見出し画像

#187S|涙と自己肯定|核心を得られた日

今日はすごく嬉しいことがあった。すんごく嬉しいことがあった。2回言うほど嬉しい出来事。note365日連続投稿チャレンジ187日目。


「相談にのる」お仕事

オンラインセッションの日。いや、それをセッションと呼ぶのが適切なのか、ミーティングと呼ぶのが適切なのか、はたまたコンサルなのかコーチングなのか、アドバイザーというのか。自分がやっていることには型がなく、未だに一般的な呼称がわからない。

私は「自分ができることで相手に役に立てるものを提供する」という仕方で仕事をしてきたので、特に専門性を持たない。1番多くやっていることが「相談を受ける」ことなので、自分の仕事は「相談業」だと説明している。

今日のお客さんは医院を経営なさっている方。この方からは関連する新規事業のマーケティング全般の相談を定期的に受けている。今日はその中で起こったマーベラスな自己変容を記事に残したい。


魔法のような涙だった

とても嬉しいことに、今日のセッションの中で、お客さんが感動の涙を流してくださるシーンがあった。

「え?何がよかったんですか?」なんて聞くような野暮なことはしていないので、その前後の内容から察すると、「深い自己理解の喜びや、未来の展望が見えた安心感」などがその感動の理由だったのではないかと思っている。

そうして私の言葉によって涙を流してくださったこと。それが私の心にも深く突き刺さり、なんとこちらも泣きそうになる。ビジネスの話をしているのに目を潤ませている2人。そんなことあるだろうかw

(※余談になるが、しかしこれってとっても理想的だ。ビジネスというと、とかく無味乾燥なというか、数字の達成率など切った張ったな感じが一般的だと思うが、ビジネス構築やマーケティングの話をしていたって「心は通う」のだ。私はこういう仕事がしていきたい)

で、私自身はなぜそんなにも感動したのか。それは、お客さんの涙から伝わってきた感動が、「自分が提供しているものの価値を自分自身に受け入れさせてくれた」からだ。私の内面にとって「ものすごいこと」が、その瞬間に起こったのだった。

それは魔法のような涙だった。


仕事面での自己肯定ができた

このnoteでは腐るほど書いてきているが、私は「自己肯定」に苦戦している。仕事として提供しているサービスにおいても、「自分なんてまだまだだ」という思いが解消できなかった。

「成長のための心構え」や「他社と比較しての事実」としての「まだまだ」という気持ちなら、健全だし真っ当だ。そういう「まだまだ」はずっと持ち続けるべきマインドセットだと思う。

しかし、私は根本的に自分を認められていない意味の「まだまだ」だった。こちらは不健全だとわかってはいても、そんなマインドしか持てない仕事を提供するのは相手に失礼だという思いはあっても、どうしても拭いきれなかった。

これまで、いくら喜ばれても、感動されても、褒められても、相手の人生が変わっても。私自身は自分のことを「まだまだ修行しないと全然ダメ」「表に出ることはできない人間だ」といった感覚100%。

そんな歪んだ自己認識が、今日のその瞬間に吹っ飛んだ。「ああ、私はちゃんと、相手にいいものを提供できる人間なのだな」とスッと認められた。

これは「自己肯定"感"が上がった」という話ではない。「前よりもちょっと自分を認められました」みたいな、パーセントではなくて。否定か肯定かの二択で、オセロがひっくり返るように黒が白になった話。「自分(が提供できる仕事)の価値を確信した」という嬉しさ、その力強さたるや。

祝福されたような気持ちがした。


脱「できない」モンスター

これまでの様々な挫折経験から、何かと「皆はすごくて自分はダメだ」と思えてどうしようもない気持ちになることがあった。

例えば。うさぼうさんのように心の行き届いた一言を相手に添えたり、見事に全体を把握・整理して解説することができない。大橋さんのように膨大な知識の宮殿から適切なものを取り出して、極めて秀逸な比喩表現で表すことができない。jさんのようなカリスマ的なプレゼンや物事の甘美なシステム化ができない。佐々木さんのような心理(真理)に対する体系的な深い洞察とその解説ができない。赤羽さんのように様々な業界のトップと対話したり論理と感情の両方の中心地を射抜くような言葉がけができない。

コンテンツがいつまでも作れない、音声もうまく喋れない、問題を解決する文章も書けない、役に立つサイトが作れない、必要な図解資料を用意できない、自分のビジネスの仕組み化ができない。

できないできない。できないモンスター。


しかし、それらができるようになれば私は、いつかちゃんとした人間になれるんじゃないか。そうすれば表に出られるんじゃないか。そう思い込んでいたのだ。その点でまったく自分を肯定できないでいたということを、それが自分の活動に大きく制限をかけていたということを、この縛りが解けた時に理解できた。

(※普段、人に対して「できないことなんて気にするな」「あなたのできることで充分戦える」「価値は相対なのでマッチングが重要だ」などと宣っている人間が私だwちょっとややこしいのだが、ここに書いた「できないと表に出られない」といった部分に関して私自身は自覚を持っていなくて、無意識的な思い込みだったゆえに余計に解消が困難だった)

そんな大きなブロックが解消されたのだから、これは祝杯をあげたいほどの素晴らしい出来事だ。


強みを核に展開する

私には私のいいところがある。

相手がよくなるように祈ること。丁寧に言葉を聞こうとする姿勢。人の気持ちや状況や強みを察知する力。世界に対する旺盛な好奇心。多様性を受け入れる態度。構造を紐解く洞察力。直感と想像力。出来事を楽しもうとする心。大変でもお互いを理解し合い伝えあおうとする意志。よりよくあろうとする理想と努力。

そういうものも、充分に価値があるのだということ。いや、それらが価値があるとは思えていたけれど、「それでいい」とは思えなかったのが問題だった。


私はこの1年半ほど、「自分にないもの」を身に着けようと努力してきて、それらを活用したビジネスをつくろうとしてきたけれど、大切なものは足元にあった。

コンテンツを作るとか音声を取るとか、私には遠回りだ。それらは私の前でなく後ろにできるもの。そういう努力はこれからも続けるけれど、何を自分の核にすべきなのかがわかった。

自分の強みは昔からずっと「対面」での価値提供ができることだったのだ。それをどんな活動においても、ビジネスにおいても、中核に据えて展開すればいいのだ。していいのだ。

これは自分が提供できるものに自分で価値を認められないとできないことで、それが認められたため、これからはド真ん中に自分が持っている強みを置いて、それに基づき、それを活かして活動できる。まるでアイアンマンのアークリアクターだ。

これは大変化の予感しかない。泣ける。


本当に嬉しくて、有り難い。お客さんに救われた日。この感謝の想いは結果を出して、直接伝えに行きたい。



✑123分|2500文字
8/24追記:15分|400文字


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?