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【短編】ナイト・オブ・ザ・8月31日のリビングデッド


 長い夏休みが終わり、明日からまた新学期がはじまるという日の夜のことだった。学校が生き地獄でしかない十代の少年少女たちがいっせいに自らの命を絶つと、彼らは一人残らずゾンビとなって甦った。
 翌朝、彼らは子供の苦悩などまるきり理解しない親たちによって、ゾンビになったことも気づかれないまま玄関から蹴り出された。
 それが世界の終わりのはじまりだった。
 水前寺響子は神奈川県Y市にある公立中学校の二年生だった。
 何人かの同級生が、通学路をよろよろと歩く彼女を追い越しながら「ブス!」だの「朝から視界に入るんじゃねぇ!」だの「まだ死んでねぇのかよ!」だのといったひどい言葉をほとんど楽しげに浴びせかけた。
 顔を覗き込んでみればただちに分かったことだが、水前寺響子はすでに死んでいた。もともと校内でも最悪の部類とされていた彼女の容姿は、死んだことでさらに悪化し、もうこれ以上は無理というほど醜くなっていた。
「どけよ、チータ!」
 水前寺響子は背中に飛び蹴りをくらい、道端に倒れ込んだ。
 チータというのは彼女のアダ名だった。水前寺響子という名前が、往年の歌手水前寺清子に似ているため、水前寺清子のチータというアダ名がそのまま水前寺響子のアダ名となったのだ。
 もちろん、それもまたいじめの一環であり、水前寺響子本人はそう呼ばれて嬉しかったことなど一度もなかった。それなのに、因果なことに、水前寺響子の頭の中では水前寺清子の代表曲「三百六十五歩のマーチ」が延々リピートされて止まらないときがわりと頻繁にあるのだった。死にたくて布団にくるまってめそめそ泣いているときでさえそうだった。どこからともなくあの底抜けに陽気で意気揚々としたイントロが聞こえてきて、何もかもがぶち壊しになるのだ。人生はワン・ツー・パンチ。汗かきべそかき歩こうよ。
 このように、水前寺響子は出口の見えないドツボにはまり込んでいたが、それは生きていたときの話だった。死んだ今、彼女がはまっている沼はそれすら生易しいと思えるような地獄だった。
 それがゾンビになるということだった。多分。
 水前寺響子は肉を欲していた。新鮮な人間の肉に餓えていた。ものすごく食べたかった。いくらでも食べられるような気がした。
 水前寺響子は彼女を小突いたりからかったりしながら追い越していく生白くてやわらかそうな足のあとについていった。いつの間にか、二年F組の教室にたどり着いていた。そこは水前寺響子の属するクラスだった。因果律ということを思うと、これ以上完璧な組み合わせはなかった。
「遅刻してんじゃねーよ」
 水前寺響子は長い髪の毛を鷲掴みにされると無理やり隅の席に引っ張っていかれた。その机には花が供えられていた。もちろん水前寺響子の席だった。
 これは古いやり口ながらいまだに効果のあるいじめだったが、この状況では悪い冗談にしかならなかった。
 まだ何も気がついていないクラスメイトたちはにたにた笑い、先ほどから教壇で成り行きを楽しんでいた担任教師も、一緒になってにたにた笑った。彼らは二学期も三学期も水前寺響子をいじめ抜いてやる気満々だった。それはほとんど彼らの生き甲斐にさえなっていた。
 ゾンビとなった水前寺響子には、自分がからかわれているということは分からなかった。彼女はただ肉がほしいという欲求に駆られて、クラスメイトの一人にふらりと近づいた。人間だったときの倫理観がかすかに残っていたのか、水前寺響子は三歩進んで二歩下がった。三歩進んで二歩下がるの繰り返しでそのクラスメイトに近づいていった。
 周囲はまるで罠にかかったアライグマをいたぶるようにして、その妙な動きを嘲笑った。だが、水前寺響子にはもはや周囲のどんな反応も意味をなさなかった。彼女は、やがてちょうどいい距離まで相手に近づくと、口を大きく開けて首根っこに喰らいついた。
 クラスメイトの首の肉がごっそりと喰いちぎられ、そこからスプラッター映画のように派手に血が吹き出した。にたにた笑っていた者たちが、突然笑うのをやめた。首を咬みちぎられた生徒は、床で一度大きく痙攣したあとぴくりとも動かなくなった。教室が凍りついた。
 水前寺響子が、絶命したクラスメイトを見下ろして身動きが取れずにいた別の女子生徒の髪をひっ掴んで顔面に喰らいつくと、またしても血しぶきが派手に吹き出した。誰かがクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」のように叫んだ。「ママー!」
 そこからは阿鼻叫喚というか酒池肉林というか、とにかくえらい騒ぎだった。水前寺響子の空っぽの頭の中で「三百六十五歩のマーチ」と「ボヘミアン・ラプソディー」が入り交じって鳴った。三歩進んで――、ガリレオガリレオ――、三歩進んで――、ガリレオガリレオ――。
 いじめ・いじめられる関係は、食い・食われる関係になり、最後にはともに食う同類となった。学校なんかに行っていれば当然そういう目に遭うというような結末だった。どこかから火が出て校舎が燃えた。ゾンビたちは炎をかいくぐり、別の肉を求めて敷地から外に出ていった。
 全国どこの学校でもこれと似たり寄ったりのことが起きた。
 来年の八月三十一日にはもう自殺する子供はいなくなるだろう。これからは毎日が八月三十一日になるだろう。


「三百六十五歩のマーチ」作詞・星野哲郎
「Bohemian Rhapsody」作詞・Freddie Mercury



いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。