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死はそんなにも忌み嫌われなくちゃならないのか

 最近、通学で利用する駅にホームドアが設置された。この頃、あらゆる駅に設置される動きが進んでいる。事故防止の観点から、確かにこの工事がもっと進むのは良いことだというのは間違いない。でも、この取り組みよりも先にやらなくちゃいけないことが、この社会にはあるのではないだろうか。

 現在、イギリスには孤独担当大臣が任命されている。イギリスでは人口の1割以上の人が孤独を感じているという。孤独な人間はそうでないものに比べ、早く死ぬ傾向があるという。孤独は病死だけでなく、何より自殺に強い影響を与える。このような施策に取り組んだのは、イギリス政府がこれらの事態を深刻に受け止めたからだ。一方で、日本はどうだろう。日本は毎年平均2万人近くの方が自殺により亡くなっている。しかしながら、このカウントには変死者が含まれておらず、変死者の中には自殺者もかなりいるはずだから、実際はもっと多いと思う。また、自殺に影響を与えるのは孤独だけではないだろう。


 近年、人生100年時代だとメディアや企業は叫び、盲目的にそれを礼賛する。生命科学は死すら乗り越えようとしている。周囲の人々と死について話すことはなんとなくタブーになっている。AEDやホームドアがあらゆる場所に設置され、どんどん安全な社会になっていっている。これらの発展は確かに大切だと思う。人々の安全を保障し、悲しみを減らせる。けれども、死はそんなにも忌み嫌われなくちゃならないのだろうか。そして、様々な苦しみを抱えた結果、死を望むようになった人たちはどうすれば良いのだろうか。

 人は死を必要としている。死は1つの解放だと思う。でも、悲しい死は僕だって望んでいない。技術面の整備で身体の安全を保障することは非常に大切だ。けれども、それだけだとあまりにも不十分だし、もっとやらなければならないことがある。今、この社会に本当に必要なのは、精神的な安心だと思う。精神的な安心が保証されず、孤独と苦しみを抱え続け、死ぬことすら許されないなど、生き地獄だ。人間にとって、死よりも苦しいことは絶望の中で生き続けることだ。死を求める人たちを救うことができる社会は”生きなければならない社会”ではなく、”彼らが生きやすい、生きたいと思える社会”だと、僕は思う。死にたいと考える人達が抱える生きづらさを取り除き、彼らが喜んで生きたいと思うことができる社会、それを創り上げていくことが、今求められているのではないだろうか。



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