二人の当番兵として、芦屋雁之助と芦屋小雁を登場させてしまうのだ。

 このシーンがおかしい、大阪出身の当番兵(芦屋雁之助)が、大宮少尉の兵隊やくざぶりに惚れ惚れとして、「八尾の朝吉、ご存知ですか?」と訊ねると、大宮は一言「知らん」。ここで観客はドット笑ったことだろう。さらに清島見習士官(平泉征)に「東大は何科ですか?」と聞かれ、答えに窮した大宮「俺は捜査一課だよ」(笑)。こうした楽屋オチが見られるのはシリーズの脂が乗ってきた証拠である。

 しかし好事魔多し。なんと柳田部隊には『新・兵隊やくざ』のワル、青柳憲兵伍長(成田三樹夫)がやはり、憲兵隊を脱走して「偽上等兵」として隠れていた。青柳は、例によって「取り引き」を持ちかける。二人の正体を明かさないから、隊のトラックを奪って、朝鮮まで逃げて、内地に行く船に乗って「生きて帰ろう」と。脱走が得意な二人がいればこの計画がうまくいく。との青柳の計算高さに、有田は自分のモラルから「ノー」と拒否をする。

 ソ連の猛攻は凄まじく、北満の開拓団が孤立してしまい、女子供、老人、病人たちが救援を待っていると知った有田は、柳田大尉に救援要請をするが、部隊長は撤退を理由に拒否をする。「撤退は師団命令だ」と。そこで有田は「トラック一台と下士官一名、兵五名」を貸して欲しいと救出班編成を柳田大尉に認めさせる。

 これまで自分のためだけに脱走していた有田と大宮は、前作では民間人を脱出トラックに乗せ、今回は、なんと共産ゲリラたちが待ち受ける死地を突破して、民間人救出に向かうのだ。シリーズのこうした変化、キャラクターの成長は、ファンにとっては嬉しいこと。しかもこの救出隊には、伊達三郎、木村玄、勝村淳など、お馴染みの大映バイプレイヤーたちばかり。さらに有田の指名で青柳上等兵も同乗する。兵士たちは大宮の型破りな下士官ぶりに心酔していたが、青柳が二人の正体をバラし、トラックをジャックして自分たちだけで朝鮮へ逃げようと持ちかけると、全員の気持ちがぐらつく。

 しかし有田と大宮はブレない。「確かに俺たちは偽将校だ、陸軍刑務所上がりの札付きだ。しかし、俺たちが見捨てれば、開拓団の女子供、病人たちは死んでしまう」と有田の熱意に誰もが絆されて、改めて有田の指揮下に入って救出作戦を敢行する。5作目にして、初めて有田上等兵の「頼もしきリーダーぶり」が発揮される。明日をも知れぬ極限状況で「生命を守る覚悟」で結ばれるチーム。ハリウッドの戦争アクションや西部劇にあるヒロイズムと同じ爽快さがある。

 開拓団の人たちを救出し、病人をトラックに乗せて、50キロの行軍をする救出隊。ゲリラの猛攻は凄まじく、大宮たちは必死の応戦をする。そのさなか、青柳が瀕死の重傷となる。この作戦を通して、ワルから善人へと成長してきた青柳。その今際の際に「俺は悪党だったな」と嘯く。有田は「お前は生まれ変わったんだ」と声をかける。青柳は「今度生まれてくる時も、また悪党さ、じゃあな」と息絶える。成田三樹夫のシニカルな微笑みが実に魅力的。プログラムピクチャー、特にシリーズものは、こうした脇役のキャラクターを、いかに魅力的に配置するかで、面白さが増してくる。田中徳三監督の娯楽映画のツボを押さえた演出に惚れ惚れしながら「完」となる。


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