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【短編】横取り女と根にもつ女

 素子から実家宛に年賀状が届いていた。
 苗字が変わっていて一瞬誰だか分からなかったが、カッコ書きで吉田と旧姓が添えられていた。結婚して子供が生まれたらしく、五、六か月の赤ん坊の写真が印刷してある。干支とは関係ないメガネのデザインで、レンズの部分に写真がはめこまれているのだ。
 差出人の住所は福井県鯖江市となっていたが、私には日本海の方だろうということくらいしか分からなかった。余白には、昨年子供(新太郎という名前)が生まれたという報告と、実家宛てで本人に届くかどうかを心配する一文、そして「また会いたいね」という言葉が横書きで記されていた。
 吉田素子は高校の同級生だった。卒業以来ずっと疎遠になっていた相手だ。なぜ年賀状など送ってきたのだろう。私は少なからず気持ちをかき乱された。
「高校の同級生?」その賀状を先に見ていた母が言った。一緒にお節を用意していたときに、昨日の元日に私宛の賀状があったことを思い出したのだ。
「そう」
「吉田さんって聞いたことあったから」
「なんでメガネなんだろ」私はできるだけ素子のことに踏み込まないように言った。
「鯖江だからでしょ」
「だからなんで?」
「メガネ作ってるのよ」
 鯖江という街はメガネフレームの生産地として有名らしい。私は「へぇ、そう」と適当に相槌を打った。
 やがて、夫の潤一が帰ってきた。注文してあったお寿司を取りに行ってくれていたのだ。
 私は妊娠三ヶ月だったが悪阻はほとんどなく、食べたいものを食べることができた。妊娠を喜んでくれた人たちみんなが食べて食べてと勧めるものだから、つい食べすぎてしまうのだった。昨日も潤一の実家でご馳走を山ほどいただいたばかりだった。
 手持ち無沙汰になった潤一は他に手伝うことはないかと母に聞き、年末にできなかったという風呂掃除を押しつけられていた。私の実家にいてもくつろげないだろうから、働かされているくらいがちょうどいいのだ。父は朝からずっとテレビで箱根駅伝を見ていた。
 潤一も同じ高校の同級生だったが、素子から年賀状が来たことは黙っておいた。彼は高校のときに素子と付き合っていたことがあるのだ。
 私と潤一は一年のときのクラスメイトだった。私はバレー部に、彼はバスケ部に所属していた。身長はさほど高くないが一年からレギュラーで活躍する彼のことを、入学当初から好きだった。
 体育館での練習のとき、仕切りのネット越しにいつも彼の姿を目で追ったものだ。女子に騒がれるような要素はあまりなかったが、それも彼の魅力を分かっているのは自分だけだと一人気持ちを昂らせる要因になるばかりだった。
 素子とは二年のときに同じクラスになった。仲が良かったグループの内の一人だ。どの男子がお気に入りかなどとよく冗談混じりに打ち明け合ったものだが、私が照れながら潤一の名を挙げると、みんなどこがいいのと笑うのだった。
 それが、三年生に進級しようとする頃のこと、素子が潤一と付き合いはじめたのだ。同じ予備校に通いはじめたことがきっかけだったらしい。
 二人は短期間で別れたが、それ以来彼女とは疎遠になった。子供じみた理由なのは分かっているが、私が先に目をつけていたのに、私が彼のことを好きなのを知ってるのに、という気持ちが拭えなかった。告白したのも素子の方からだという噂だった。
 もう十年以上前の話だ。結果的には、私は潤一と結婚するにまで至った。二十五のときにあった高校一年のクラス会で再会し、付き合いはじめたのだ。もう恋に憧れるばかりの子供ではなくなっていたが、もちろん嬉しかった。何より幸福だった。
 私と潤一のことは素子は知らないはずだった。知っていれば年賀状も連名で送ってくるか、一言触れるか、あるいはそもそも出すのを控えるかしただろう。
 返事を書いて私が彼と結婚して現在妊娠中だと知らせてやるというのも、まるで張り合っているようでいやだった。かといって、何も触れずに私個人で旧姓で出すというのもおかしい。黙って返事を出さないでいれば、私には届かなかったと思うか、届いたが交流する気がないらしいと思うかするだろう。
 その日は実家には泊まらなかった。同郷なので帰省には便利だったが、私たち自身の住まいは東京で、車で一時間半程度しか離れてなかった。わざわざ泊まるほどの距離でもないのだ。
 帰りの車中、潤一の実家にも素子から年賀状が届かなかったかとふと気になった。しかし、わざわざ彼女の名前を出したくなかったので確かめられなかった。もらった年賀状はかばんにしまって持ってきてはいたが、破棄するかどうか考えあぐねていた。
 私と潤一の間で素子のことを話題にしたことはなかった。彼も触れられたくはないだろうし、私としても彼女の話になれば醜い感情を露わにしかねなかった。私にとって、素子は彼を横取りした女であり、私の幸福をぶち壊しにしようとする象徴のような存在なのだ。
 それにしても、よりによって「また会いたいね」とはどういうつもりだろう。昔のことは水に流そうとでもいうのだろうか。あるいは、昔のことなどとっくに忘れていて、生まれた子供を自慢したかっただけなのか。とするなら、「また会いたいね」というのはただの社交辞令だろうか。
 いずれにしても不愉快だった。どういうつもりか知らないが、まるでいつまでも根にもっている私を「しつこいわね」と笑いものにすることが目的であるようにも感じられた。
 久実にメールして素子のことを聞いてみることにした。久実も高校二年のときに仲が良かったグループの内の一人だった。今でも付き合いが続いている唯一の友だちで、私が素子に対してどんな感情を抱いているのかも知っていた。
 正月休みが明けたらと思っているうちに、その久実からメールがあった。彼女のところにも素子から年賀状が来たのだという。また、近々同窓会があるらしいとも教えてくれた。私は久実に電話をかけた。
 久実が他の同級生から聞いた話によれば、素子は私立の美大に進んだあとデザイン会社に就職したのだという。仕事でメガネのフレームデザインを手がけたときに鯖江の職人と知り合って結婚、かの地に移り住んだらしい。
 よく聞いてみると、久実のところに来た年賀状に添えられた一文は、私のところに来たものと一語一句変わらないものだった。久実は「また会いたいね」という一語を特に深読みすることもなく、素直に受け止めたようだった。
「知らない土地にいって、昔のつながりが懐かしくなったんじゃない」
 私に対しても特に含むところはないのではないかという。しかし、それなら素子は私に対してした仕打ちなど忘れたか、あるいはなかったことにしようとしていることになる。そんなことは許せなかった。
「分からないでもないけど、さすがに高校生のときの話だしね」久実はたしなめるように言った。「それに、ほら、結局渦中の男と結婚したのはあんたなんだし」
 久実はそもそも潤一が奪い合うほどの価値がある男とも思っていないのだ。それはかまわなかった。でも、結婚したからといってあれもこれも感情面の問題が整理されるわけではなかった。
 私が不機嫌に押し黙ると、久実はそれより同窓会のことなんだけど、と話を変えた。しかし、それもまた素子がらみのことだった。
 素子が来月何かの用事で帰省することになっており、その日程に合わせて同窓会をひらく計画が持ち上がっているのだという。連絡がつく範囲での小規模のものらしいが、すでに二十名ほど参加表明しているという。
「あんたは行かないよねぇ」
「行かない」私はにべもなく断った。
 久実自身は決めかねているとのことだった。「別に素子に会いたいとかじゃないけど」と言う彼女は、他に再会を期待する相手がいるのかもしれなかった。しかし、私は何だか面白くなくてそれ以上聞かなかった。
 私はもし同窓会に行くようだったら、私は素子からの年賀状は見てないし、同窓会の話も知らないことにしておいてと頼んだ。我ながらせせこましいことをしていると思ったが、意地になっていた。
 しばらくして、潤一が視力が低下したのでメガネを買い替えると言い出した。仕事で一日中パソコンを凝視するので、目にくるのは仕方なかった。
「へぇー」潤一がネットでメガネのことを調べながら感心したように言った。
 なになにと聞くと、彼は「福井県鯖江市はメガネフレームでは国内シェア96%を誇る、だって」とネット上の情報を読み上げた。鯖江という名前が出て、どきりとした。
「行ったことないね」ネットで鯖江の位置を確認しながら彼が言った。
「行くこともないでしょ」私はそっけなく言った。



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