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大映映画の世界

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大映京都撮影所、大映東京撮影所で作られた作品や、スターについての記事をまとめました。
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#大映京都

田宮二郎as鴨井大介・大映「犬」シリーズ大全

田宮二郎as鴨井大介・大映「犬」シリーズ大全

大映現代劇アクションといえば、やはり田宮二郎「犬」シリーズに尽きる。東京オリンピック直前の1964(昭和39)年から、エレキブーム、GSブーム到来の1967(昭和42)年の大阪、東京を舞台に、拳銃が三度の飯よりも好きなガンマニア・鴨井大介の胸のすく活躍を描いたアクション・コメディ。全作のシナリオを直木賞作家となる藤本義一が手がけ「悪名」シリーズで培った、良い意味での田宮二郎のコミカルな軽さに、モダ

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『婦人警察官』(1947年2月16日・大映京都・森一生)

『婦人警察官』(1947年2月16日・大映京都・森一生)

ここのところ、敗戦直後の大映映画を連続視聴。国策映画から一転、GHQの指導の下、民主主義啓蒙映画となる。その変わり様を映画を通して体感しております。

10月23日(日)の娯楽映画研究所シアターは、昭和22(1947)年2月16日封切り、小夜福子、轟夕起子、月丘夢路、3人のタカラジェンヌ主演『婦人警察官』(森一生)をスクリーン投影。

小夜福子は、この時38歳。大正11(1922)年から昭和17(

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『素浪人罷通る』(1947年10月28日・大映・伊藤大輔)

『素浪人罷通る』(1947年10月28日・大映・伊藤大輔)

 阪妻映画連続視聴、今回は、昭和22(1947)年10月28日公開、GHQによる「チャンバラ禁止令」のなか、剣戟スター・阪東妻三郎の「チャンバラ映画が観たい!」という観客のために、伊藤大輔監督が苦心して作った『素浪人罷通る』(大映京都)。題材は、お馴染み「天一坊と伊賀亮」もの。いわゆる「天一坊事件」を題材に、GHQの民間情報局CIEの要望する「民主主義啓蒙」「封建主義否定」を盛り込んだ(今から観る

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『月の出の決闘』(1947年7月15日・大映京都)

『月の出の決闘』(1947年7月15日・大映京都)

丸根賛太郎監督&阪東妻三郎コンビの快作『月の出の決闘』(1947年7月15日・大映京都)をKADOKAWAから発売中のDVDでスクリーン投影。

 敗戦後初めての阪妻映画にして傑作『狐の呉れた赤ん坊』(1945年10月)のコンビが再び組んだ「GHQ下の時代劇」。つまり、俗にいう「チャンバラ禁止令」のさなかに作られた、剣戟スター・阪妻の滅法強い男のイメージを守りつつ、戦後民主主義の啓蒙というCIEの

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勝新太郎&田村高廣「兵隊やくざ」大全

勝新太郎&田村高廣「兵隊やくざ」大全

 勝新太郎&田村高廣コンビの人気シリーズ「兵隊やくざ」全作レビューのインデックスページです。

 昭和40(1965)年から昭和43(1968)年にかけて大映で全8作製作され、大映倒産後の昭和47(1972)年には、勝プロダクション=東宝提携でシリーズ初のカラー版『兵隊やくざ 火線』(増村保造)が作られ、全9作のシリーズとなりました。

 原作は有馬頼義「貴三郎一代」。浪花節語りからやくざになった

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『兵隊やくざ 殴り込み』(1967年9月15日・大映京都・田中徳三)

『兵隊やくざ 殴り込み』(1967年9月15日・大映京都・田中徳三)

 シリーズ第7作『兵隊やくざ 殴り込み』(大映京都・田中徳三)が公開されたのは昭和42(1967)年9月15日。併映は宇津井健と本郷功次郎のアクション・シリーズ『海のGメン 太平洋の用心棒』(大映東京・田中重雄)だった。この週の各社の封切り作品は次の通り。日活は14日公開で、藤田まこと『喜劇 大風呂敷』(中平康)と渡哲也『錆びたペンダント』(江崎実生)。東映は、高倉健と藤純子『日本侠客伝 斬り込み

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『兵隊やくざ 俺にまかせろ』(1967年2月25日・大映京都・田中徳三)

『兵隊やくざ 俺にまかせろ』(1967年2月25日・大映京都・田中徳三)

 昭和40(1965)年にスタートした、勝新太郎&田村高廣のコンビによる痛快戦争喜活劇「兵隊やくざ」シリーズも2年間で6作目。斜陽の映画界で、大映ではコンスタントに収益が見込める「カツライス=勝新太郎・市川雷蔵」のシリーズ映画が連作されていた。

第5作『兵隊やくざ 大脱走』(1966年11月9日・田中徳三)までは、連続した時間軸の物語だった。前作は、昭和20年8月、配線間際のソ満国境を舞台に、ソ

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『兵隊やくざ 大脱走』(1966年11月9日・大映京都・田中徳三)

『兵隊やくざ 大脱走』(1966年11月9日・大映京都・田中徳三)

 勝新太郎の粗野だけど純情な大宮二等兵と、田村高廣演じる大学でのインテリ古参兵・有田上等兵の“およそ軍隊でないと知り合わなかった”コンビの「兵隊やくざ」シリーズも5作目。斜陽の映画界で「カツライス=勝新太郎・市川雷蔵」主演のプログラムピクチャー・シリーズは大映の稼ぎ頭だった。日中戦線を舞台にしたアクション・コメディであるが、第二次大戦末期、敗戦直前の極限状況のなかで「自由であろう」とする大宮と有田

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『兵隊やくざ 脱獄』(1966年7月3日・大映京都・森一生)

『兵隊やくざ 脱獄』(1966年7月3日・大映京都・森一生)

 昭和41(1966)年7月第二週の日本映画各社の封切りは次の通り。松竹は7月9日に宍戸錠&吉田輝雄の『大悪党作戦』(井上梅次)。東映は7月9日に鶴田浩二の『博徒七人』(小沢茂弘)。日活は7月9日に石原裕次郎の『夜のバラを消せ』(石原プロ・舛田利雄)&渡哲也と宍戸錠の『骨まで愛して』(斎藤武市)。東宝は三船敏郎の『怒濤一万浬』(三船プロ・福田純)と男性向けのアクション映画が並んでいる。
 
 ちょ

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勝新太郎と田宮二郎『悪名』大全

勝新太郎と田宮二郎『悪名』大全

朝吉(勝新太郎)と清次(田宮二郎)コンビのパワフルで豪快な痛快シリーズ! 佐藤利明の娯楽映画研究所でアップした「悪名」シリーズのレビューのリンクを一覧にしました。こちらから各作品にアクセスできます。

『新・悪名』(1962年6月3日・大映京都・森一生)『続・新悪名』(1962年11月3日・大映京都・田中徳三)『第三の悪名』(1963年1月3日・大映京都・田中徳三)『悪名市場』(1963年4月8日

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『続・兵隊やくざ』(1965年8月14日・大映京都・田中徳三)

『続・兵隊やくざ』(1965年8月14日・大映京都・田中徳三)

 斜陽の映画界で、大映プログラムピクチャーを「座頭市」「悪名」シリーズで牽引してきた勝新太郎の「兵隊やくざ」は、昭和40年代の新たなシリーズとして連作された。前作は大映東京の製作だったが、本作から大映京都となり、脚本も重厚な作風の菊島隆三から、喜劇映画や風俗メロドラマを得意とした舟橋和郎をキャスティング。「悪名」シリーズの産みの親でもあり、勝新の魅力を知り尽くした田中徳三監督が演出に当たった。

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『悪名一番勝負』(1969年12月27日・大映京都・マキノ雅弘)

『悪名一番勝負』(1969年12月27日・大映京都・マキノ雅弘)

 大映でのシリーズ最終第15作、勝新太郎の『悪名一番勝負』(1969年・マキノ雅弘)。前作から2年弱、田宮二郎の退社により、勝新の朝吉のみとなった弱さをリカバリーする意味もあって、脚本・監督にはベテラン・マキノ雅弘監督を起用。任侠映画ブームを牽引したマキノ雅弘監督は、この年だけでも、高倉健『昭和残侠伝 唐獅子仁義』(3月6日・東映東京)、高倉健『日本侠客伝 花と龍』(5月31日・東映東京)、高橋英

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『新書・忍びの者』(1966年12月10日・大映京都・池広一夫)

『新書・忍びの者』(1966年12月10日・大映京都・池広一夫)

 カツライスの「ライス」こと市川雷蔵が昭和38(1963)年から主演、空前の忍者ブームを映画界から牽引してきた「忍びの者」シリーズ第8作にして最終作『新書・忍びの者』(1966年12月10日・大映京都・池広一夫)を娯楽映画研究所シアターのスクリーンに投影。DVDは持っているが、Amazonプライムビデオの「シネマコレクションby KADOKAWA」の配信で観た。便利な時代になったものだ。

 第1

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『悪名十八番』(1968年1月13日・大映京都・森一生)

『悪名十八番』(1968年1月13日・大映京都・森一生)

 前作『悪名一代』(1967年6月17日・安田公義)から半年ぶりのシリーズ第14作『悪名十八番』(1968年1月13日・大映京都・森一生)は、清次=田宮二郎の最後の作品となった。前作で「任侠映画」に大きくシフトしてしまったシリーズを、本来の「悪名」シリーズの味わいに戻した明朗な痛快篇。「悪名」はこれでなくっちゃ、の名場面が随所にあって、楽しい仕上がりとなっている。

 この映画の封切り同日、日活で

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