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#212S|怒りを活かしてどんどこ進む

自分の行動に怒りを感じている。これはまたおもしろい感情・視点の変化だなということで、今日のネタに決定。note365日連続投稿チャレンジ212日目。


的はずれな努力だったことに気づく

昨日のnoteに書いた発見、「自分は課題を克服できていなかった」「というか取り組んですらいなかった」という発見から、さらに思考が発展し、そして反転して、「自分の行動はまるでダメだ」という視点になった。

「自分を肯定してあげよう」の逆である。「自分を大否定する」感覚。たまにはそういうのもいいだろう。

今年の2月から毎日noteを書いてきて、自分は前に向かってがんばっている気でいた。でもそれは勘違いで、「的を外した活動」を200日も続けてきたなんて、ほんと信じられない、ありえない、という気持ち。

これまで記事を書くことに使ってきた時間とエネルギーはまるで無駄だったんだと思えて、怒りが込み上げてきた。その時間があったら何ができていたのだろうかと。


あまりの惨状に怒りが沸騰する

自分は「◯◯がしたい」と言いながら、いつまでたっても実際にはやってない。その周辺でうろうろしていて「なんちゃって」的な活動しかしていない。

「やれない理由」や、「いかに私にとってはそれをやるのが大変か」という言い訳じみた言葉をべらべらと述べるnoteを書くことに時間を使って、根本的にやりたいことにはさっぱり手を付けないでいて、それで「今日もよくやった(毎日やるって決めたnoteを書いたから)」だなんて、本当にみっともない。あーーださいださい。恥ずかしい。

こんなこと、この先何年続けたって、やりたいことができる日はこない。ただ続けていることに酔っているだけだ。

「毎日書く」べきは、本当はこのnoteではない。このnoteは種火のようなものなはずだ。「毎日コンテンツを作りたい」んでしょうがアンタは。きっかけでしかないこのnoteに毎日何時間も時間をかけて、それを誇るとかアホか。何をやっとるんじゃ!!と。


怒りを活かす

今回は怒りの感情を消さずに燃やして活かす方向で使いたい。ここにはまっとうさがあるから。

普段はあまり怒りは出ないし、出てもわりとすぐに納めることができる。

しかし、怒りには強いエネルギーがある。「納得が行かない」「それは許容できない」という気持ちから生まれる、行動力・推進力。吹っ切れることで細かいことをいちいち気にしなくなるどーでもよさ。これは活かせると強い。

私はクソ細かい一面がある人間なので(このnoteを読んでくれている人には伝わっていると思うけど)、こういう感情の発生…細かいことはどーでもよくなって、どんどん行動できそうだ、という機会は貴重だ。それがたとえ怒りであっても、それもいいじゃないか。


望まないものまで大事にするな

「望まないもの」を意識から外していく。

私は苦痛を望むわけではない。難しいとか、しんどいとか、それが事実であってもそんなことは望んでない。いつまでも「できないでいる」ことを望んでない。

さっさと「難しくなく」なりたい、「簡単に」それができるようになりたい。

なのに、今まで望まないことばかりをたくさんnoteに書いてきた。むしろ、noteに書くためにいちいち掘り起こし、苦しみを味わって、文字にした。それは事実だといっても、それを書けばそれは強化されるわな。

なので、これを全部やめる。書かない。言わない。

自分に呪いをかけるようなスタイルはやめだ。


望むものにだけ目を向ける

私が望むものは「毎日作りたいコンテンツを作っている私になる」ことだ。

そこだけを見て、そこに近づくことをする。

だから、こだわるべき「毎日更新」は、「このnoteの記事」じゃあない。

「今日1日でnote以外にはどんなコンテンツをどれだけ作ったのですか?」

「作りたいコンテンツを作る技術を習得するためにはどれだけの時間を使ったのですか?」

このnoteは、そういうことを毎日確認するための要石のように使うのがいい。このnoteに何時間も時間を投下するのはただの「逃げ」で、「なんかやってるフリ」だ。「がんばってるでしょ私」というポーズみたいなもんで、それはみっともないことだ。


私はもう「大変」がらない。「できなさ」を強化しない。

問題をいちいち取り上げて、さらに深い問題にしない。

苦手を克服する方法は、苦手意識は頭から消していくことだ。

苦しみは苦しみを呼ぶ。出したものが返ってくる。見ているものが手に入る。似たものが引き合う。


「自分」にこだわらない。自分ができることも、できないことも、どうでもいい。やりたいことをやるためにやるべきことをやるだけだ。

技術とかがほしいわけではない。ただやりたいことができればいい。そのためには本当にただそれをやるだけであって、下準備みたいのは不要だ。いきなり本丸につっこめばいい。

問題を解決したいなら、切り込むこと。それができない時は、ただファッションで言ってるだけとか、トラウマがあったりとか、私のように盲点になって見えてない・勘違いしている、ということがある。

やりたいことがやれないのはどんな時なのか。そこを突破するにはどんなことが必要なのか。そういうことを深められた経験として、この出来事自体も今後に活かしたい。転んでもただでは起きない。


おわりに

このnoteを毎日がんばって投稿してきたことを、180日の時点ではとても誇りに思えていた。

200日時点では、この裏noteに加えて「表note」を毎日書くことも始めていて、やっと「ハイハイ(=なんでもいいから毎日書く)」から、「つかまり立ち(=誰かのためになる記事を毎日書く)」ができるようになった、と喜んだ。

そうして「つかまり立ち」から12日目の本日。

次は手を離して「よちよち歩き」になったんじゃないか、と思う。やっと「言い訳」や「カッコ書き」を捨てて、やりたいことに向かい始めて独り歩きを始めた感じ。

自分のやっていることの「根本的なおかしさ」を見つけられたので、これからは「正しい努力」をしていける段階になったと思う。

今までは「やりたい」ことに対して「本気じゃなかった」のだ。しかしそのことに気付きもしていなかった。一昨日までは本気でやっていると思い込んでいた。勘違いだった。


p.s.

今日の記事で、「これまでの努力は無駄だった」と書いたけど、これまで書いてきたから「毎日書く習慣」はできたし、メタ的にはやっぱりこうして書いているから今日のことにも気づけたし、書いてきた中でセラピー効果があってトラウマ的なものがクリアになったことも事実だ。

なので、実際には全然「無駄」ではないとわかっている。

それでも「やりたい」と言ってることに対して「やってること」がおかしかったこともまた事実で、そこに対して怒りを感じているおかげで、「発見してよかったー。ちゃんちゃん。」とは終わらず、なにくそッという気持ちで前進していけそうなのがよきまる。



✑裏note:120分|2800文字
✑表note:45分|1000文字


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