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森喜朗・元首相はなぜ失言を繰り返してしまうのか? 日本のブランドイメージへの影響は?

東京オリンピックの「顔」である東京五輪組織委員会(JOC)の森喜朗委員長が、また渦中の人となっている。

今回は、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という、根拠に乏しく、一般化しすぎた女性蔑視発言で、世界中から批判の嵐を浴びているわけだ。

変わらぬ「戦前メンタリティー」

森氏が総理大臣だった頃、私は新聞記者として首相官邸や国会を担当していた。 今から20年ほど前のことだが、私に言わせれば森氏の本質は当時から全く変わっていない。一言で言えば、「戦前メンタリティー」のまま、21世紀の現代において当時の思考・発言を繰り返しているように見える。

2000年に私が書いた記事がネット上で見つかったので、冒頭の部分だけでもご紹介したい。

当時、森首相は有権者を軽視するような失言をいくつも重ね、その上で衆議院選挙に臨んだ。この記事は、その衆院選の結果について書いたものだ。要旨を日本語に訳すと、以下のようになる。

「森首相の "Non-stop gaffes"(とどまることを知らぬ失言の連発)と、20%ほどまでに落ち込んだ内閣支持率にも関わらず、低い投票率が功を奏し、森首相の連立与党は過半数を維持した。」(ジャパンタイムズ 2000年6月26日付)


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(オリジナル記事全文はこちらへ)

なぜ「失言」が起こるのか?

森氏の過去の失言集については、以下のようなまとめ記事がでていたので、こちらで見ていただきたいと思います。(時事ドットコム)


「失言」は、時代や場所により、同じ内容のものでも「失言」となったり、そう認識されなかったりする。それは、いわゆる「マナー」と一緒だろう。

例えば、テーブルでげっぷをする、音を立てて食事をする、というようなことに対しては、日本では比較的寛容されるが、海外(特にヨーロッパや南米)ではマナー違反として睨みつけられてしまう。少なくとも、非常に相手に対して敬意を欠いた失礼な態度であると認識される。言葉でいえば、「失言」扱いだ。それは、LGBTに対する差別的な発言や、人種に対しての差別的な発言でも同様である。この辺りは、欧米系の国々ほほうが、失言に対する感度(敏感度)が非常に高い。

地理的・文化的な要素だけではなく、時代によっても「失言」と捉えられるレベルは変わるだろう。

例えば、2000年の森総理時代の「神の国」発言(「日本は天皇を中心とした神の国」と発言したこと)は、天皇主権を示唆し戦後の国民主権を軽視するものとして、当時国内で大きな批判を浴びた。しかしながら、もしかしたら20年後の今、旧社会党勢力が少なくなってきたこの時代に、世論やマスコミはもし同様の発言が菅総理の口からどこかの会合で飛び出したとしても、そこまで敏感に反応しないかもしれない。

少し話がそれるが、この「神の国」発言に関しては、当時私も政治記者として記事を書いていた立場として、日本の戦後の「反省」から少しマスコミや世論が敏感に反応しすぎた印象を持っている。日本人の多くは、神社に行き少なくとも形式的には天皇家や「神」を崇拝している訳なので、それと同様の趣旨の見解を時の首相が述べた事に対して、それを批判するのはどこか矛盾するのではないかと、少なからずの違和感を感じてしまう。(政教分離といった原理原則はさておき、、。)

もっとも、森氏の「失言」の多くは、本人には悪気はないのかもしれない。いや、おそらく、悪気はないのだろう。森氏は太平洋戦争開戦の4年前に生まれ、戦前・戦中の最中に物心がついた世代だ。当時の女性は明らかに、社会的にも男性と同じ立場ではなかった。彼の女性蔑視的な考え方や発言内容は、当時の日本社会において、ごく普通のものだったのだろう。もちろん今回の「女性蔑視発言」は正当化されないが、好意的にみれば、森氏は思ったことを率直に口にする「裏表がない」人なのかもしれない。

今回の発言が80年前に行われたものであれば、おそらく問題として指摘されることはなかった。森氏が残念なのは、「時代の流れと変化」に注意と敬意を払っていない、さらに五輪ホスト国という立場にも関わらず「海外の潮流」を全く読めていないという点だと感じる。

実は「男の方がおしゃべり」!?

オリンピックは、文化も価値観も異なる多くの国々の選手や関係者、メディアが一同に集まり、共同で作業を行うという場でもある。もし仮に、集団的な「共同生活」の場として考えたとすると、森氏であれば、「日本男児は台所には入らないと決まっている。女性がすべての食事が作った方が効率が良いのではないか。」などと外国人を前に言いかねないのではないか、と心配になってしまう。

・過去に通用した価値観、私たちが育ってきた過程で教え込まれてきた価値観は、必ずしも正しくないのだ!

このジレンマを乗り越えていくことが、私たち人類一人一人に課された成長への課題なのではないかさえ、私は個人的には本気で思っている。

下の記事は、森氏の「女の方が男よりよく喋る」という主張に科学的根拠はなく、事実として誤っているという大変興味深い解説と資料である。

実は、私の会社の女性スタッフも同じ事を言っていた。そして、私も100%同感した。

(女性スタッフ)「トシさん(私のこと)が一番ミーティングで長く話してるじゃないですか。そして、私(女性スタッフ)がいつもそれを長くなりすぎないように止める係。だから、少なくとも森さんの言っていることは、少なくともうちの会社では間違っていると思います!」
(私)「はい、全くもってそのとおりです。。(汗)^-^;

さらに、森氏の今回の発言をもう少し広い視野でみてみよう。

欧米諸国が中国に愛想をつかしている今、日本が世界と組めるアジアのパートナーとしての株を相対的にあげている側面がある。しかしながら、このような国のイメージを代表する人物による「女性蔑視発言」は、「日本よお前もか、、やはりアジアは、、。」と欧米のみならず世界中の人々の失望に繋がってしまう。

今回の失言で、日本社会における男女不平等の実態に、改めて海外から注目が集められている。フランスAFP通信が配信した森氏の失言に関する以下の記事(フランスTV24掲載)では、日本の「ジェンダーギャップ指数」(世界経済フォーラムによる2020年の調査)が153ヶ国中121位と極めて低いことが、改めて指摘されている。

日本の国際的な「ブランドイメージ」を低下させることは、オリンピックの有無にかかわらず、日本人や日本企業にとって決して得策ではないはずだ。


(長い記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました。)

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